五月 その二
カカシの温もりが直に伝わると、安心して力が抜けた。閉じた瞼が開けられない。
広い背中に、カカシの微かな体臭。心地良い。ずるっとイルカが揺れた。
そのまま横に倒れ込む寸前に、カカシが後ろ手に押さえて支える。
おや、お疲れのようで。小声で誰かが呟いた。俺、イルカの予定を調べて、可能だったら少し抜いてもらってくる。
じゃあ、受付だったら俺入るよ、前にやってたし。授業は無理だぞ、阿呆ばかりだから。違えねえ。まあ何とかなるだろ、行ってくるわ。
あっという間に戻って来て、融通はきかせてもらって今日は何もないと言う。
じゃあ寝かしとくのよ、と事もなげにカカシに言い放つと、紅は任務帰りのアスマを迎えに行ってしまった。
誰か、とカカシの縋るような声は、誰も聞かない。
背中にイルカを貼り付けたままのカカシに、隅っこの女が自分の膝に頭を乗せて体をソファに横にしてやって、と助言はするが手は貸してくれない。
だって私、爪を染めたばかりで乾いてないの、ごめんなさい。
嘘つけ、と隣の男は女に口の動きだけで笑う。
どっこらしょ、とカカシは体を捻り、くたくたのイルカを抱き締める形になった。
あれ、何かこの感じ、前にもあったような。イルカの頭がカカシの肩に乗って、さらりと流れたその髪に顔を埋める姿勢は。
「ああっ?」
一斉に振り向かれ、いや何でもない、と笑ってごまかしたが、朧げな記憶が蘇ってカカシはじわりと汗を滲ませた。
確か、バレンタインの日だった。気力だけで無理矢理帰って来て、イルカの顔に心底安心して。
風呂上がりにイルカの肩に凭れて、眠くてそのまま寝ちゃったんだよな。
いやその前に、と膝に乗せたイルカの顔に目をやる。唇に触ろうとして途端に人目が気になり、手を引っ込めた。何かやったみたいだよな、オレ。
うわあぁ、と布の上から口を押さえて声を出さないように、カカシは心の中だけで身悶えした。いや、オレって、オレって…。
思考は乱れまくり、汗は更に噴き出す。チャクラの乱れも直しようがない。きっと周囲にも垂れ流しになっているだろう。
膝でイルカが寝返りを打ち、その顔が安らかである事を確認して、カカシも目を閉じる。落ち着け、落ち着け。よく思い出せ。
イルカの規則正しい寝息が、次第にカカシを平常心に戻す。
あの時の感触…は殆ど思い出せない、のが少し悔しかったりもする。だけどホントにオレは何処までやっちゃったんだろう。
まさか、まさかね。それは幾ら何でもないだろう、と思考はまるで月と太陽の追い掛けっこのようだ。
この唇は覚えている。舌を差し込んだのも思い出した。だけど、その先は。
思い出せない、と上を向いたり首を振ったり頭を押さえたり、いつもより変なカカシに、皆は見て見ぬ振りのまま。
ねえママ、変な人がいる。駄目よ見ちゃ、馬鹿が移るから。と戻って来た紅とアスマに笑われ、真相を知らされたカカシが反省するのは、それから少し後の事。
そしてすっきりと目覚めたイルカを、カカシはアスマと紅と共に、気味の悪い程低姿勢で料亭に誘ったのである。
料亭から出てもたもたする内に、アスマがイルカに何かを耳打ちした。カカシにも聞こえない小声で、アスマの髭がイルカの耳に触れる程近くで。
くすぐったい、とじゃれるような二人に、また拗ねる表情をしていたのだろうカカシは紅に、可愛いわよねえ、と苦笑された。誰も取らないわよ、あの若造以外はね。
カカシの髪がぶわっと逆立ち威嚇する様子は、それこそ猫のようだ。尻尾があればそれも逆立っていただろう。
ふいにカカシが歩き出した。またね、と後ろに手を振りながら。
あ、えっ、とイルカは反応が遅れて言葉が返せず見送る形に為った。追い掛けるのも変だし、と立ったままの背中に二人は帰るぞ、と声を掛けた。カカシだけ家の方向が違うから仕方ない。
「考え事したいんだろ。」
ほっとけや。と言われては帰るしかない。イルカはこんな事何でもないのだから、と努めて笑顔を作った。私達は、何の関係もない。
穏やかな日々が続いていたから、勘違いしていたのかもしれない。
二人はそれぞれ気持ちの良い夜道を歩きながら、数ヶ月後の自分達を思う。
溜め息は闇に吸い込まれた。この気持ちも吸い込まれて、溶けてしまえばいい。
カカシの温もりが直に伝わると、安心して力が抜けた。閉じた瞼が開けられない。
