カカシが帰宅早々に番屋に出向く話をすると、父も最近は具合が良く松田とヒルゼンの為に働く事がとても嬉しそうだった。
妻が亡くなって気弱になったあの頃からカカシを一人前にしなければと気負いながらも時折寝込む精神的な弱さは、カカシにも負担だろうとまた自分を追い込むような人だった。
けれどカカシは寝込む程に生涯妻一人を想う父を、羨ましく思えど疎ましくは思ってはいなかった。
「父上、では木乃葉屋に参りましょうか。」
ヒルゼンを迎えに行き、揃って番屋に向かう事になっている。
侍達と商人達がぞろぞろと列をなして歩けば、何事かと進む道の先々が開けた。
「これだけ目立てば、物取りでも何でも狙われますな。」
ヒルゼンが余裕の笑みでサクモに笑い掛けた。
「ヒルゼン様は無傷で木乃葉屋に戻しますゆえ、ご安心を。」
「いやいや、わしとてそう簡単にはやられはせぬ。」
昔に戻ったような気分だと、二人は嬉しそうに歩いていた。ひと回り以上年は離れているがかつては同じ主君にす遣えた身だ、また親交を深めてもいいと互いに思っている。
だから久々に町を見たいと駕籠にも乗らず、団子屋の店先で立ち止まったり小間物屋の客引きに引っ掛かったり。
「奥方様の手の者はおらぬようだな。」
三歩程後ろでサクモがカカシに耳打ちする。
松田の亡くなった妻の親戚が聞き付けてイルカの素性がはっきりするだろう今日、もしかしたら番屋に着く前のヒルゼンを襲ってくるのではないかと思っていた。
「いえ、彼らはもう松田様のご嫡男の後ろには付けません。」
小声で二人の背中に呟くゲンマが、とうとう甘味屋の店に引き込まれたヒルゼンからだと熱い茶を渡してきた。
父子は店先の長椅子に座る。
「ヒルゼン様が引退なされた件が、今更なのですが奥方様の陰謀だと判明いたしました。」
松田の嫡男は生まれる前で無関係としそのままだが、その母の兄弟親戚は一人残らず江戸から追放となったという。
「ゲンマ、よくそんな事ができたな。」
サクモが茶碗を見詰めながらぽつりと言った。
「ヒルゼン様のお人柄です。皆も良く動いてくれました。」
ちらとゲンマが通りの反対側を見る。その先には蕎麦屋で寛ぐ仲間の忍び達がいた。
町人の振りをしながらこっそり付いて行く彼らは、サクモが依頼したヒルゼンの護衛だ。
カカシは店の主人と談笑するヒルゼンを見た。喰えない狸爺は失脚の理由すら理解していただろうと、カカシの胸はきしきしと音がする程痛んだ。
「仲が良くなかろうと松田様の奥方だ。その奥方様が画策したなどとは今でも絶対仰らないだろう…。」
サクモの言葉にカカシは頷く。関わったこの数ヶ月で知った、ヒルゼンは無条件に尊敬できる人物だ。
「では行くか。時間は多めに取って出たが、このままでは辿り着かん。」
イルカに持って行けと包みを渡されたカカシは、二人分じゃぞと言い先を歩くヒルゼンに頭を下げた。
会ってもいいのだとほっと息を吐く。サクモが笑って責任重大だな、と言った意味はカカシには解らなかったが。
「おお久しゅう、元気そうで良かった。」
番屋で懐かしい顔に会えてヒルゼンは顔を綻ばせた。
奉行所から遣わされた役人立ち会いの元に、当時の母娘の様子を口頭で確認する。勿論公的な書記も控えていた。
ヒルゼンが無言で差し出したあのイルカの着物を、保護した子どもはこれを着ていたと証人達に明確に証言されてほっとした。
十三年もたてば記憶も薄れ、また誤った記憶にすり替えられる事もある。しかし皆が話した内容は当時の記録とほぼ一致し、イルカの夢見も正しいと証明されたようなものだった。
また耳袋のネタにされる、その時は色々とすげ替える必要があるなとゲンマは顔をごしごしと擦った。
情報操作は得意だが今回は恋話を前面に押し出したいとほくそえみ、まだ結論は出てはいないがカカシの恋は必ず成就すると決めつけて。
「さて、と。松田様はいつ頃江戸に来られるかな。」
胸の前で腕を組み、満足そうに歩く帰り道。
「過日の松田様よりの手紙にそれは記してございませんでしたか?」
「ん? さて、年寄りは忘れやすくてなぁ。」
はてさてと頭を捻り、そうだ決めかねていると書いてあったとヒルゼンは笑った。
「ならば飛脚を」
「いや、ゲンマとその仲間で行けば良いだろう。直接先程の様子を話して欲しい。」
え、と皆の足が止まる。
「気付いていたぞ、ただ者ではないと。」
列の一番後ろのゲンマにヒルゼンが木箱を差し出した。番屋での証言が書かれ、これは公的な書類だとの証明書も付いている。
「往復何日だ。」
「…四日もあれば、雨風関係なく余裕で。」
ゲンマが片頬で笑えば、サクモが道の真ん中でヒルゼンに向かいひざまづいて頭を垂れた。
