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二十一
里中の張り詰めた空気が唯一ゆるむ場所が、アカデミーだった。こどもらには中忍選抜試験は憧れではあるが遠い雲の上の話だし、他国のお偉いさんなどただのおじちゃんでしかない。つまり日常は変わらないのだ。
だからシカマルやチョウジはよくサボリに来て校庭の木の上で寝ていたが、プレッシャーになってはとイルカはあえて放っておいた。たまに小さな生徒達にその幹の根元で、試験に挑戦する彼らがどんなに大変でどんなに偉いかと話してやるのは、シカマルの鍵を掛けてしまい込んだようなプライドを刺激して良い方向に向かったようだ。
女の子達は帰宅するイルカを待って、帰り道に他愛もない話をするだけで元気をもらえたと喜んでいた。内緒よ、と甘味をおごってあげた時にはさすがにヒナタが泣き出し、不安をイルカに打ち明けた。
イルカは当然のように泣き止むまで抱き締めてやっていたが、その間にも他の子達の不安を和らげようと絶えず会話を交わし続けた。
やはりイルカの存在は大きいと上忍師達は感心していた。こども達は結局誰も、彼らには愚痴の一つもこぼす事が出来なかったからである。食事に誘い場を作ってやっても、にっこり笑って大丈夫ですとかわされた。

サスケは絶対来ないと思っていたが、そのサスケですら一度職員室にイルカを訪ねた。
暇だから、と誰にでも判る嘘をついてしばらく空いている椅子に座りイルカの授業の準備を眺め、気が済んだのかいつの間にか消えていた。そこにいる間は手をつけなかったお菓子と共に。

そうして時は流れて。
里に他里の忍び達が増えて、第一の試験の日が近付いてきた。今年の試験はどんなのだろうと、毎年変わる内容に忍術か体術かとヤマを掛けて対策を練る者すら出てくる。
イルカも覚悟を決めようと思うが、どうにも心配で寝られないし仕事も上の空になりがちだった。毎日ミスして毎日主任に怒られて五日目、イルカは自分が情けなくなって校庭の隅で泣いた。
泣き声は放課後の生徒達の声に消され、姿は校舎と大木に隠され、誰も気付かないだろうと思われた。けれどそこへ気づかうように掛けられた柔らかな声は、イルカせんせぇと甘ったるく伸ばされて。
気配が読めなかった事より、泣いているのを知られた事の方をイルカは悔やんだ。泣き顔はぐしゃぐしゃだ、振り向けない。すすり泣きは止まったが、動きも止まったままだ。
そのままでいいです、と言う声も語尾を伸ばしながら、事務の女の子はイルカの後ろに少し距離をおいて立っている。
あたしで良ければ話して下さい、と意外な言葉にイルカはえっと思わず振り向いた。所在なげに体をくねらせながらその子は、カカシ先輩が見てきてって頼むんですよぉとにっこり笑った。せんせぇって随分愛されてますねえ、と言われてイルカは目と口を開いた間抜けな顔になった。
え、と聞き返すとその子は少し困ったように眉を寄せて肩をすくめた。
「先輩ったら自分じゃ何もしてやれないからって、よりによってあたしに言うんですもん。失恋決定ですう。」
何を言うのだろう、とイルカは固まったままで、しかし事務の子はかまわず続ける。
「せんせぇが頑張りすぎなのは皆知ってます。無理だって解ってるけど、たまには休んでくださいね。あたしも頑張ってもっと役に立ちたいです。」
ふうと息を継ぎやっと言えた、と呟くとはいせんせぇの荷物です、と鞄を差し出す。今日の残りの仕事は皆で分担してくれたと言う。
イルカの手に鞄を押し付けて、女の子は走り去った。その後ろ姿の先の建物の二階の窓から隠れるように覗く数人の影が見えて、それに向かいイルカは深くお辞儀をした。
このまま帰るしかないか。皆に心配かけすぎちゃったかな。
何だかよく解らないけど、とイルカは先程の会話をいや一方的に言われただけだが、思い出しながら歩く。
カカシ先生にはまたご迷惑をおかけしたみたいだわ。私なんかに気を使ってくれなくてもいいのに。
イルカは女の子の言葉の意味を考えもしなかった。ただ皆にも心配かけたという事で頭がいっぱいになってしまったのだ。
まだ明るい時間に帰宅しても暇なだけだった。持ち帰りの書類も仲間達に振り分けられたと、鞄の中にはその旨を書いたメモが一枚。
お茶を飲みながら、久し振りにお菓子でも作ろうかと思い立った。母の仲良しだった綱手のために酒のつまみが一番の得意になったが、イルカは甘いもの好きな父のためにお菓子も作るようになっていた。食品の棚と冷蔵庫を覗きこのところ外食ばかりで食材は殆どなかったと思い出し、ついでに買い置きもしようと着替えて外へ出た。
あら、と感じたよく知る気配に、イルカはアパートの二階の階段の一番上にしゃがみこんだ。
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