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八月 その六
観客は、三人を見守る。
ツグナリは右手に取ったイルカの手と、左手に取ったカカシの手を重ね合わせた。
「もう、いいんですよ。」
優しく二人に言う。
「最初から解っていました、お二人が愛し合っている事は。」
思わず重ねた手を引っ込めようとするが、二人の手は何故か動かない。ツグナリにそんな術は掛けられない筈だとカカシは尚も力を籠めたが、やはりびくともしない。
「想いが強すぎるんですね。無駄ですよ。」
「なっ…、馬鹿な。」
カカシが動揺したのも無理は無い。只想うだけで離れられない、など有り得ない。見ればイルカも慌てた様子で幾つもの解の印を片手で結んでいるが、やはり重ねた手は離れない。
「認めればいいんですよ。」
ツグナリが重なった二人の手を高く掲げ、観客に向かう。
「先程の舞いを見ていただき皆様にもお解りのように、お二方は私の為、国の為に互いの気持ちを封じ込めようとしておりました。ですが。」
私は馬に蹴られて死にたくはないですからね、と皆の緊張の糸を解すように笑うと、ツグナリは前を向いた侭後退りを始め、行くよ、と後ろに声を掛けた。振り向いたカカシとイルカがその目に捉えたのは、緞帳の陰に隠れる美しいが地味ななりをした娘だった。
いきなりツグナリがその娘の手を握り、引いて走り出した。ハヤテが後ろに付き、時折振り向いては追っ手を確認するように視線を走らせる。
アスマさん、と境内に下りるとハヤテが叫んだ。おう、と応じたアスマが何人かの暗部を引き連れてツグナリ達の逃避行の先導を始める。勘当だ、と言いはしてもあの父親が自分を手放す事は有り得ないと、舞台に出る直前にツグナリはアスマに護衛を頼んでおいたのだ。
「ツグナリ様、これはお返し致します。」
とイルカは首の鎖を千切り、いつか贈られた指輪を放り投げた。あの人が選んだ物だ、とツグナリに付いていく娘を見た瞬間に気が付いたのだ。そしてイルカの指に合わなかった理由も、判った。嫉妬、ほんの少しの意地悪―。私もやるかも、とイルカは笑って見送った。
ありがとうございます、と動いた娘の唇を読むと絶対幸せになって、とイルカは叫んだ。もう表情の判らない程遠くへ行ってしまった二人に日頃鍛えた声は届いたのか、振り返ってツグナリが頭上に拳を突き上げたのが返事だったようだ。
ほう、と肩で息をするとイルカはあっ、と我に返り、両手を握ると胸に押し付けた。いつの間にかカカシの手が外れていたのだ。
何故あれほど固くくっついていたカカシと自分の手が易々と離れたのか。温かく大きな手を思い出しながら両手を握り締めていると、イルカの肩にそっとその手が置かれた。
「舞台へ戻りましょう。」
カカシが素顔を晒して笑っている。さて、と髪を掻き混ぜ前髪を垂らし、左目を隠すと、少し怪しい風貌に為った。
「あまり顔は見せたくないんですが、隠した侭では真実味が無いですから。」
え、何が、と問う間もなくイルカは再び舞台へと連れ戻された。両袖には忍び達が鈴なりに立つのが見えたが、警備はいいのかな、と自分がこれからどうなるのかなんて考えもせずに歩く。
二人を照らす照明が、やけに眩しい。俯いて目に入らないように四苦八苦している間に、カカシが観客に向かい何かを言ったようだ。舞いを披露した時よりも大きな歓声が聞こえ、イルカは驚きの表情で顔を上げた。
何? とカカシを見れば、イルカの右手を取りひざまづく。
人前で何を、という言葉は歓声に掻き消された。カカシがゆっくり顔を上げイルカを見詰めると、観客は一斉に声を静めて成り行きを見守る。言葉一つ、動作一つ、二人の指の動きまでも逃さぬように。
「イルカ先生、結婚して下さい。」
よし、よく言った。という声が後ろの忍びから聞こえると、その男は周りから頭を叩かれた。馬鹿、黙ってろ、と言った隣の男もまた叩かれた。
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