29

29 月齢二十七(前)
今度はオレがひと晩眠れなかった。気を失ったままのイルカを家へ連れ帰り、結界を張り直して更に強固なものにした。
あの時―イルカはチャクラが流れ込む、と言っていた、自分の中へ。
ベッドに眠るその顔は、透けるように色が無い。オレの背に恐怖がまた這い上がる。イルカが、死なない迄も何処かオレの知らない所へ行ってしまうのではないかと云う恐怖。
イルカは意識のないまま時折うなされ、額に汗が浮く。それを拭いてやりながらふと顔を上げて外を見ると、東の空が白んで夜明けを告げている。イルカの息が穏やかになり安心すると、オレも二日眠っていないので流石に眠くなり、イルカの脇に滑り込みその体を抱き込んで眠った。
二人揃って目を覚ましたのは、街が完全に動き出した頃だった。オレは数時間の睡眠で問題無く動けるが、今のイルカには忍びと同じ生活は出来ないのに、まだその感覚が掴めないから無理をする。
オレに合わせて起き上がろうとするイルカを止め抱き寄せる。あ、と声を上げオレを見上げて昨日は無断欠勤したのだと慌てるイルカに、一昨日倒れたのだから昨日は休んでも誰も文句は言わないでしょ、と言えば納得しない様子で眉をしかめる。真面目なんだから、と笑えば当たり前ですと枕で頭を叩かれた。
今日は行かなくちゃ、とイルカは言うがその言葉に躊躇いが見える。結界の外で他人の気に中てられて倒れた事を思い出して。
ならばオレも行きましょうと提案すればあからさまに拒否されたが、原因は解明したいイルカはそっとオレの袖を引いて、やっぱりお願いしますと掠れた声で言う。今もイルカのチャクラが細々とオレの中に流れ続けているのを感じる。小川をせき止めれば池になるのと同じように、それを止められればイルカもチャクラを溜められるのだろうと思ったが、呪を掛けたイルカにも解するのは不可能らしい。
イルカが無意識の意識下で記憶を操作し、事実を許容出来ず無とする事も、情報も要不要を選別し認識すら除外した事も、全てチャクラが無ければ出来ない。抑制も開放も言霊や呪詛に依るのだが、それもチャクラが無ければ出来ない事で。
忍術と同様に。
だから今のイルカには制御出来ないのだろうと、オレは薄々だが理解してきていた。
イルカの頬に手をやれば相変わらず弱々しい気が糸のように一本、オレの中に繋がっているのを感じる。 昨日の情交の時にはお互いが奪い合い与え合ったからか、それはオレ達の全身を包む繭のようなモノだったのに。
必ずオレが守るからと、口付けてイルカの体を包むように気を張った。オレの両の掌からはチャクラが流れている。イルカの手でも肩でも触れた所からそれは流れて全身を覆うだろう。大きなコントールは要らない。イルカとオレのものが混在しているのだから。
電流と似ているかなと思う。流れて巡る。ふと、不安が一つ。ではこの流れを断ち切るような、雷切のようなチャクラが存在するならば。力を籠めて手を握りそんな事はさせないと、嫌な考えを隅に追いやる。
ゆっくりと歩いて里の中心に向かう。手を繋ぎイルカは更にオレの腕に縋って、下を向いたまま動くのを拒否する足を前に出し続ける。
またチャクラの波に襲われるのではないかと街なかに入るのを躊躇ったが、襲われたのはチャクラではなく界隈の知った顔ばかりだった。元気かい、顔色良くないよ、なんだいいい男捕まえたんだね、早く子どもの顔見せてくれよ、お茶飲んで行かないかい。優しい、温かな気はイルカの硬い心を揉みほぐす。

中央の建物に向かう程にイルカの歩みが遅くなる。オレは繋いだ手を離す事なくイルカに合わせて歩くだけで、一番先に行きたがった火影の公務室の前に着いた時には、二人共一歩も踏み出せない状態だった。待ち構えたように中から火影がオレ達を呼ぶ声がして、オレはイルカの手を引いて中へ入ろうと足を踏み出した。躊躇ったイルカの手がするりと抜けて宙を掻いたのち、間があってイルカの悲鳴が辺りに響き渡った。その体は内側から拒絶の様を示しのけ反り、崩れ落ちていった。オレは振り返り、ただ茫然とそれを見ていた。
イルカの体が床に叩き付けられる音が聞こえた。
火影のお付きの者達が飛び出して来て、イルカを扉の中へ素早く運び込むとオレの腕も引き、中へと押し込んだ。たたらを踏んで立ち止まったオレを火影は睨んでいた。
今のイルカからチャクラを感じない。扉の外にはカカシとイルカの二人分あったのに、と火影は低く唸るようにオレをぎりりと更に睨む。
それは一昨日倒れた事と関係あるのであろう、あの時もイルカのチャクラは殆ど無かったと聞いているが。答えろカカシ。
静かだがイルカを苦しめるのは許さない、と血を吐くように言葉を続ける火影の顔は、今まで見た事が無い程恐い。
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