妻が亡くなって気弱になったあの頃からカカシを一人前にしなければと気負いながらも時折寝込む精神的な弱さは、カカシにも負担だろうとまた自分を追い込むような人だった。
けれどカカシは寝込む程に生涯妻一人を想う父を、羨ましく思えど疎ましくは思ってはいなかった。
「父上、では木乃葉屋に参りましょうか。」
ヒルゼンを迎えに行き、揃って番屋に向かう事になっている。
侍達と商人達がぞろぞろと列をなして歩けば、何事かと進む道の先々が開けた。
「これだけ目立てば、物取りでも何でも狙われますな。」
ヒルゼンが余裕の笑みでサクモに笑い掛けた。
「ヒルゼン様は無傷で木乃葉屋に戻しますゆえ、ご安心を。」
「いやいや、わしとてそう簡単にはやられはせぬ。」
昔に戻ったような気分だと、二人は嬉しそうに歩いていた。ひと回り以上年は離れているがかつては同じ主君にす遣えた身だ、また親交を深めてもいいと互いに思っている。
だから久々に町を見たいと駕籠にも乗らず、団子屋の店先で立ち止まったり小間物屋の客引きに引っ掛かったり。
「奥方様の手の者はおらぬようだな。」
三歩程後ろでサクモがカカシに耳打ちする。
松田の亡くなった妻の親戚が聞き付けてイルカの素性がはっきりするだろう今日、もしかしたら番屋に着く前のヒルゼンを襲ってくるのではないかと思っていた。
「いえ、彼らはもう松田様のご嫡男の後ろには付けません。」
小声で二人の背中に呟くゲンマが、とうとう甘味屋の店に引き込まれたヒルゼンからだと熱い茶を渡してきた。
父子は店先の長椅子に座る。
「ヒルゼン様が引退なされた件が、今更なのですが奥方様の陰謀だと判明いたしました。」
松田の嫡男は生まれる前で無関係としそのままだが、その母の兄弟親戚は一人残らず江戸から追放となったという。
「ゲンマ、よくそんな事ができたな。」
サクモが茶碗を見詰めながらぽつりと言った。
「ヒルゼン様のお人柄です。皆も良く動いてくれました。」
ちらとゲンマが通りの反対側を見る。その先には蕎麦屋で寛ぐ仲間の忍び達がいた。
町人の振りをしながらこっそり付いて行く彼らは、サクモが依頼したヒルゼンの護衛だ。
カカシは店の主人と談笑するヒルゼンを見た。喰えない狸爺は失脚の理由すら理解していただろうと、カカシの胸はきしきしと音がする程痛んだ。
「仲が良くなかろうと松田様の奥方だ。その奥方様が画策したなどとは今でも絶対仰らないだろう…。」
サクモの言葉にカカシは頷く。関わったこの数ヶ月で知った、ヒルゼンは無条件に尊敬できる人物だ。
「では行くか。時間は多めに取って出たが、このままでは辿り着かん。」
イルカに持って行けと包みを渡されたカカシは、二人分じゃぞと言い先を歩くヒルゼンに頭を下げた。
会ってもいいのだとほっと息を吐く。サクモが笑って責任重大だな、と言った意味はカカシには解らなかったが。
「おお久しゅう、元気そうで良かった。」
番屋で懐かしい顔に会えてヒルゼンは顔を綻ばせた。
奉行所から遣わされた役人立ち会いの元に、当時の母娘の様子を口頭で確認する。勿論公的な書記も控えていた。
ヒルゼンが無言で差し出したあのイルカの着物を、保護した子どもはこれを着ていたと証人達に明確に証言されてほっとした。
十三年もたてば記憶も薄れ、また誤った記憶にすり替えられる事もある。しかし皆が話した内容は当時の記録とほぼ一致し、イルカの夢見も正しいと証明されたようなものだった。
また耳袋のネタにされる、その時は色々とすげ替える必要があるなとゲンマは顔をごしごしと擦った。
情報操作は得意だが今回は恋話を前面に押し出したいとほくそえみ、まだ結論は出てはいないがカカシの恋は必ず成就すると決めつけて。
「さて、と。松田様はいつ頃江戸に来られるかな。」
胸の前で腕を組み、満足そうに歩く帰り道。
「過日の松田様よりの手紙にそれは記してございませんでしたか?」
「ん? さて、年寄りは忘れやすくてなぁ。」
はてさてと頭を捻り、そうだ決めかねていると書いてあったとヒルゼンは笑った。
「ならば飛脚を」
「いや、ゲンマとその仲間で行けば良いだろう。直接先程の様子を話して欲しい。」
え、と皆の足が止まる。
「気付いていたぞ、ただ者ではないと。」
列の一番後ろのゲンマにヒルゼンが木箱を差し出した。番屋での証言が書かれ、これは公的な書類だとの証明書も付いている。
「往復何日だ。」
「…四日もあれば、雨風関係なく余裕で。」
ゲンマが片頬で笑えば、サクモが道の真ん中でヒルゼンに向かいひざまづいて頭を垂れた。
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