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八月 その五
カカシの舞いが緩やかに始まる。摺り足が止まりとん、と一つ鳴らす、それがイルカへの合図だった。後方から神へと近付いて、しかし思い留まりくるりと引き返し、イルカは舞台袖近くで悶えるような仕種で扇を振る。貴方だけ、私の心も体も貴方だけのもの。さあ早く、私を殺して。
神はそれを見ながらも決して近寄らない。中央で人柱を捧げた民の為に、豊饒と平和の約束をする。お前達の願いは必ずや聞き遂げよう、と。
離れた侭でも伝わる、お互いの想い。けれど神と人間では結ばれない。そして。
神の決断。
面を着けたカカシが薄衣を翻し、イルカに近寄った。その表情は読み取れないが、想いだけは伝わる。愛してる。何があろうとお前だけを、愛し続ける。そこには神の、ではなくカカシの想いがあった。
そうしてゆっくりと衣が女を被うと、その体は崩れ落ち倒れ込んだ。
その時ざざっと境内の木々が葉を揺らし、突風が観客を襲った。皆思わず目をつむり顔を伏せた、その一瞬に二人の姿は消えた。
余韻を残しつつ謡いと鼓が止み、ハヤテ達が座った侭礼をした。
観客の拍手と歓声が一斉に沸き起こる。これで終わったのだと思ったのだろう。いや確かに舞いは終わった。しかし忍び達や長老達は、予想もしない幕に驚き、慌てた。
二人が消えたから。
それは皆の願いではあったが、まさか本当にカカシがイルカを掠うなど思ってもみなかったのだ。
反逆か。
里抜けか。
二人の後を追え、と指示を出す寸前にまた舞台に向けて拍手が起こった。忍び達が何事かと目を向ければ、神と人柱の女の衣装の二人が並んで座り手を着き、観客に頭を下げているのが見える。
よかった、あれは演出か。と、二人の仲間達は胸を撫で下ろす。逃避行を願いつつもそれを許す事は出来ない、辛い立場にあるから。
二人が顔を上げた。晴れ晴れとした、優しい笑顔だった。カカシも面は外していたが、人々には誰か判らない。あれは誰だろう、と囁き声が聞こえるが舞いが見られた事に興奮し、それ以上の騒ぎには為らなかった。

終わりましたね、とカカシの溜め息と共に吐き出された言葉にイルカはうなづいた。本当に最後なのだと顔を合わせて微笑み合う。そして立ち上がり、去ろうとする舞台の二人に、歩み寄る人物がいた。
「ツグナリ様。」
どうしたんですか、というイルカの声が聞こえないかのようにツグナリは中央に立って観客と、脇にしつらえた特別席をゆっくり見渡した。特別席には各国の国主ら招待客がいる。勿論そこにはツグナリの父もいる。
私は、とツグナリは朗々と自己紹介を始めた。そしてイルカと明日婚礼を挙げる事も。
それを知る観客達は、拍手と歓声で祝福する。
おめでとう、という声があちらこちらから飛ぶとカカシはいたたまれなくなり、くるりと向きを変え舞台袖へと歩き出した。待って下さい、とツグナリがその腕を掴みカカシの目を見詰めて言った。
「貴方には此処に居てもらわなくてはなりません。」
その真剣な顔と声に、カカシは何も返せず立ち止まった。
「私は、この方とは結婚いたしません。」
ツグナリは横に立つイルカの手を取り、父親の顔を見て、言い切った。
ざわざわと観客が騒ぎ出し、ツグナリの父は立ち上がって怒り、喚き始めた。舞台でもイルカとカカシがツグナリに何を言うのだと、詰め寄るように聞くが当人だけは只穏やかな笑顔を見せ、満足そうに星の瞬き始めた空を見上げていた。気が付けば、夕日が沈む瞬間だった。境内の、祭りの為に取り付けられた電球の束がいつの間に点いたのか、黄色く薄ら明るく辺りを照らしている。舞台に向けられた強い照明が三人を浮かび上がらせるのは、あまりにも刺激的で効果的だった。修羅場か、と容易に想像させる。
カカシが関係しているのだ、と皆は思う。しかし、ツグナリは予測のつかない言葉を言い放った。
「私には、先を誓い合ったひとが居ます。」
嘘だ、出鱈目だ、と叫ぶ父に向かい胸を張る男には、木の葉の里で初めてカカシ達に会った時の何処か遠くを見るような、定まらない目付きは無かった。
ああ、もう二度と会えないのだろうな。カカシは直感的に、ツグナリが国を離れるのだと感じた。
「何処へ行かれるおつもりですか。」
搾り出すような声が震えている事に自分でも気付いたイルカも、同様に感じたのだろう。
ツグナリは、父親に勘当されるように仕向けていたのだ。そしてそれは、現実と為る。二度と帰るな、と言われた。にやりと笑うと、ツグナリは二人の手を取った。
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