17

十七
「先生、忍びの麻酔ってどの位強いんですか。」
うーん吸入は駄目かしら、と手術台に横たわるイルカに、血液が入った試験管を振りながら女医が笑い掛けた。本来検査は控え室で済ませるが、イルカの心情を推し量り話し掛けながら手術室で行っている。
栄養剤の点滴の管に止血剤を注入し、暫しの時間を置いて準備は整った。
吸入が効かなければ注射で眠らせる。病室で目が覚めて数時間で帰宅出来るが、日常生活は過信せず無理せず徐々に。
最終確認に一つ一つ頷きながらイルカは大きく息を吸って、霞が掛かる頭でカカシの顔を思い出していた。
―お帰りなさいって笑えるといいな。

病院の待合室に怒号が飛び交う。
「どういう事だよ、アスマ、何でだよ。」
「てめえの胸に聞けよ、カカシ。」
アスマの胸倉を掴み写輪眼を剥き出しにしたカカシの手は震えていた。
「迷惑だから此方に来なさい。」
と紅がカカシの腕を押さえ、顎で片隅を示した。
「よく此処だと解ったな。」
「嫌な予感はしてたんだ。ずっと、何かが変だ、何かが違うって。」
アスマと一緒に帰って来た日、イルカを抱いても不安が増すばかりで部屋に居着いてしまった。
暫く様子を見たがイルカに変わった事は無い。だが昨日ひと晩留守にしている間にも、カカシの不安は口から出るのではと思う程大きくなっていった。
間に合え、と夢中で走ったら此処に着いたんだ。
頭を抱えて椅子に蹲るカカシは、二人が見た事が無い程取り乱している。
アスマはカカシに冷たく言い放った。
「紅がチャクラを探ったが、子どもはお前の子に間違いない。」
「当たり前だ、イルカはオレだけが抱いていい。イルカもオレの言う事しか、聞かな…い…。」
言いながら気付いたカカシは茫然とする。
「そうよ、あんたはイルカの気持ちなんか聞いた事も無い。」
紅は馬鹿に付ける薬は無いわ、とカカシを嘲笑う。
何かの折に何気無く、自分の子どもなんて気持ち悪いと言った。化け物と呼ばれた自分の幼少期を思い出し、分身を見る為の結婚なんか冗談じゃ無いとも言った記憶が有る。
「イルカは何て言ってた。」
「何も。言う訳無いでしょ、あの子が。」
あの子もずっと一人きりだったから誰にも甘えないの、と紅は横を向いて目を押さえた。
「始まって、どの位…。」
カカシの声は掠れ、震えている。終わったのだろうかと。
「あんたが来た頃から麻酔が始まったから、今は、」
多分、初期だから終わってる。
「イルカ!」
カカシは手術室に走り、力任せにドアを叩いた。
アスマが後ろから羽交い締めにしたが、暴れるカカシを抑え切れない。
周囲から人が集まるが、手が出せず遠巻きに見詰めるだけだ。
手術室のドアが開いて、女医が恐る恐る顔を出した。何事ですか、と聞く前にカカシが縋り付いた。
「イルカは、」
怖くて其れ以上口に出来なかった。
女医はいきなり現れた怪しい男に動じる事も無く、カカシの背を押し中へ入れる。
点滴を受けながら横たわるイルカを認めたが、カカシは足が踏み出せなかった。
「カカシ…さん。」
イルカが手を泳がせカカシを探す。
女医が行けとカカシの腕を掴み、イルカに握らせた。
「ごめん、今更だけど、子どもが要らないなんてそんな事は無い。イルカの子なら産んで、欲しかった、ん、だ。」
最後は嗚咽で振り絞るような声に為ったが、イルカに気持ちを伝えようとカカシは必死だった。
「私、麻酔が効かなくて、注射も限界越えちゃったんですけど。」
朦朧としながらイルカが笑った。
「お腹の子がね、邪魔するんです。」
ぼろぼろと溢れる涙を其のままに、二人は見詰め合い手を握り合う。
「お願いだ、産んでくれ。」
こくりと頷き私でいいんですかと問い直すのは、里の宝と大事にされるカカシの子を産むのが自分で良いのかとの確認だ。
「反対されたら忍び辞めて逃げようかね。」
お前とこの子は命に代えても守るからね。と耳元に落とされた言葉にイルカは守ってもらいますからね、と本当に嬉しそうに微笑んだ。
こんな笑顔は久し振りだ。いつもいつまでも笑っていて欲しい、とカカシはイルカに口付けた。
「あのさ、オレ、今日誕生日なんだよね。イルカに祝って欲しいんだけど。」
驚かさないで、とイルカは躊躇いながら。
「私とこの子を贈ってもいいでしょうか。」
「当たり前でしょう、最高の贈り物じゃない。」
とカカシは破顔した。
「選べなくて両方買ったんだけど、お土産もちょうど二人分。」
ベストから取り出した髪紐は同じ柄の色違い。此れを子どもの髪にも結びたいと、イルカ似の女の子と決め付けて。
只の親馬鹿に成り下がったカカシは、忘れていたよとイルカに囁いた。
「イルカ、愛してる。」
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