15

十五
ぞくっとした。
同時に感覚的な何かがカカシの中に渦巻いて、ふいと落ちて消えた。あまりにも些細で一瞬の事だったため、カカシは酔いがさめて冷えてきたのだと思う事にした。忍びの勘もあてにはならないな、と。
―イルカ先生、起きて。
優しく低く、カカシの声は響いた。懐かしい感じだと思いながらイルカはカカシの背中からするりと降りると、寝ぼけながらも鍵を取りだし、目を閉じたまま慣れた手つきで玄関を開けた。
―おやすみなさい。
優しい声を背中に聞き、おやふみなひゃいとろれつの回らない言葉を返してイルカは玄関を閉めた。
しかしそのまま倒れ込むではなく、それが日常であるがごとく器用に両足だけで靴を脱ぎ、イルカは握っていた額宛てを床に投げベストを脱ぎ捨て、台所を三歩で横断すると奥の部屋のベッドに倒れて眠ってしまった。

朝の日射しは直接イルカの顔に当たり、耐えきれずに目を開ければ、目覚まし時計の針は出勤まで一時間を少し切る時間を指している。
素早く時計を掴み時間を再確認して、イルカは妙な声をあげると風呂場に飛び込んだ。とにかく酒の匂いを流さなければ、となかなか熱くならない湯を溜めながら、イルカは二日酔いに負けて湯船の中にしゃがみこんだ。
湯はなかなか溜まらない。イルカは時間が気になり、石鹸を泡立てそのまま中で体を洗い始めた。時間はないが、全身を綺麗にしなければ気がすまない。
イルカの酒好きは誰もが知るところだが、翌日に残さない良い飲み方だと言われている。
まさか昔酔ってアパートのひと部屋壊したなんて言えないし、それでお酒を取り上げられて三代目に逆ギレしたなんて、…言えないよねえ。あれ、幾つだったっけ。まだ下忍だったから十五かな。それを何処で聞いたんだか、あの綱手様が放浪先から連絡をくださった時は非常に困ったもんだわ。
伝説の三忍の一人、綱手はイルカの母と親しかったらしい。博打で負けると逃げるように放浪するが、こっそり帰って来る度に母は幼いイルカを連れて居酒屋に会いに行っていたと、かすかな記憶があった。
つまり、イルカを仕込んだのは綱手だったのだ。だからアパートを壊した時は、三代目が綱手に元はお前のせいだ弁償しろ、と激怒したのだとはイルカはいまだに知らない。
ああ、お元気かな。お会いしたいな。
懐かしさに気をとられ、体をこする手が止まる。くしゃみで我にかえると、イルカは慌てて流れ出る湯で泡を流して湯船から出た。
髪を洗って乾かす余裕などない。イルカは湯にひたし固く絞ったタオルで頭皮を揉むように拭いてさっぱりすると、ようやく目を覚ました。
あと十数分で出なければ遅刻だ。着替えながらイルカはご飯を握り、海苔を巻いて口にくわえた。
握り飯を頬張りながら授業の資料を鞄に詰め、イルカは靴を履いた。壁の鏡に笑うと歯に海苔が張り付いていたが、靴を脱ぐのももどかしい。台所の食卓の飲みかけのお茶まで這って行き、お茶でうがいをした。
これでよし。背筋を伸ばし、大きな鞄を斜め掛けにしてイルカは早足でアカデミーに向かった。

おはようございます。
と会う人に挨拶しながら歩いていると、アカデミーの門に寄り掛かるようにして立つカカシが見えた。
部下のこども達を待っているのかと思いお辞儀をして通り過ぎようとすると、カカシはイルカに声を掛けてきた。
「ちゃんと出勤出来ましたね。よく眠れたようで安心しました。」
何の事かといぶかしげな顔になったのだろう、カカシは笑って自分の背中とイルカを交互に指さし、よいしょと背負う真似をした。だがイルカにはまだ理解出来ない。
「ゆうべはどうやって帰りましたか。」
そこまで言われてイルカはようやく気が付いた。確かに歩いた記憶がない。目覚めたのは自分のベッドだったけど、と思い出してもまるきりその前だけ抜け落ちていた。
えぇぇぇ―。
自分の発した大声に驚いて、イルカは思わず手で口をふさいだ。登校途中のこどもらが立ち止まって、不思議そうにイルカを見つめる。
何でもないのよ、と慌てるイルカの赤く染まった顔が可愛いとカカシは微笑んだ。
「もしかして私、またやっちゃった。」
「またって、よくやるんですかおぶわれるような事。」
ぶんぶんと音のする程首を横に振り、イルカは否定する。
「いいえ、引きずられて帰る位です。私は知らないですけど皆がそう言うし。」
あんまり変わらないと思うけど、とカカシは肩を揺らして笑う。なるほど慣れた手付きで鍵を開けてたなあ、と意地悪く言ってみるとイルカは困った顔になった。
気にしないで、と慰めても気にする事は判っているので、カカシはまた今度席をもうけましょうと笑いを噛み締めながら受付へ向かった。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。