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26 月齢二十四
耳元でお早うございます、と囁かれオレはゆっくり目を開ける。
久し振りの晴天で部屋の中に眩しい光が満ちている。イルカが既に服装を整えて出勤の支度を終えたのが目に入り、オレは手を伸ばして側に引き寄せた。
アカデミーに行って家で出来る書類を貰って来ます、と笑ってイルカはオレの頬に唇を寄せた。左だけ、と拗ねて見せると、ではと右頬に口付けて少し距離をとり最後にオレの下唇を軽く噛んで微笑み、行って来ますと走って出て行った。
赤い耳と頬が可愛かったな、と思い出しながらオレは幾分昨日より軽くなった体を起こし、居間の座卓の前に座る。ダイニングの椅子に腰掛けるのは案外疲れるものなんです、とイルカは床に座ってメシを食う事を勧めてくれたのだ。いつもよりこんなに回復が遅いのは何故かと、不思議に思い手足を見るが何も変わった事は無い。他に理由も見付からず、もしや胸の蝶のせいかとその場所を撫でる。温かな朝メシの味噌汁を啜っている内に忘れてしまったが。
天気も良いし暇だしと、オレは縁側に胡座をかき内庭の木々を見た。リハビリにと忍具を手に取り、腕馴らしに一本の幹の中央にクナイを投げた。カツンと乾いた音をたて真っ直ぐ突き刺さる。十本のクナイを半分ずつ両手に持ち、交互に一本ずつ間を空けずに投げると、最初の一本を中心にしてクナイは円の形に突き刺さった。こんなもんかな、と独り言が口から出て、おや年をとったかなと笑いが漏れた。
次は、と姿勢を正し片膝を立てた待機の型をとり、十字手裏剣を握り込む。これは厚みがあるので五枚か六枚程度が限界だ。中央の穴に軽く中指を引っ掛け、人差し指を添えて手首を捻る。オレの右側、手が届くかどうかの距離に木の葉が舞うのを目の端で捕え、数枚を同時に貫いてその先の木に刺さった。…筈だったが、手元が狂い我が家の外壁に刺さっている。オレは溜め息と共にうなだれると、誰にも見られなくて良かったと力を抜いた。
もう一度と気合いを入れ直し、舞い落ちる葉を続けて狙った。今度は逸れる事なく、幹には縦に手裏剣が何枚か並ぶ。
勘は鈍っていないかなと自己満足に笑みが零れる。チャクラを試すべく気を溜めると、一枚の舞い落ちる葉を指差す。ポッと燃え上がり、地面に落ちる前に葉は燃え尽きた。ふ、と息を継いで印を組み、庭の片隅の何が住んでいるのかも知れない池を見詰める。水が一本の筋となり上へと昇るが、オレの身長程で止まって崩れ落ちた。音をたてて池へ雨のように降り注ぐ。まだチャクラは足りないか。
少し疲労を感じてオレは暖かな陽射しの中、縁側に横になった。太陽は西へ傾き始めているが、閉じた瞼にじかに当たる陽射しは眩しくてちょっと痛い。ふいに日が遮られ、オレの顔が陰に入ったのが判った。
ああイルカ、と目を開け口に出してからオレは慌てて起き上がった。脇に正座したイルカが顔を赤らめ、はいと俯いて返事をした。
イルカ先生、と言い直すと呼び捨てで構いませんと笑うので、改めてイルカと呼んだ。ではオレもですと返せば、長いこと躊躇いやっとカカシさん、と小さな声が聞こえた。じんわりと心に染みるものがある。言霊というものは本当にあるのだとオレは実感した。愛してると、その言葉で一生お互いを縛り付けたいと思うのもオレの真実だ。なんか青春だっと言われそうな思考に自分が恥ずかしいのは、穏やかな陽気のせいか。
大変遅く為りましたがお昼を作ります、と立ち上がりかけたイルカは、そうそう火影様に知られてしまいました、とオレの胸に手を当てる。まだまだ死ぬ事は叶いません、と火影に泣かれたと密かに笑んで言う。
ですが、とイルカは座り直しつ、と視線を庭の景色に外す。眩しさに目を細めて何事も無かったかのように、冷静にイルカは言う。
それよりも酷い事を私は、火影様にしてしまいました。
何を、と言おうとしたオレを遮るようにイルカが言葉を続ける。
全て終わりました。カカシ先生、いえカカシさん、もうそろそろ体も元通りになると思います。チャクラ不足も殆どなくなる筈です。これから先、写輪眼の使い過ぎで帰れなくなったり、チャクラの回復に何日も待つ事は無いのです。
どういう事、とオレは嫌な予感と恐怖に臓物が喉までせり上がるのを抑える。
―やめろ、それ以上言うな。
術を掛け終えたんですよ、と平坦な笑顔。
―オレの全身から汗が吹き出す。
私、忍びとして生きていく事は出来なくなりました。
―眩暈がする。
出来うる限り、私のチャクラをカカシさんに与えましたから。
―何を言っているのか解らない。
この数日、思うように体が動かなかったのはその影響です。黙っていてごめんなさい、と頭を下げたイルカに何も言えず、オレはただその小さな体を抱き締め、声をたてずに泣いた。夕日が落ち、縁側を月が照らすまで。
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