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七ヶ月 その三
静寂の中、またアカデミーの鐘が聞こえた。時計を見上げると、授業が終わる、そろそろ夕方と呼べる時間だった。いくら雨だとはいえ、任務を終えて報告書が次々と提出されるだろう。私も行かなければ。
静かに立ち上がり、イルカは小さなメモをカカシの枕元に置いて部屋を出た。

イルカの気配が完全に消えると、カカシはうっすらと目を開けた。胸で大きく息をする。
俺は間違えたのか。あんなに辛そうな顔をさせてしまった。一時の激情で想いは交わせたかもしれないが、あの人を更に追い込む事に為った。
俺は馬鹿だ。どうしたらいいのか判らないなんて、こどもよりも酷い。
くっ、と喉の奥で笑うとカカシは重い腕を上げ、瞼に当てる。じわりと滲む涙を、誰も見てはいないが隠すように。

これで、終わりだ。
あとひと月でイルカがこの里から居なくなれば、また平常に戻れるかもしれない。いや、戻らなければ。そしてイルカが慈しんだ里とこどもらを、俺は守らなければ。
腕の下からひと筋の涙が流れ、こめかみを伝いシーツにぽとりと音を立てて落ちた。
二人の想いが音の無い空間に吸い込まれるように、消えた。
雨は一晩中静かに細く長く降り続き、明け方に泣きつくしたかのように止んだ。そして、梅雨が明けた。

今年は早く終わって良かった、と農家の者達が遅延した侭の依頼を催促に訪れる。
長雨のせいで枯れそうな稲や、成長の遅れた野菜の為に、受付迄が駆り出される日々だ。

大祭の為に怪我も日焼けも許されないから、どんなに忙しかろうと草取りの任務にすら参加出来ない。
代わりに受付に一人で座らされたイルカは、忙しいながらも嬉しさに緩む顔を抑えられない。かつての教え子達に会えるから。
「せんせー、終わったよー。」
卒業したばかりの男の子が、よたよたと報告書を手に歩いて来た。早熟で、かつ血筋の為に早くに下忍に成ったから、イルカがとても心配していたこどもだ。幾つか年上の仲間達とも何とかやれているようで、報告にも連れ立って来る事が増えた。
机の前で背伸びをして覗き込み、七夕やるんでしょー、と語尾を伸ばす幼さに笑いながら、イルカはうなづいた。
「アカデミーのお祭りだもんね。楽しみよ。」
と仲間の女の子は、浴衣を新調したから絶対晴れて欲しいの、と言う。
昨日カカシも退院し、七夕は明日。今日も校庭にクラス分並んだ笹竹の飾り付けなどを手伝ってくれるのは嬉しいが、その笑顔が辛いとイルカは思う。
窓の外が賑やかだ。まだ明るく、夕日も沈む迄にはたっぷり時間がある。
帰宅途中の生徒達がカカシと部下の三人に何か話し掛け、皆笑ってそれに返している。
イルカは窓辺に寄り、何の話かと唇を読んでみた。何やってんの、と聞かれてナルトが…何、私の命令って。
「こらあーっ、何て事言うんだあぁ。」
窓を開けて怒鳴ってみれば、なんて気持ちのいい事。元より本気でナルトに怒っている訳ではないから、笑いながら怒ってるような顔に為った筈だ。
途端にわあっと声が上がり、三人がカカシの後ろに隠れようと争う。反応の遅れたカカシは、何事かと見ているばかりだった。
イルカはカカシに手を振り、もうすぐ行きますと指文字で示した。皆で待っていて下さい、と読んだカカシはこども達に伝え、三人は飛び上がってイルカに手を振り返す。
もう一度手を振り、イルカは帰り支度を始めた。そろそろ交代の時間だと肩をほぐしていると、先生お疲れ様でした、と可愛い声が掛かった。イルカの穴を埋める為の中途採用の新人教師だ。
何年も前の教え子がイルカを慕い、教師を目指してくれた。受付も、と自ら手を挙げたのでイルカは春から補佐に付き、最近漸く一通りの処理が出来る迄に為った。
もう任せても大丈夫、と帰るべく立ち上がる。宜しくお願いします、とイルカは年下の者にも礼儀正しい。

連れ立って一楽へ向かう五人を見送りながら、その新人は辛いわ、と独り言を漏らした。

珍しく晴れた、七夕の日。アカデミーの授業は午前中だけで、午後は夕方からのお祭りの準備に充てられる。雨が降れば軒下や武道場やらの室内で模擬店は出されるが、今日は絶対夜まで雨は降らないから、と確信して。
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