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そのりすは江戸より遥か北海を渡った雪の多い地にいたらしい。学者に捕まったが、いつの間にかこの屋敷の蔵で眠りについてイルカの気に起こされたのだと言った。
そんな風にイルカの能力はあやかしを引き付け、また彼らは温かなイルカの側にいたいと誰も去る事なく屋敷と少し裏の狐森に住み着いている。
甘えられて撫でるりすの毛は柔らかだが、体温がないのは少し寂しい。イルカは作り笑顔でりすを胸に抱いた。
「イルカ、泣かないで。」
「夢見が辛かったらやらなくていい。皆でそいつらを追い出してやる。」
かたかたと身体を揺すりながら、道具達がイルカの周りを囲み出した。
何の関わりもない彼らが親身になって心配してくれる事は嬉しいが、これはイルカ自身が決めて進む道だ。イルカは口の端を上げて父様への恩返しだから、と言葉を濁して皆を黙らせた。
何かを探したり予言をするのが嫌いなわけではない。ただ。
きっとあたしのこれからを覆し、これまでを失ってしまう。新しいあたしは何者だろう。
イルカの夢見は、自分一人にかかる運命は知る事ができない。だが今回は相談者と自分が深く関わるのだと、外れない予感がイルカの胸を苦しめる。
そうして思い悩むうちに辺りは宵闇となった。木乃葉屋の女性従業員達は、大抵がイルカと一緒に夕飯をとると帰っていく。これから朝までは男達の出番だ。
イルカはいつも通りに自分の部屋で客を待ったが、意外な展開となった。
「イルカ嬢ちゃん、今日は表に来て欲しいと旦那様が仰られてます。」
「ゲンマさん、どうして。」
宿の部屋係の頭ゲンマは、最近半月程泊まりで居座った後に木乃葉屋で働き始めた。ヒルゼンは立ち居振舞いから、ゲンマは武士の出だと言う。
「あちらさんがやんごとなきご身分の方らしくて、人の出入りの多い場所なら追っ手がいても隠れやすいからとのご要望なんですよ。」
「そんなにぺらぺら喋っちゃ、かえって狙われるでしょうに。」
可笑しなお人ですね、とイルカが笑う顔を見てゲンマは目を細めた。信用できる男だとアスマからイルカが家に来てからの事を全て聞かされ、ゲンマは邪な心もなくイルカを守ると約束をした。
「おいらは嬢ちゃんの側にいますからね。」
「嬢ちゃんって、あたしはもう大人よ。」
しかしゲンマは十も上、アスマと紅に至っては十五も離れて親と言っても差し支えないのだった。
ゲンマとふざけながらヒルゼンの待つ床の間へ歩く。お陰で先程までの嫌な思いは、すっかりイルカから失せていた。
「イルカ、こちらがお前に見て欲しいと仰る松田様だ。それと畠殿。」
畳の目から顔を上げれば年はアスマと同じ位の堂々とした侍と、後ろに控えるゲンマより少し幼く見える異人のような風貌の侍がいて少し驚く。
「わざわざお越しくださりありがとうございます、松田様。…人探しでございますね。」
「いきなりで申し訳ない。先に詳細を渡しておいた方がよいと聞いても、私はいてもたってもおられんでな。」
「松田様はわしの昔の知り合いでな、イルカの夢見話を耳袋で聞き及んだそうだ。」
巷では不思議な話を集めた耳袋という折本が人気らしいが、イルカはまさか自分の解決した事件などがそこに収められていると知らなかった。
「あたし、そんなに凄い訳じゃありません。」
「いやいや、わしら凡人には充分凄いのだよ。」
人好きのする笑顔の松田はイルカに手招きをし、膝がつく距離で手を取ってどうかと頭を下げた。
思いが伝わる。
「あの、お父様。」
「ん?」
「…いえ、始めます。」
自分が関係するなんて言っても笑われるだけだ。お武家様とあたしには何も関わりはない。
「お話できるだけ、その方の事を詳しくお聞かせください。」
「私の子を産んだ娘だ。十数年前に死んだと聞いたが、私は信じていない。」
「お子様は。」
「行方知れずだ。」
その娘から贈られた印籠がイルカに手渡された。
じわりと背中に汗が滲み始め、イルカは無限の闇に引き込まれていく感覚に思わず手を伸ばした。松田の後ろの若者に。
後は夢の中で、とイルカは声を振り絞り気絶するように眠りにつく。
差し出された手を取った畠という若者は、畳に倒れる前のイルカの身体を受け止めた。胸に抱く形になって慌てたが、気を失う直前にイルカが袖を握ったまま離さない。暫く待ったが力は抜けず、ヒルゼンに笑われた。
「イルカはたまにこんな風になるのです。大抵うちの者の役目ですが起きるまで離しませんので、畠殿には申し訳ないのですが…。」
「よし、こやつを置いてゆく。姫が起きるまでしっかり番をしておれ、カカシ。」
「はっ、畠カカシの命に替えましてでも。」
皆が去った部屋で、カカシと呼ばれた若者はそのまま朝までイルカを抱き締めていた。
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