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二月 その二
この日の野外実習も滞りなく終えて、一人の事故もなく帰宅させられた事は奇跡に近いのか、イルカの人柄か。
勿論帰宅の前に、バレンタインに向けてのチョコ作りについて、女の子達と長い話し合いがあった事は言うまでもない。

そしてイルカは星空の煌めく道を、カカシの家までふらふらになって歩いた。どんなに疲れても今日は行きたいと思っていたのだ。そろそろカカシの手紙が着く頃だから。
カカシの家に入った途端、イルカは疲れの為に座り込んでしまった。
一度畳の上に座ると、気持ちの良さに今度は寝転んでしまう。誰も見ていないからと、イルカは大の字に手足を広げ、大きく息を吐いた。
「あー気持ちいい。」
目を閉じていると眠ってしまいそうで、慌ててイルカは起き上がった。
先程はあまりにも疲れていて目に入らなかったが、座卓の上には紙が一枚置いてある。カカシからの手紙だと、イルカは心躍らせてそれを手に取った。
「あ? 濡れてる?」
しっとりと掌に伝わるのは多分忍犬の唾液の跡だろう。では、まだそれほど時間がたっていないのか。肩を落とし頭を垂れて、イルカは全身の力を抜く。
もう少し、もう少しだけ早く着いていたら、忍犬に会えていただろう。そして、カカシの様子も詳しく聞けたかもしれないのに。
あーあ、と口に出してちょっとじたばたごろごろしてみる。それで何となく気分がすっきりして、カカシの手紙を読もうと再度手に取った。
ヤマを越えて、もう少しで帰れるかもしれないと書いてある。早くイルカの作る食事が食べたいと。
えっ、何か約束したっけ―。
イルカが幾らうんうん唸って考えていても『約束』は思い出せない。

まあいいや、どっちにしろお帰りなさいって出迎えて、疲れたでしょうってお風呂を沸かして食事を出すんだろうな、私。
それはただの他人同士では有り得ない事だと気付かぬまま、だからいいやと先を読み進める。
周りの若い者達が、早く帰りたいとうきうきしていると書いてある。何か行事があるらしいが、自分には解らないのだと。
えと、それはやはりバレンタインの事かな。首を傾げてイルカは考える。でもカカシ先生だって若いのに、何を言うの。
早速返事を書きますか、と独り言を言い、イルカはとっておきの手漉きの薄水色の紙を取り出した。時折手を止め考えながら、バレンタインデーについての説明を纏める。
ついでに、アカデミーで女の子達にチョコ作りの指導をしている事も添えた。今年は甘さを控えたチョココーティングのケーキも考えている事、だからカカシにも食べられるとも書いた。
あれ、私何でこんな事書いてんだろ、と思いながらもイルカはどうせ仲間達にも配るんだし、とそこで手紙を書くのも考えるのも、終わりにした。

事情を知らないカカシが、翌日から過剰な期待を抱くのだとはイルカは知らぬまま、また日は過ぎて行く。

バレンタインデー迄の一週間、職員室のイルカの机の前には、秒読みの為の手書きのカレンダーが貼ってあった。
『あと七日』
それは毎日張り替えられ、明日は六日と書かれるのだ。
また今年もですか、と他の職員達も笑いながら陰で協力してくれるのは、とてもありがたいと思う。
チョコが欲しいからですよ、と言うが報酬を期待していない事も知っているので尚更感謝し、お礼は豪華になってしまうのだった。

今日と明日は型抜きチョコを作る日、一日休ませてもらいその後三日はケーキやガナッシュやらの少し手間の掛かる物を作る日と決めて、各自の希望日に出席してよいとしていた。
家で母親や姉などに教わっても同じなんだよ、と言うのだが生徒達は何故か、イルカに教わりたいのだと譲らない。
型抜きチョコは低学年の女の子達でも作れるので、今日明日は賑やかな講習になるだろう。
午後の授業は免除してもらっていたので、昼食の後は調理室に篭りきりになって準備し、イルカは生徒達を待つのだった。

きゃあきゃあと甲高い声が響いていた調理室にも暗闇が降りて来た。器具を片付けながら、イルカは疲労を滲ませた顔を冷たいステンレスの天板に押し付けた。
「やっと一日目が終わったあ。」
明日もまたこの騒ぎなのかと溜息を付きながらも、イルカは充実感に浸る。
もう少し大きくなったら、本当に好きな人だけの為に作るんだろうな。
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