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カカシ先生の温かな手は、私のお腹に当てられた。
有り難う。そしてごめんなさい。許してもらおうとは思わないけれど。
聞いて下さい。と真剣な口調で躊躇いながら話し出す彼の顔がなぜか見られず、私はお腹に当てられたままの手に視線を合わせていた。
妊娠したのですね。この子は、俺の子なんですね。とても嬉しいです。俺と、貴女の子だなんて。
ちっとも嬉しそうではないカカシ先生の声に、私はその後に続く言葉を予想して冷めていく自分に眩暈を感じた。
俺は産んで欲しいと思うのですが、きっと貴女はそうしないでしょう。
えっ、と予想外の言葉に私は顔を上げた。
聞いて下さい。ともう一度言うと、カカシ先生の大きな手は私の両手を包み込んだ。微かに震え、力が入らないようだった。
許してもらおうと思わないし、貴女に殴られても殺されても仕方のない人間、いや俺は畜生以下なんだ。
と独り言のように呟いて息を止め、吐く息と共に漏らした言葉が、私は信じられなかった。
貴女の人生をめちゃくちゃにしたのは俺なんです。
俺は暗部にいました。
無言のままの重苦しい時が、時計の針の音と共に流れていく。二人して息をする事さえ忘れてしまったかのように止まったままで。
言い訳になるのかもしれませんが、俺は貴女があの時の人だと知らずにいました。覚えていなかったんです。
そう、あの時は新月の晩の森の中で真っ暗で、私は相手の服装から、暗部だと判断は出来たが、相手はきっと私だと、個人を認識する情報は得られなかった筈だ。今や私のトレードマークとなった引っ詰め髪も、戦場ではうなじで緩く結んでいたのだから。
それを思い出しても冷静でいられた自分が、不思議だった。ああそうか、精神科医に教わった自己コントロール法がこんな所で役に立っているなんてね。
躊躇いがちにカカシ先生の言葉が続く。
誰でもよかった訳じゃないんです。あの戦場で、貴女の気だけに反応して、気が付いたらあんな酷い事をしてしまって--。ああでも、それも言い訳ですね。
私は、解ります、と首を横に振った。暗部の任務の特異性は聞いていたし、精神に異常をきたす者も中にはいると、火影様の側にいればそれも見てしまうから。
人ごとのように遠くから自分を見詰める私は、やっぱり厭世観が拭い切れないのだろうと思った。まだ、死にたいのかな私。
焦点の合わない私の目に 、カカシ先生はもしやまた病気が、と焦る。慌てる様子が可笑しくて、私は大丈夫ですよと微笑んだ。
いつ、私とあの時の中忍が同一人物だと気が付いたのかと問えば、火影様に呼び出されて、どういうつもりだと責められた時に教えられたのだという。多分、私がカカシ先生と付き合っていると話した後だろう。
俺が、貴女を二度も選んだんです。間違いなく、貴女を選んだんです。と辛そうに眉を寄せて、手に力を籠めて握ってくる。
でも、憎んでも憎み足りない俺の子なんて、いらないでしょう。
否定も肯定も出来ず、私は只黙り続けた。
何と言っていいのか判らなかった。私自身が結論を出せないのだから。
憎いのか。私の人生はこの人に因って壊されたのか。私はお腹の子も憎いのか。
この子に罪は無いから、と口に出して言った後、私はカカシ先生に時間が欲しいと一人になる事を願った。
しかしカカシ先生は、私を一人にできないと握った手を離さない。馬鹿な事を考えないかと心配しているのが解り、私はそれに心当たりが無い訳ではないから、強く出られなかった。先程心をよぎった厭世観という言葉。すっかりなりを潜めていた自殺願望。いや自ら命を断つ事までは考えていないけれど、どうでもいいやと、何に未練があるものかと思っていた事。
無理にカカシ先生を追い出す事も出来ない。重い空気を振り払いたくて、カカシ先生を買い物に誘った。何も食べる物が無いので、一緒に買いに行こうと言うと、幾分明るい顔になりあれが食べたいとか、店先で見付けた新商品が美味しそうでとか、私の機嫌を取るように饒舌になった。
請われるままにまた手を繋ぎ、商店街へと二人歩き出す。すっかり夜となったが、まだ仕事帰りの人々が夕食の惣菜を買う姿は多かった。
外食へ向かう途中だろう、親子連れのはしゃぐ声がする。父親が足取りの覚束ない男の子の手を引き、ゆっくりと歩調を合わせながら歩いていた。その後ろから見守る母親は、腕にまだ首の座らないだろう乳児を抱いている。フリルのついた服から覗く小さな手は、幸せを握っているかのようだ。
赤ちゃん、家族、父と母と。
自分の血を分けた子が産めない。
それだけが幸せではないと言われ、アカデミーの教師を勧められて、天職だと思いはしたけれど。本当はこどもを産み、育ててみたかったのだ、父と母のように。
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