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二月 その四
棚の中でカカシの茶碗と並んで伏せられているのを見て、イルカは生々しさをいきなり感じてぶるっと震えた。その先を考えないようにと、急いで掃除に取り掛かる。
終わった時には幾分すっきりしていて、イルカはまた心を封印しかけたのである。感情を表わしてはいけないのだと、誰かが言うから。
けれど、もうその心の鍵は壊れかけ、カカシの方を向いている。一人で生きていく為に捨てた感情だが、知らず受けるカカシの愛に、イルカは次第に自分を取り戻しつつあるのだろうか。
そうして日はまた過ぎる―。

カカシの帰還の予定日は明日だ。イルカは職員室で目の前の丸を付けたカレンダーを見ながら、とりとめもなくカカシの事ばかりを考えていた。その様子に周囲の者達は、やっと自覚したかと安堵する。
「イルカ先生、やっと終わりますね。」
イルカの溜め息の理由に気付かない学年主任に声を掛けられ、意識を戻したイルカははあ、と気の無い返事をした。
「これですよ。」
指を差されたカレンダーの『あと一日』という文字に漸く気が付き、ふっと微笑んでうなづく。
「もう質問や作り直しの子達だけですから。」
疲労の残る顔はそれでも誇らしげだ。
「先生方の分も一緒に作りました。私は明日授業がなくて、任務受付に午前中座るだけなんで朝持って来ます。」
と言うのは、まだ作ってない証拠の言い訳。それを知っているが、断っても徹夜してでも作って来るだろうと、主任はイルカに解らないように溜息を付く。明日ははたけ上忍の為に休みにしてやったのに。
急遽イルカの受付の仕事が取り消されたのは、言うまでもない。

明日は一日暇になった。皆にあげるチョコを作る時間が出来たのは嬉しいが、カカシの帰還を迎えたいからと、人数が足りずに困っていた受付に申し出たのに。もしかしたら自分のいる間に来てくれるかもしれないと、それは淡い期待だったが、イルカはそれほどカカシに会いたかったのだ。
出来れば一番先にお帰りなさいと言って、ただいまと言われたい。それは恋人か夫婦と云う間柄なら当然なのだが、生憎とこの二人はまだ友人の域を出ない。それでもお互いに想い合っている事は明白なのにと、周囲はヤキモキしている不思議な関係だ。

その頃カカシは焦っていた。仲間の中に酷い怪我をした者達がいて、しかし放って置く訳にはいかないと戦地に留まっていたのだ。至急迎えに来られたし、と連絡を飛ばしたものの迎えはまだ到着しない。
恋人に会いたいと気もそぞろになった結果のそいつらを、叱り飛ばしはしたがカカシも解らないではないと二月十四日には必ず帰してやろうと思っていた。
自分の忍犬の中でも体格の良い犬達に、急ごしらえの犬ぞりを引かせて走る事にした。夜通しで行けば翌日のうちには着けるかもしれないと。しかし無傷の部下達は先に行け、との命令にも誰ひとり従わず、カカシこそ先に帰れとは困ったものだ。揉めた揚げ句大隊全員で何十人いるか、その全員で代わる代わる担いで帰る事になってしまった。そして旧知の友人の指揮の元、隊は走り出した。

走る、走る、ひたすら走る。怪我に良くないと休憩を提案すれば、いやだと痛みに耐えながら若い部下達は首を横に振る。生憎と薬は誰も持っていない。チャクラも皆切れる寸前だ。思いの外長引いた戦いで、全て消費してしまったのだ。
気合いで走る、気合いで痛みを抑える、里で待つ誰かの為に。ただひたすら走って、全員で里の門を潜ったのは小春日和の穏やかな陽射しの午後だった。
カカシは隊長ではなかったので、真っ直ぐ家に帰れる事になった。お疲れ様、と解散して、とにかく風呂に入りたいと家路を急ぐ。イルカには会いたいがそれにはまず汚れを落としてから、と思わず臭い立つような自分の服に鼻を当ててしまった。汗と埃のすえた臭いに噎せて、早く帰ろうと走り出した。

家に着くと、中から気配がする。誰だ、と訝しんだのはイルカがいるとは思わなかったから。

反応が遅れた。玄関が勢いよく開いて、イルカがカカシに抱き着いたのだが、支え切れず尻餅をついたのだった。
驚いたのなんのって、敵の急襲なぞの比では無い、とカカシは動けない。無意識に受け身を取りイルカを抱え込んだものの、尻餅の状態からどうしたら良いのかと。
「あらまあ、若いっていいわねえ。」
「本当、情熱の為せるわざよねえ。」
隣家の前でこちらを見て話しているのは、先日イルカに話し掛けた女性と御近所と思しきやはり中年の女性。
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