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32 新月 月齢二十九
おお、なかなかいい感じじゃあねえか、と玄関から中を見渡してアスマはそれなりに褒める。イルカの色に染めちゃったってトコよねえ、と紅は意味ありげに笑って、迎えに出たイルカに抱き着く。
二人が家を訪れたのは、アカデミーなら昼休みの時間だった。
時間の指定はしていなかったが、遅くなったと悪びれもせずに二人は酒をたんまりとかかえ、引きずるように持って来た大量の新鮮な海の幸山の幸を差し出して土産だと言う。
取り敢えずお茶でも、と四人で座った居間で用件を言うベく、オレはイルカの手を取った。こう云う訳で、と左手を揃えて見せれば、二人同時に茶を吹き出す。
二の句が継げないと云った顔の二人に、これから書類を出すので署名人になって欲しいのだとオレは頭を下げた。少し後ろに控えるイルカも頭を下げて返事を待つ。
アスマと紅は顔を見合わせ眉をしかめたのち、仕方ねえなと書類に名を書くべく手元に寄せた。ホッとしたような顔のイルカは、手土産の食材でまず酒の摘みを作ろうと台所に引っ込んだ。
それを見届けてアスマは言う。いいのか。
何が、と疑問を返せば、かなり厄介な事に為ったんだろうと呟いて。お前ならとうに捨てたと思ってたんだがな、と言われて過去のオレならそうだったなと鼻で笑った。
これを見ろと胸をはだければ、薄く色付く蝶の形が紅に悲鳴を上げさせた。これ解るだろう、と笑ったオレの顔は多分この上無く幸福な悪魔の笑みを浮かべていたのだと思う。
やっぱりお前は狂ってるんだ、とアスマは堪えていた笑いを声に出した。
楽しそう、とイルカが酒と摘みを運びながらオレ達に話題を尋ねる。
オレはイルカに口付けると、先に届けを出して来ますと薄い紙を懐にしまい、客も捨て置いて家を飛び出した。
火影の元へそれを提出すれば心からの安堵の笑みを見せて、宜しく頼むと頭を下げたまま一向に動かない。ぽつりと小さな音が木の机に落ちて、オレは火影の思いに返す言葉を持たない。
必ず幸せにします、もう泣かせません。
気の利いた台詞も無いが、火影はうなづいて必ずだぞ、と念を押してオレを睨む。
是非一度家にお寄り下さい、イルカも喜びます。と挨拶をしてオレは帰宅の途に着いた。多分もう二度とイルカは此処へ来る事は無いのだと思うと、歩みは自然遅くなる。

カカシが突然出て行って、イルカはお客さんを放っておいて、と困った顔になる。
カカシが居ない間に聞くけどね、と紅が距離を詰め本当の事を言いなさい、とイルカの目を見詰める。自分の意志なの、と聞かれ迷いも無くうなづいた。
二人に背を向け、するりと上衣を滑らせて背中一面の蝶を見せる。紅の綺麗と云う声に被せるように、無理すれば解けるんです、と柔らかくイルカは言う。私の寿命を十数年程縮めれば。
私が死んでもあの人は数ヶ月寝込む位で済んじゃう程には出来るんです。但し今の私にはチャクラが無いので、誰かの力を借りなければなりませんが。
す、と上衣を着直して二人に向かうと、でも私はそれをしません。もしかしたら、いつか私の死期が見えた時に解いちゃうかもしれませんが、でも今の私はあの人と一緒に死にたいと思ってますから。ああその前に、私にチャクラを貸してくれる人なんていませんね、と指輪を見詰めて目を細める様はさっきのカカシと同じだと、アスマと紅はそっと目を伏せた。
だから口角を上げて薄ら笑いをし、お腹に手を当てたイルカには二人とも気が付かなかったのだった。
火影様にお聞きになられたと思いますが、とイルカの声色が変わる。そう二人は午前中、火影に呼び出されて詳細を聞いた為に此処へ来るのが遅れたのだ。
のちのちの事を一切、お二人にお任せ致します。とイルカは手を着き、頭を床に擦り付けて土下座する。私とカカシさんには身寄りが有りませんので、有事の際には頼る者もおりません。面倒だと思われるでしょうが、どうか宜しくお願い致しますと言われて、案外お人よしのアスマは照れてそっぽを向いた。やれやれと紅は笑って、出来る限りの事はしてあげるからとイルカをまた抱き締める。
その内にカカシが帰宅して、改めて明るい内から酒宴は始まった。

どうしても今日、届けを出したかったのだとオレが言えば、何をそんなに焦るんだと笑われたが、オレに言える訳は無いだろう。新月から新月までの間でイルカを手に入れると決めた事など。
それどころか自分がつかまっちまったなんて、余計格好悪いがね。
今日はちょうど新月。
窓から青く澄んだ空を見上げれば、真昼のうっすらと白い新月は、まだ頭上高い。

    終
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