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三十
必ず幸せにします、と男は両手でイルカの両手を包み込んだ。目を伏せ微笑んだイルカも、幸せになりたいです、とかすれた小さな声で答えた。

それが二週間近く前の事。
二人は毎日一緒に帰るようになった。中忍選抜試験が終わるまで大抵イルカは残業になるため、男も職員室で待ったり受付に入ったりして帰宅時間を合わせていた。イルカをアパートまで送るだけの事もあれば、一楽に寄る事もある。
イルカが時折眉を寄せて俯くのを見て、カカシを諦めるのには時間が掛かるだろうと解っていたが、自分がその心の真ん中に来る日はあるのだろうかと思い始めていた。

浮き足立って授業にならないが楽しい時間が、突然恐怖に変わった。
試験会場から爆発音が聞こえ、巨大なチャクラの波動がアカデミーに押し寄せた。
教師達は各教室に結界を張り、連絡を待った。
間もなく大蛇丸の襲撃だと伝令に跳んで来た上忍により、生徒達に避難命令が出た。
顔岩の内部に作られた避難所へと生徒達を誘導しながら、イルカは叫びたい程の胸騒ぎと恐怖を覚えていた。
どうか皆、無事でいて。

ずうん…と地響きがして、その音と共に足元が揺れ暫くして全てが止んだ。何の音もしない。
様子をうかがっていたアカデミーの教師達は、何がどうなったのかと神経を耳に集中させた。
「行って来るっ。」
飛び出した教師は里の中でも脚は速く、既に姿は見えない。彼が帰って来るまでの時間が無限の長さに感じられたが、目の前で息を切らし倒れ込むのを確認するまではうたた寝程の間だった。
「大蛇丸は逃げた。火影様があいつの術を封じて、」
息をつぎながら話す彼の、次の言葉を皆待った。
しかし黙って下を向くと唇を噛む様子に、事の大きさを知る。
「まさか。」
一番先に、イルカが叫ぶように声を発した。
生徒達がいるからそれ以上の事は言えないが、火影様がお亡くなりになったのだと、見て来た者は頷いてそれに答えた。
どうしよう、どうして、火影様が…。
イルカの体がガチガチと小刻みに震え出した。力が抜けて膝が落ちる。地面に座り込んで自分の体を抱き締め、泣きたいのを我慢するのを周りの者達は呆然と見ていた。
イルカ先生、と後輩は駆け寄りその肩に触ろうとしたが、イルカはかぶりを振り拒んだ。いや、いや、とただ全てを拒絶する姿を特別上忍が生徒達から隠すようにしゃがみこみ、お前は教師だ、と囁いてイルカの体を支えて立ち上がらせた。
二人は二言三言何かを話すと、生徒達に向かって手を広げ帰るぞぉ、と明るい声を出した。訝しげな子ども達に詳しい事は教室で話します、と教務主任が有無を言わせない口調で先を歩き始めた。
イルカは担任として、また忍びの先輩としてその卵達の手本にならなくてはならないと、気力だけで教師としてその日を務め終えた。

火影の葬儀は、準備があるために二日後と決まった。その夜から里内へ触れ回り、一日掛けて葬儀場をアカデミーの校庭に設置し、次々と届いた献花を並べていく。徹夜の忙しさに紛れ何も考えられない事に、後ろめたいながらも皆安堵していた。
イルカも黙々と体を動かしていたが、両刃のような危うさが誰も寄せ付けない。後輩は自分が支えたい、力になりたいと声を掛けたが大丈夫よありがとう、と礼を言われただけだった。やはり俺では無理なのか、と男は触るなと拒絶するイルカの細い背中を見詰めた。

火影の私邸に遺体は置いてあり、その夜の内に呼ばれたイルカは葬儀まで側に付いていていいと言われたが、特別扱いはいらないと顔を見る事もなく手を合わせてその場を辞していた。
夕方には葬儀の準備は終わった。葬儀場の夜間警備に残る数人の教師と応援の忍びに任せて、徹夜組は明日のために一旦寝に帰る。
残ると志願したイルカは誰が見てもぼろぼろで、いつ倒れてもおかしくないと心配した仲間に押し切られる形で後輩に送られて帰る事になった。
二人は薄暗がりの中無言で歩いていたが、重苦しい空気を破るように男が口を開いた。
「僕じゃ頼りになりませんか。」
返る言葉が怖かったが、聞かずにいられなかった。
「いえ、そんな事は。」
イルカは俯いたまま僅かに首を振り、立ち止まった。
「私は…。」
次の言葉が出て来ない。何と言えばいいのか。後輩の事は信頼しているが、今すがって泣くのは違うとイルカは思っていた。
何故私は、この人を頼れないの。
自分が解らない。結婚しようと言ってくれたのは、嬉しかった筈なのに。
「ごめんなさい、今は火影様の事でいっぱいで。」
だから自分を頼れと言いたいのだが、堂々巡りでイルカを追い詰めるだけだと後輩は諦めて、解りましたと肩を抱いて歩みを促した。
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