2

銀鼠の章
何があったのか、とイルカの祖父に尋ねられ、森乃の親分は声を潜めて顔を近付けた。頭にはもう髪が生えない程多くの傷が走っている。顔を守って付いた腕の傷も多すぎて、あみだくじも出来るのではと思える。
「ゆうべもまた賊が入りまして。」
三代目の顔が曇る。わしの庭で何をやっとるんじゃ、と。
公然の秘密となっているのは、この好々爺がどこぞ地方の城で偉い職に就いていた事。ある年大名が江戸入りした際に付いて来て、年をとってお役御免になると商売がしたいと、傾きかけた回船問屋を買い取ってしまったのだ。海野屋という屋号も、変えるのは面倒だからと買い取った。武士だった頃の名前は捨てたからと決して明かさなかったが、権力はかざさなくともその力は遥か遠く迄届いて、やくざもあっという間に下に置いた。
平和に過ごしていたのに、何故。しかし、賊といっても何を取るわけではないという。ただ年頃の娘のいる家を狙って忍び込むだけだ。それも、娘を襲うでなく、顔を確認すると去る。それでは賊とは言わないが、まだ何も取っていないだけで、この先何をするかは判らないのだ。
「また同じ若者ですの?」
とイルカが問えば、親分は渋い顔でうなづく。顔は忍びよろしく隠してあるが、体つきと声で大人に成り切らない男だと判るのだそうだ。暗闇の中から現れ、たいていは寝床の中の顔を覗き込む。気配に目を覚まして娘が騒ぎ立てると、いつの間にか消えている。起きている場合は、後ろからただ見つめているだけで、振り向くまではそこに座っているらしい。
そしてどの場合も去り際になんだ違った、とかまた会えなかった、とか独り言を残すというのだ。
誰かを探しているらしい。若い娘を。
そして賊は若い男。身の軽い、どうも異国の血の混じったような、明るい髪と目の色。行灯の明かりでは何色とはっきり判らないが、娘達はこぞって惚れ惚れするようないい男だったと証言したのだ。覆面でよく判るよな、とイルカは思うが、醸し出す雰囲気が役者の誰其に似ているのだとか。
「ああ、町娘の恋物をやってるのよね、今は。」
小さな芝居小屋の、それでも一番の人気役者の、名前は何だっけ。と首を捻りながら思い出そうとするが思い出せない。
「なんとかの丞、って銀鼠の髪をしてて凄い人気らしいのよね。小屋の木戸に貼ってある宣伝の絵もすぐ取られちゃうんですって。」
「雪乃丞だ。」
おや親分もご存知なんて。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。