40

六月 その一
梅雨時は任務も授業も天気次第だから、毎朝が大騒ぎだ。結局イルカは朝から受付で、振り分けの手伝いをしている。
農耕関係は至急でない限り晴れの日にと、依頼人には受け付けた時に断りを入れておくからこの時期はかなりの量がたまるが、それらは半日もあれば済ませられる。安い分、一日に二つこなせばそれなりの報酬に為る筈だ。もっとカッコイイ任務が欲しいと駄々をこねる子どもを思い出し、ふっと笑みが零れた。
この忙しいのに何を。とうとうやられたか、と欝陶し気に見られてイルカは慌てて書類に集中した。今の状況が少し嬉しいのは、いつも通りな事がいつも通りに行われているからだ。自分はずっと此処に居られる、そんな錯覚が。ふとイルカは別の意味で微笑んだ。有り得ない事は考えてはいけないと、自嘲気味に。
祭りの準備は、自分を置いて進んで行く。婚礼の準備も、自分を置いて進んで行く。今月は、舞姫の披露の儀式がある。その後、繁栄と豊饒を祈る地域の小さな祭りが幾つもあるから、それらにも顔を出さなくてはならない。その神社の神様に、大祭への参加を請願する為に舞うのだ。だから、週末は全て潰れた。
婚約の儀もある。火の国国主の養女として嫁ぐ話は、いつの間にか火影の養女という形に落ち着いた。あちらの国ではどちらでも構わないと了承してくれたので、書類上イルカには新しく火影という父が出来たのだ。複雑だが、ちょっと嬉しい。それを知っても皆の態度が変わらないのも、嬉しい。
けれど。婚約の儀が終われば、カカシ先生と会う事が出来なくなるのだろうかと、いや話す位は構わないのだろうかと、そんな事ばかりが気になっている。馬鹿みたい。思春期の生徒達の方が、まだ思い切りがいいだろう。ふうっ。知らず詰めていた息を吐いた。
「悪いな、忙しいのに。」
疲れたと勘違いされて、イルカに声が掛けられた。首を振って笑う。
「楽しいから、大丈夫。」
あ、しまった。こんな言い方じゃ、思い出に為るから楽しんでおくみたいじゃないか。イルカの心の奥が、ひやりと冷えた。―これ以上皆に心配は掛けられないのに、私ったら何て不用意な。けれど皆忙しさに、そこ迄気付かなかったようだ。
ははは、と乾いた笑いが響く。お前だけだろ、どれだけの仕事でも楽しそうにこなすのは。いっぺんキレた所を見てみたいな。おい違うぞ、キレっぱなしだろ。ああ慣れたから感じないのかな。そうそう。
お前らぁ。
あまりにも振り分けの量が多すぎた為、受付の前に並んで待ってもらうのはやめた。順番にお呼びいたしますので、椅子に腰掛けてお待ち下さい―と病院のような台詞を吐き続けながらの仲間内の小声の冗談は、疲れている証拠だ。ランナーズ・ハイというものか。
何で毎日雨ばかりなんだよ、と漏れた声はイルカの笑いに霧散した。晴天祈願の舞いを舞ってやるよ、と言えば本気にされて。
漸く当日分をほぼ振り分け終えて、更に晴れ待ちの依頼を受付順に纏めて時計を見れば、既にこどものおやつの時間だった。仲間達は交代で昼食を取りに行っていたが、イルカはこれで上がるからと断っていたのだ。
ああ、お腹空いたかな。とぼうっと天井を見上げていたら視界いっぱいにナルトの顔が見えて、イルカは奇妙な声を上げてしまった。でえぇ、と出た声に自分でも驚き、両手で口を塞ぐ。七班のこどもらが大笑いをしながら、イルカの手を引いた。
「先生、ラーメン食いに行くってばよ。」
「私達も終わりましたから、行きましょう。」
「…たまには奢るから。」
いや、でも、と口篭れば並んだ仲間達にお疲れ様、と頭を下げられて業務終了。
ありがと、と席を立ってからイルカは戸口付近で佇むカカシに気付いた。こども達だけだとばかり思っていたから、少し焦る。
目が合って会釈をすると、カカシは立ち去ろうと踵を返す。その後ろ姿にずりー先に行くなよ、とナルトの声が縋る。
帰れない雰囲気に立ち止まったカカシは、仕方無くイルカにお疲れ様でした、と柔らかい笑みで労い、いいですかと同行の許しを請う。こちらこそお疲れの所を、とイルカは首を傾げて笑って返した。
少し距離を取りながら並んで歩くと、その間にするりとナルトが入り込み、二人の手と自分の手を繋いだ。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。