広い背中に、カカシの微かな体臭。心地良い。ずるっとイルカが揺れた。
そのまま横に倒れ込む寸前に、カカシが後ろ手に押さえて支える。
おや、お疲れのようで。小声で誰かが呟いた。俺、イルカの予定を調べて、可能だったら少し抜いてもらってくる。
じゃあ、受付だったら俺入るよ、前にやってたし。授業は無理だぞ、阿呆ばかりだから。違えねえ。まあ何とかなるだろ、行ってくるわ。
あっという間に戻って来て、融通はきかせてもらって今日は何もないと言う。
じゃあ寝かしとくのよ、と事もなげにカカシに言い放つと、紅は任務帰りのアスマを迎えに行ってしまった。
誰か、とカカシの縋るような声は、誰も聞かない。
背中にイルカを貼り付けたままのカカシに、隅っこの女が自分の膝に頭を乗せて体をソファに横にしてやって、と助言はするが手は貸してくれない。
だって私、爪を染めたばかりで乾いてないの、ごめんなさい。
嘘つけ、と隣の男は女に口の動きだけで笑う。
どっこらしょ、とカカシは体を捻り、くたくたのイルカを抱き締める形になった。
あれ、何かこの感じ、前にもあったような。イルカの頭がカカシの肩に乗って、さらりと流れたその髪に顔を埋める姿勢は。
「ああっ?」
一斉に振り向かれ、いや何でもない、と笑ってごまかしたが、朧げな記憶が蘇ってカカシはじわりと汗を滲ませた。
確か、バレンタインの日だった。気力だけで無理矢理帰って来て、イルカの顔に心底安心して。
風呂上がりにイルカの肩に凭れて、眠くてそのまま寝ちゃったんだよな。
いやその前に、と膝に乗せたイルカの顔に目をやる。唇に触ろうとして途端に人目が気になり、手を引っ込めた。何かやったみたいだよな、オレ。
うわあぁ、と布の上から口を押さえて声を出さないように、カカシは心の中だけで身悶えした。いや、オレって、オレって…。
思考は乱れまくり、汗は更に噴き出す。チャクラの乱れも直しようがない。きっと周囲にも垂れ流しになっているだろう。
膝でイルカが寝返りを打ち、その顔が安らかである事を確認して、カカシも目を閉じる。落ち着け、落ち着け。よく思い出せ。
イルカの規則正しい寝息が、次第にカカシを平常心に戻す。
あの時の感触…は殆ど思い出せない、のが少し悔しかったりもする。だけどホントにオレは何処までやっちゃったんだろう。
まさか、まさかね。それは幾ら何でもないだろう、と思考はまるで月と太陽の追い掛けっこのようだ。
この唇は覚えている。舌を差し込んだのも思い出した。だけど、その先は。
思い出せない、と上を向いたり首を振ったり頭を押さえたり、いつもより変なカカシに、皆は見て見ぬ振りのまま。
ねえママ、変な人がいる。駄目よ見ちゃ、馬鹿が移るから。と戻って来た紅とアスマに笑われ、真相を知らされたカカシが反省するのは、それから少し後の事。
そしてすっきりと目覚めたイルカを、カカシはアスマと紅と共に、気味の悪い程低姿勢で料亭に誘ったのである。
料亭から出てもたもたする内に、アスマがイルカに何かを耳打ちした。カカシにも聞こえない小声で、アスマの髭がイルカの耳に触れる程近くで。
くすぐったい、とじゃれるような二人に、また拗ねる表情をしていたのだろうカカシは紅に、可愛いわよねえ、と苦笑された。誰も取らないわよ、あの若造以外はね。
カカシの髪がぶわっと逆立ち威嚇する様子は、それこそ猫のようだ。尻尾があればそれも逆立っていただろう。
ふいにカカシが歩き出した。またね、と後ろに手を振りながら。
あ、えっ、とイルカは反応が遅れて言葉が返せず見送る形に為った。追い掛けるのも変だし、と立ったままの背中に二人は帰るぞ、と声を掛けた。カカシだけ家の方向が違うから仕方ない。
「考え事したいんだろ。」
ほっとけや。と言われては帰るしかない。イルカはこんな事何でもないのだから、と努めて笑顔を作った。私達は、何の関係もない。
穏やかな日々が続いていたから、勘違いしていたのかもしれない。
二人はそれぞれ気持ちの良い夜道を歩きながら、数ヶ月後の自分達を思う。
溜め息は闇に吸い込まれた。この気持ちも吸い込まれて、溶けてしまえばいい。
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