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二十九
イルカは手元の書類から目を上げた。
本選まであと二週間。誰とも連絡は取れないし、取ってもいけないと言われているため、この二週間は誰にも会っていない。
憔悴したような顔はよほど気の毒と見え、新しい情報はこっそりとイルカに伝えられる。以前のように全く化粧をしなくなったため頬や唇に血の気がない、と心配されて。すこぶる健康だが、こうして誤解されても情報が得られるなら笑ってフリをしていようと思うイルカだった。
そしてその話を聞き付けカカシがサスケを放り出して受付に現れた時には策を労した自分を責めたが、嬉しかったのは事実だ。
イルカが倒れたと伝わっていてどこの馬鹿がと怒ろうとしたが、アスマから聞いたとカカシが肩で息をしながら切れ切れに言うではないか。
仲間で食べようと作った重箱詰めの弁当で許して下さいと、イルカは深々とお辞儀をしてそれをカカシに押し付けた。
「カカシ先生もサスケもまともに食べてないですよね。」
「うん、そう。ご飯どれ位食べてなかったか判んないから嬉しいなぁ。」
見えない尻尾を振りながら去って行くカカシを見ながら、その場の者達は犬と飼い主か、と苦笑いしていた。
お前さ、と話し掛けられてイルカが思わず緩んだ顔を向けると何甘い空気出してんだよ、と話し掛けた男がなかばあきれたような溜め息を漏らした。
その向こうがカカシと付き合ってるのかと直球を投げたが、イルカはまさかと目を見開き、こども達のために見に来てくれただけじゃないのと眉を寄せた。
「ほら、ナルトなんか修行ほったらかして来ちゃいそうでしょ。」
「んーそうかもしれないけど。」
ではカカシがサスケをほったらかして来た事はどうなのか、と納得がいかないその場の仲間達だった。

「今さあ、びっくりしたんだけど受付にはたけ上忍来てさ。」
カカシがイルカを心配してわざわざ来てくれたのを職員室で知った後輩の男は、早くイルカを自分のものにしなくてはと焦り出した。
このままでは、カカシが自分の気持ちに気付いてイルカをさらって行ってしまう。イルカもまだ彼の気持ちに気付いてはいない、今の内に早く。
何と言われようと結婚してしまえばいいのだと、急いで指輪を買いに行って渡そうと、男はそれだけに頭が一杯になってしまった。
アカデミーの教師達は面白そうだと傍観していたのだが、男が早々に帰宅した事でどうも怪しい方向へ進みそうで、皆慌て始めた。

確かにあいつはいい奴だ、しかしカカシもイルカを特別に気に入っているようだ。これはあの人なりの愛情表現ではないのか、いやそもそもカカシはイルカを女として見ているのか、と職員室では議論が続いた。
「さらわれたところでカカシは奪い返すなんて出来ねえしなぁ。まあそん時はそん時だ、最良の結婚なんて当人が死ぬ時にしか判らねえだろうからな。おい、それより仕事しろよな。」
呼びに行った筈の交代が来ないと、受付から脚を引きずりながらやって来た特別上忍は、若い奴らをたしなめて手近な椅子に腰掛けた。
「やっぱりはたけ上忍はイルカの事、何とも思ってないんですかね。」
帰り支度の手を止めて戸惑いながら尋ねたイルカの幼馴染みにばぁか、と笑って
「カカシの笑った顔、見た事あるか。」
と特別上忍は周りのまだ帰らない教師達に逆に尋ねた。
イルカの前ではよく笑っているようだけど、と答えるとそうだろう、と特別上忍は頷く。
「夏に雪が降る位珍しいもんだ。」
じゃあやっぱり、と色めき立つ男達にただし、と特別上忍は釘を刺す。
「お前らは口を出すな。どう行動するかは本人次第だ。」
そんなあ、と皆がっかりするが、にやりと笑って特別上忍は上機嫌で去って行った。

「始まった! ねえイルカ先生、試合が始まったんだよね?」
わくわくした幼い声が、授業を始めようと本を開いたイルカの手を止めさせた。彼方から風に乗って拍手と歓声が聞こえたのだ。火影の試合開始の号令も、かすかにだがイルカには聞こえた。
ああこれでは今日も何も出来ないで終わるんだろうなぁ。いくら保護者の要望だから授業をしろって言っても、家にいるのと大差ない状況じゃないの。
この子ら毎日親に、今日は何をしたって言ってるんだろう。怖いな。

イルカに結婚を申し込むのだとやっきになった後輩は、勢いで指輪を買ってまた勢いで翌日に申し込んでいた。
イルカは断らなかった。しかし指輪は受け取らなかった。
前向きに考えるからもう少しお付き合いしましょう、と首を傾げて笑ったその姿に、男は以前より距離を感じた。
何かを、いや全てを諦めて決意をしようというのか。
イルカにも夢はあるだろう。もしかしたら人生計画が立ててあったのかもしれない。
違う、諦めるのは自分の想いだ。
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