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二月 その一
出勤前の玄関で、イルカは一粒の大豆を見付けた。ゆうべナルトの部屋から、服のポケットにでも紛れて持ち帰ったものだろう節分の。

カカシがまた里外へ出て行って、ひと月がたった。
前の時と同じように、カカシの家には毎日通っている。今回は待っている犬はいないが、時折居間の座卓に簡単なメモ程度の手紙が置いてあった。
内容は、任務には触れられないが元気で怪我もないと、近況報告だけの走り書きである。紙の端に歯型とよだれの跡があり、忍犬を寄越したのだと判る。ただ、毎回その歯型は違う。
二回手紙を受け取って、返事を書いたら届かないものかと二回目を受け取ったその場で手紙を書いた。何を血迷ったかとイルカは後で恥ずかしくなったが、会いたいと、寂しいと、書いてしまったのだ。その手紙を置いて行くと、翌日の夕方にはなかった。
三回目の手紙が着いたのは、カカシが出掛けてから三週間たった頃だった。つまり、カカシは週一で忍犬を寄越しているのである。
こんなに頻繁に忍犬を使って任務に差し支えはないのかと、かえって不安になる。毎日の窓辺の鉢植えの水遣りと郵便の確認と三日に一度の家中の掃除を楽しみながら、カカシの帰還を待っているが。

今日も帰りにカカシの家に寄る予定で、もはやそれは日課になっていた。
でも今日は忙しくて帰りは遅くなるかもしれないな、と玄関のドアを開けて冷えた空気に曝された首筋を竦めながら、イルカは空を見上げた。

今日の高学年の女子の授業は、調理である。ただし野草を使った、野外用の食事だ。毒草も見抜かなくてはならないから、かなり神経を使う。
だがそれよりもイルカが憂えるのは、近付くバレンタインデーの事だった。
イルカの料理上手は生徒達にも知れ渡っていて、毎年放課後の講習会はアカデミー公認となり、調理室を使わせてもらえるようになっていたのだ。
嫌じゃないんだけど、面倒で。と、言えない言葉。だって私には、渡したい人はいないから。
白い息を吐きながら歩き出し、辿り着いた気持ちにイルカはどきりと胸を踊らせた。
―今年は、カカシ先生にあげたい。
理由は。イルカは無理に考える。お世話になっているから? 迷惑を掛けたから? そう、そんなとこよ。
納得したと自分に言い聞かせ、次の瞬間には何を作ろうかと、既に心はチョコレートに飛んでいる。
今日は必ず聞かれるだろう、今年は何を教えてくれますかと。
「イルカ先生、野外の準備終了、全員揃いました。お願いします。」
職員室に報告に来たリーダーと共に、イルカは校庭へと出た。今日は一日女子クラスの実習である。こどもと大人の狭間の少女達が三十人あまり、教師はイルカ一人。
校庭ではやはり、バレンタインのチョコレートの話題に花を咲かせている。イルカをみとめて少し騒ぎは収まったが、そわそわする様子にはイルカに対する期待が見え隠れする。
「帰って来たら相談しましょうね。ちゃんとレシピは作ってありますから。そんなに浮かれているとチョコを渡す前に死ぬって、こら話を聞きなさい!」
人の話を聞きもしないで、知らないからね。ぷうとイルカは頬を膨らませて腕を組んだ。
そんな所が可愛いと、イルカは生徒達にもからかわれる。だがそれは決して馬鹿にする訳ではなく、姉とも慕う気持ちの表れである。
おしゃべりする暇がないようにしてあげる、とイルカは枝の上を走る事にした。裏山の森からずっと続く、針葉樹の連なりを行こう。
付いてらっしゃい、これが下忍程度の走りだから、と前置きすると、卒業間近の少女らはお互い負けん気を出す。いのとサクラもこうだったな、とイルカは笑って先導を始めた。
枝の上を跳ぶのはちょっと無謀だったかな。振り返り生徒達の気配を確かめながら、イルカは頭の後ろを掻いた。あれ、カカシ先生の癖? 移るもんなんだなあ。
跳びながら肩を竦めてくつくつと笑うイルカの姿は、もしもそれを見る者がいれば、嬉しそうに見えた筈だ。

教え方は厳しいとよく言われる。自覚もしている。けれど、いつどんな形で現実を見詰めなければならなくなるか、誰にも判らない。自分はかけらも準備してはいなかったから、だからこそあなた達は強くあって欲しいと思うの。
目的地で、息を切らしてよろよろと飛び下りるこどもらを一人ずつ抱き締め、よく頑張ったねと褒める事も忘れない。辛抱強く最後の子の到着を待って、イルカは調理実習の支度に入った。
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