18

商人らしい爺にかしずく侍の姿に道端の注目が集まる。それを跳ね退け全く動じないサクモの後ろに、慌ててカカシもひざまづいて頭を垂れた。
「ヒルゼン殿には隠し通せませんな、ご無礼をお許しいただきたい。」
一瞬にやりと片頬を歪めたヒルゼンだったが、すぐに収めて真顔になった。まるで悪戯に成功した子どものようだ。
「サクモ殿、そんな事はお止めくだされ。」
ヒルゼンは自らもしゃがみこみ、肩を叩いてサクモを立ち上がらせた。
さあお行きなさい、とゲンマを見送って木乃葉屋にサクモを誘う。カカシはイルカに団子を届けなさいと促され、浮き足立つ自分が抑えられなかった。
せっかくイルカに会うのに、緊張で張り付いた喉から振り絞った声は弱々しく広い玄関に消えた。
それでも戸を開くとともに鳴るからくり屋敷の無数の鈴の音が、小さな声を補ってはぁいとイルカの返事が返る。ぱたぱたと足音が近付くと、カカシの頬は知らず緩みそわそわと落ち着かなくなった。
「畠様。」
優しい笑顔が上がりかまちに膝を付き、お久し振りですと目の前に見えた途端にカカシはその身体を抱き締めていた。
いきなりの事に全身を強張らせるイルカだったが、顔を伏せぐいぐいと抱き締めてくるカカシの背中に腕を回してそっと上下に撫で始めた。
「少し、お痩せになりましたか。」
うん、ちょっと忙しくて。
嘘をついた。松田が江戸にいないのに忙しい筈はない。ただイルカに会えなくて心配で、食欲がなかっただけだ。
カカシはゆっくりと腕をほどき照れ隠しにこれを、とヒルゼンから渡された団子の包みを渡した。その団子が長居の口実になり、カカシはヒルゼンに感謝をしつつイルカと二人縁側に並んでゆったりと時をすごした。
他愛もない話が弾む。ほんのりと薄紅に染まり大袈裟な程よく動くイルカの表情に見とれていると、視線に気付いたかまっすぐにカカシを見返してふっとイルカが笑った。どきりとする程の色気を感じて、カカシは高まる鼓動が聞こえてしまうのではないかと狼狽えた。儚げで、噎せかえるように匂い立つ。
カカシの動揺に気付かぬイルカは、以前と変わらぬように見えてどこかに違和感が見え隠れする。
「あたし、頼まれもしないのに夢を見ました。」
「夢見ですか。どのようなものでした?」
「…忘れましたが、起きて泣く程あたしは嬉しかったらしいのです。」
「良い夢だったのですね。いったい何だったのでしょう。」
自分との夢だったらいいのに、とカカシは言いそうになった。だがイルカが思い出したそれがまるきり違ったら嫌だ、と思った自分に子どもの駄々のようで笑えるなあとカカシは秋晴れの空を見上げた。
イルカが嫁に行ってしまうなら、遠く噂も聞かないような相手にして欲しい。イルカに子ができたなんて聞いて、正気でいられる気がしない。
いやそれより相手が不誠実な男だったら、とカカシはどんどん悪い方へと考え始め暫くイルカを放っておいてしまった。
「畠様、畠様。…お父上がいらっしゃいましたが。」
何度も名前を呼ばれて漸く我に返ったカカシは運が悪いのか、話が終わったからと迎えに来たサクモにイルカとの会瀬を邪魔をされた。
「お久しゅうございます、イルカ殿。といっても私を覚えてはおられないでしょうが。確かに母君によく似ておられる…とてもお綺麗だ。」
夢見では何度か会った相手だが、イルカ自身は全く記憶がない。なんと言えば良いのか言葉を探していると、見透かしたようにサクモに笑われた。
「何も思い出せなくとも仕方ないのです。」
そんな慰めは何十回も聞かされたとうんざりして目を逸らせたイルカにサクモはすまないと頭を下げ、カカシとイルカの間の茶を乗せた盆を除けて縁側に腰を掛けイルカに寄り添う。
「他に言う事はないのかって思われたでしょうな。無神経ですまない。」
とサクモがカカシによく似た笑顔をしてイルカの耳元で囁く。
カカシが年を取ったらこうなるのだろうという顔と声に、イルカは耳まで真っ赤になって俯いた。
「父上、イルカ殿に何を仰ってるのですか。」
父親を引っ張りイルカから離そうと躍起になるカカシを軽くかわし、サクモはひょいと縁側から降りて腹を抱えて笑った。
「ああカカシ、お前は我が子ながらまっすぐで嬉しいよ。」
「どういう事ですか。」
そのまんまだよ、と目を細めたサクモは日が陰りだした庭で寒いと肩を竦めた。
「イルカ殿、今日はカカシを貸せませんがお許しを。」
煙にまかれた気がしながらも、二人はお休みなさいと別れた。
「カカシ、お前は大事なものを見失ってくれるなよ。」
「父上が先程から何を仰っているのか、私には解らないのですが。」
サクモはカカシの問いには答えず、妻との思い出を語るばかりだった。
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