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「さあ中に入りましょうか。今日は一人なの?」
こくりと頷いたナルトと呼ばれたその子は、座敷へ上がるイルカの後を付いて上がろうとして足を止めた。
「…イルカ、おいらの足。」
「ああ、あんた裸足だったわね、お湯持ってくるから待ってて。」
風呂場に走るイルカを目で追いながら、ナルトは縁側に座って待っていた。
ナルトは江戸に近い痩せた土地の村で、飢饉の人柱となった子供だった。土の下の棺桶で死ぬ間際に土地神が情けをかけ、やはり飢えで死ぬ間際の子狐の身体に魂を移して逃がしてやったのだ。
「あのさイルカ、サスケが泣いてるんだ。」
足だけでなく身体まで温かな手拭いで拭われると、ナルトは蕩けるような安らぎに包まれた。しかし自分だけがいい思いをしていてはいけないのだ。早くあいつもイルカに抱き締めてもらって、涙を拭けばいい。
大好きな砂糖をまぶした豆菓子にも手をつけず、ナルトがイルカの手を握りそこへ連れていこうとする。
「サスケがどうしたの?」
ナルトの手を握り返してその目を見詰めると、何かを読んだかイルカは頭を振って空を仰いだ。
「また狩られたのね。親子…三匹も。」
サスケとはナルトの魂が入っている子狐の兄弟の名前である。そのサスケの住む、通称狐森で狐狩りがあったのだ。
飢饉の際に離れ離れになった兄弟を見つければ、ナルトが本来の魂を押し退けて狐として生きている。サスケは激怒し、兄弟を返せとナルトを襲った。たまたま争う声に駆けつけたイルカにより争いを止められた、それが三人の出会い。
サスケには誤解されたが、兄弟の魂を身体から押し出してナルトが入り込んだのではない。子狐の死の間際に土地神が魂を移したのだ。
サスケと、ナルトの器となった子狐はあやかしの白狐の血を引いていた。あやかしの身体であってもナルトの魂は順応するだろう、いや守り狐になれるかもしれないと土地神は思ったのだ。
ナルトの魂は強くまだ生きようとしていたが、身体は死に向かっていた。かたや子狐は生きる気力がなく、飢餓で死ねると喜んでいた。
化け物の血などいらない。大人になって姿かたちが変わり、あやかしの力を持つなんて望んでいないと。
サスケは筋違いと承知の憤怒をナルトに向けていたが、その頑なな心はイルカによって溶けて消えた。そしてナルトの境遇も聞き、サスケはナルトをかつての兄弟と同様に思うようになる。
今は妖孤の血を引いた最後の生き残りとして、サスケは狐森を守っている。だが子供の身体では人間に立ち向かえる筈もなく、仲間を狩られ自分も怪我をしていた。
「そう、じゃあ天孤様に聞いて白狐を遣わせられるといいんだけど。」
イルカは目をつむり、何やら呪文を唱え始めた。
暫し後ふわりと生温い風が吹き、見えない何かがナルトを風に乗せるとサスケのいる狐森に向かう。
「ナルト、狐になって!」
妖孤の身体ならば人には見えずに風に乗れる。少し歪んだ空間にうっすらと白狐をみとめて、イルカは胸の前で小さく手を合わせた。

ここは屋敷が古かったせいかイルカの能力のせいか、沢山のあやかしが住み着いていた。
動物だけでなく物の寿命がつきた後にも大事にされた古道具に魂が宿り、九十九神となってイルカの元で遊び暮らしている。ヒルゼンやアスマは悪戯する大がま蛙を笑って蹴飛ばしたりできる度胸を持つが、そうでなければ客商売はできない。
「イルカ、今夜は一つ頼まれてくれるか。」
アスマが木戸口から顔を覗かせ、躊躇いがちにイルカの顔色を窺う。
「断ったらお兄様の首が飛ぶんじゃないの。」
どこのお殿様ですか、と迷惑も慣れた笑顔で溜め息をつく。
「いいって言いながら溜め息じゃ、どれだけ嫌なんだかな。」
ほれと寄越したのは家紋入りの風呂敷だった。木箱の中の、メリケン粉のふわふわした甘い菓子が夢見の重要度を教えていた。
「調子はどうだ。悪くても断れねえがな、時間をずらすぐれえはできるぞ。」
「あたしは大丈夫。紅姉さんの悪阻の方が心配だわ。」
「ああ、あいつは実家で一日中寝てて何もしねえから、食べられなくても痩せてねえぞ。」
アスマとひとしきり話をし、笑ったのは何日ぶりだろうと考える。宿屋の繁盛も程々でいいのに、存外の儲けがあるとイルカの為に何でも買ってくれる。
他人のあたしにこれ以上は申し訳ない。恩は返しきれないけどできるだけ、頑張りたい。
そんなイルカの思いは誰も知らない。いやイルカが血の繋がりがない事を知っている、それを誰も知らない。
記憶が戻った訳ではなく、物心がついた頃にはそれと理解していたのだった。
「記憶は欲しいけど、あたしは誰なのか知るのは怖い。」
涙が溜まる。と、九十九神となった小さな剥製のりすがイルカの膝をくすぐった。
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