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ずっとあなたが好きだったんだよと真顔で言われて、私は思わず何時からかと、驚き聞き返した。
私がまだ戦いに出ていた頃。
この人の白い髪には記憶が無い。
何年か数ヶ所を渡り歩いたけれど、成りたての中忍でまして女だったから目立つような活躍も無く、十代は忍びとして一所懸命だったから、他人の事には無関心だったかもしれない。
忘れてくれていいんだよと、どこか辛そうな声はこの前と同じで、聞いちゃいけないんだと留まらせる。何故と聞けないもどかしさは、しかしこの先の二人の関係の危うさを表しているようで、私には深入りするなとの忠告に思えた。
どこかで自分に歯止めを掛けておこうと、これ以上のめり込んだら私は生きていけない事になると、別の恐怖心が心を蝕んでいく。
ただひとつだけ。私がこの人を愛することだけはいいでしょう? この想いだけで一生分、私は幸せだと、自分の心に鍵を掛けた。有り難う、カカシ先生。
そうして、表面上の恋愛は続いていた。いや確かに私達は愛し合っているのだけれど。
カカシ先生の前にも私の前にも、見えない結界が張られているようで、二人ともそれに気付きながらも見ない振りをしている。正直辛い時もあるけれど、私はこの砂上の楼閣ともいえる『今』を、自分から手放す気は無かった。
残業と徹夜の続いた後、風邪をひいたと思った。
少し怠くて熱っぽい。気を付けていたけれど治らない。良くも悪くもならないまま既にひと月たち、気候のせいにしたり睡眠不足のせいにしたり、そのうち治るだろうと高を括っていた。
まさか、妊娠したとは。
生理不順で排卵は無いから、有り得ないことだとすっかり忘れていた私は、未だに続く半年毎の定期検診とカウンセリングでそれを聞いた時、もう一度、と聞き返した。
悪阻は無いようですね、顔色も良いですし。おめでとうございます、と医師は笑った。
もう何年も心配してくれていたから、これで女性の幸せが掴めるんですよと、本心から言ってくれたのだ。医師の笑顔に礼を言い、おじいさまへは私から、と口止めをして私は帰路に着いたのだった。
自然に歩みは遅くなる。
妊娠。赤ちゃん。胎児の大きさから判断すると、三ヶ月の終わり頃ではないかという。だが排卵が無いのだから正確に診断出来ない。子宮も正常な機能を果たしていなかったから、胎児の成長が遅れている可能性もある。 性交渉の日付で計算すると、とうに四ヶ月目に入っている筈だった。
歩みは完全に止まった。
大通りの真ん中で、平日の夕方、私は一人。
どうしよう。どうしたらいい。絶対に有り得ないと思っていたから、私は結論が導き出せない。
すっと、後ろから抱き着かれた。ああ、カカシ先生。一瞬、体が強張った。今一番会いたくない人物だったから。上手く笑顔が作れるだろうかと、振り返る。彼には今日、定期検診とカウンセリングに行くと伝えてあった事を思い出した。
何かあったのかと、私の肩口に顎を乗せ、髪に顔を埋めてくる。ごまかしきれるといいのだけれど。
一進一退です。と言った私はどんな顔をしていたのだろう。カカシ先生のお陰でかなり良い精神状態が保てているので、気になった時だけ通えばいいと、これは本当の事だったからさらりと言えたが、少し疲れたと俯き、今日は帰りたいと言うと、ではせめて家まで送らせてほしいと手を繋がれた。人前で、とも思ったがどうせ長く続かない恋なのだからと、少しでも長くいたいからと手に力を籠めて握り返した。ついでにいいよねと、寄り添ってしまう。
今夜一晩よく考えよう。私の事だもの。
縋り付くように歩く私には、真剣な顔で遠くを見るカカシ先生の決意など判りようも無かった。
一人、家で暗闇の中、私は座り込んだまま動けなかった。
妊娠。
考えは全く進まない。
でも考えなくては。
そうしてどれだけ時間が過ぎただろう。
カカシ先生の声が玄関の外から聞こえた。何も考えられないままドアを開けると、青ざめた顔のカカシ先生が息を切らして立っていた。上忍が何やってんだろうと、私は不思議に思って眺めていた。
カカシ先生は勢い良く部屋に上がり込み、その勢いのままどっかりと胡座をかいて、困ったような悔しいような複雑な顔で唐突に頭を掻きむしり呻いた。
そして突っ立ったままの私の手を引き、自分の胸に収めると前置きは無しで、と話し始めた。
私の様子があまりにもおかしいので、急いで病院に行って話を聞いて来たという。思わず上体を起こし、目を見詰めてしまった。怒った目をしていたが、声はいつもと変わらず落ち着いていた。
貴女の主治医に全て話して、全て聞いて来ました。
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