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二十四
「そう…俺には言えないの。」
青い右目が曇るその理由はイルカには解らない。顎を掴む力がゆるめられた。カカシの指が離れるのが惜しいと、こんな時なのに思ってしまう。ちょっとざらついた、温かく大きな手はだらりと垂れて、イルカは見なかったのだがカカシの体の脇でぎゅっと握られた。
「あの、もうよろしいでしょうか。受付に入らなければなりませんので。」
「あ、うん。」
イルカに拒否されたカカシは、小走りに去る黒い尻尾の揺れる様を見ているだけだった。
何かを隠す素振りは俺だけに向けられたもの。昨日お菓子をくれた時は何でもなかったよなぁ。
生徒とか中忍試験とかじゃない、個人的な事か…余計俺には言えないよな。
カカシは背を丸め引き返した。勘は確かだが詰めが甘いと言われるのは優しさからで、それがこんな所でも顔を出す。
もう少しだけ詰め寄れば何かを引き出せたのだが、拒否されてはこれ以上押す事は出来ない。心にもやもやを抱えながら今は部下達の合否が先だと、カカシは終わりにした。

中忍選抜試験が開催されるからといって任務依頼がなくなる事はない。逃げたなくした、は待ってくれないからと火影は里の忍びを思い切りこきつかう。木の葉の里に使えない忍びはいない、この忙しい時でもどんな小さな任務でも受けるのだ、と他国にひけらかすのだ。
「中忍試験てのは、受ける奴らにとっては上忍や特上になるより残酷だよなあ。」
各里間の紛争は休止となって少しは暇になった受付で、小声で会話が続く。
「里の権力誇示とどいつが役に立つかの品定めされてな。やっぱ優秀な忍びがいる里に依頼したいもんなあ。」
莫大な金が動くんだぞ、アカデミーの屋根半分位オレの任務で出来てるかもな。と笑った特別上忍は立派な業績と引き換えに走れなくなって、受付と教師を任されていた。
歩けて口がきけて術が使えるなら、お前なんぞに年金払うのは惜しい、との言葉とは裏腹の火影の優しさだった。
「こんなになって、それでいいなら…止める事はしない。」
書類に目を落としたまま言う特別上忍に掛ける言葉もなく、しかし皆頷いて同意する。自分で決めた道だ。任務で死ぬなら笑って死ねる、それだけの覚悟をして育って来た筈だから。
でも死にたくなくて最後まで足掻くんだろうな、としんみりした空気を払うように誰かが笑ってそれを合図に、皆手元の仕事に戻った。
イルカは会話が終わって訪れた間が怖かった。つい後輩の優しい言葉とカカシの指の温かさを思い出してしまう。
きっついなあ、どうしよう判んない。誰か教えてくれないかしら。
今は中忍試験で手一杯で何も考えられないが、いつか結論は出さなければならない。カカシの事は諦めて、後輩にうんと言ってしまえばいいのかもしれない。嫌いではない、むしろ気は合うのだから。
イルカは受付の机に肘を付いて考えている内に居眠りをしたらしい。おい、と声を掛けられて気が付くと、笑いを押さえた顔が並んでイルカを見ていた。一人の指が自分の口元とイルカの口元を交互に指す。あら見たわね、と手の甲で拭いながらべぇと舌を出したイルカは、お腹空いてないのかなあ、と呟いて立ち上がった。
慌てて手を合わせてイルカ様ぁと合唱する彼らに頷き、イルカは給湯室からお茶と握り飯と漬け物を運んで来た。
「やるわよ。」
「来たか、受けてやるぜ。」
イルカの気が向くと行われる、夜勤くじという深夜勤までの繋ぎの残業を決めるくじだった。普段は一発じゃんけんで決めているので、彼らには夕飯の前のこの握り飯一つすらありがたいが、中身が辛子のみの一個を当てた者が残らなければならないという情けないものでもあった。
「…当たり。」
最後に取ったイルカが当てた。おお悪いなあ、と言う声が嬉しそうだったのは聞き間違いではなく、しかし声の主を見付ける前に全員消えていた。イルカは諦めて今日の報告書をまとめ始めた。

「あれ、こんな時間にどうしたんです。」
顔を上げればカカシが報告書を持って立っていた。気付かなかったのは失態だと汗が滲む。正直さっきの今では会いたくないが、この場では逃げ出せない。
握り飯のくじの話をしてやって、まだ辛子が口に残ってるんですとイルカは笑った。
うん普通だ、良かった。だけど今日はもう、カカシ先生帰って欲しいな。
カカシは何か言いたそうだったが、さえぎるように扉が叩かれ、入って来たのはイルカの後輩だった。
動揺を押さえて笑みを作り、どうかしたのかと声を掛ける。
「残業だと聞いたので。僕も今終わったんで食事に誘いに来ました。もう少しでしょ、手伝いますよ。」
後輩はさっと受付の裏に回って隣に座った。いいから帰って、と言おうとしたが報告書の束をめくり始めてはイルカも何も言えない。
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