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二十二
「隠れているのは誰かしら?」
それに答えるように塀の内側の植え込みの陰から声が聞こえた。
「ほら見つかっちゃったじゃない、馬鹿!」
「オレじゃねえってばよお。」
「お前の気配が漏れてるんだ、阿呆。」
そんな大声出して仮にもあんたら忍者だよねえ、とイルカは声を殺して笑った。
いったいどうしたの、と再度声を掛けると話し声がぴたりと止まる。階段を降りて茂みを覗けば、元教え子達が押し合いへし合い隠れようと悪戦苦闘していた。
イルカの顔を見てサクラが諦めて立ち上がり、先生の早退を心配して様子を見に来たのだと言った。
大丈夫よ、と笑ってみせてもナルトは渋い顔で睨み付けて信用しない。息抜きさせてくれただけよと説明して部屋に通そうとしたが、出掛けるならば遠慮すると珍しくナルトが帰ろうとした。お茶くらいなら、と誘うとちらりとサクラをうかがう。
ああ言い含められたのかとイルカは微笑み、では買い物に付き合えとサクラに言うとそれだけならと、嬉しそうな顔で渋々といった声でうなづいた。
飛び上がらんばかりのナルトを両脇から押さえて、分別のあるこどもらは目で合図を送り合った。それを見ないふりしてイルカは誰に頼まれたのかと考えて、やはり心配性のあの方かしらと頭に浮かんだ髭の年寄りに、すみませんと心で手を合わせた。
お菓子の材料を買うのだと解ると、サクラは久し振りに食べたいとねだった。以前はよく作った物を職場でお裾分けし、彼らにも分けてやっていたのだ。
じゃあ明日ね、と約束すると俄然やる気になってイルカは夕飯の後にお菓子作りに没頭した。ふわりとした小さな焼き菓子をひたすら焼き続け、甘い香りに飽きるまで作ると数は百を越えていた。

早朝の受付では取り合いになり、職員室では次から次へと催促された。無理矢理用事を作りイルカの様子をうかがいに来たカカシは、騒ぐ忍び達に何事かと驚いた。
「はい、カカシ先生もどうぞ。」
カカシの顔を見て胸は高鳴るが、平静を装いついでのように渡す袋にはカカシの分だけ出来のいい物を多目に入れてある。
「美味しい。え、手作りなの、凄い。」
カカシは早速お菓子を口に運んで、嬉しそうに手元の袋とイルカを交互に見やった。
ぱあっとイルカの頬が染まった。まさかこの場で食べてもらうとは思わなかったから。
「あ、それはよかったです。お口に合って私も嬉しいです。」
何かもっと上手に言わなきゃ、と思うがそれ以上は言葉が続かず、イルカは軽く礼をすると授業だからと手元の書類を抱えて立ち上がった。
教室まで歩きながら、イルカは震える手とおさまらない鼓動を落ち着かせるために何度も深呼吸をした。
びっくりしたなぁ、まさかあそこで食べるとは思わなかったし。でもカカシ先生、美味しいって言ってくれた。

この日は一日、何をしたかさえ記憶にない程浮わついていた。緩む頬を押さえるのに奥歯を噛み締めて顎が疲れる位に。
けれど受付の窓から見知らぬ女性と歩くカカシを見掛けた夕方、イルカはどん底に突き落とされた。
「お、あれか噂の上忍は。」
隣の男がイルカの視線の先の二人を興味津々に見詰めながら、聞かれもしないのにまくしたてる。
何でも雨の里の忍びで昔カカシに任務で助けてもらって以来、好きだと言ってちょくちょく訪ねて来るのだそうだ。カカシのために上忍になったのだとか、今回の中忍選抜試験にも試験官補佐として名乗り出たのだとか、イルカの全く知らない事ばかりだ。
まだ続く話も耳に入らなくなった。
近付けて話が出来て自分を知ってもらえて、これ以上何を望むのだ。諦めろ、と声が聞こえる。
解っているわよ、と心で呟く。私はあの人とどうこうなろうなんて思っていないわ。
嘘だ、見ているだけでいいなんて嘘ばっかりじゃないの、あんた。とまた声に真実を突かれて胸が締め付けられる。
うんと伸びをして吹っ切るように勢いよく立ち上がるとイルカは急いでいるからお先に、と走り出した。家までを全力でただ突っ走る。音をたてて扉を閉めた玄関の内側で、膝がかくんと折れて座り込んでしまった。

どれだけ冷たい床に座っていただろうか。お腹が鳴って気が付いた。こんな時でも体は正直に空腹だと訴えるのだ。
イルカは配ったお菓子の残りがわずかにあった事を思い出した。鞄から取り出した時に一緒に出てきたのは可愛い柄の小さな紙袋だ。
何だっけ、と開けてみると有給休暇を消化した教師仲間の旅行の土産だった。
金色に光る鎖には緑の玉が付いていた。一目で宝石と判る。イルカの誕生石。
行き先は宝石の産地だと言っていたか。だからと言ってこんな高価な物を―。
添えられた小さなカードには石の意味が書かれていた。
幸福。新しい始まり。
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