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一月 その二
ではお手をどうぞ、お嬢様。と明るく振る舞い、わざとらしい程陽気にしてみれば、何となくいつも通りだと思えた。しかし人波はイルカを押し潰すように迫り、やがてどうにも歩けなくなった。
「動けませんねえ、疲れたでしょう。」
石段の下の方で二人は立ち止まったまま、殆ど動けない。他の皆は既に鳥居を潜ったというのに。
少女達も着物を着ていたし、紅はドレスにハイヒールだったのに、何故自分達はまだこんな所なのだろうと思えば、お年寄りの一団がこちら側の前方でゆっくり歩いていただけで。
自分を人波から庇い前に立つカカシの背中は思いの外広い。ああカカシ先生も男の人なんだ、と今更ながらに思い、その事実にどきりとする。
私って自意識過剰よね、と自嘲気味の笑みが零れる。カカシ先生は私の事はただの知り合いだと思ってるんだから。あ、でも林檎を取りに行った時、友人位には昇格させてもらったかな、とそれを聞いたらカカシは憤死しただろう。あの状況は男と女のソレではなかったのかと。だれでも察する事が出来た筈だ、イルカ以外は。

ぼうっとしていたら、突然背中を押された。下の段の人が進め、と体当たりしながら強引に石段を登って来たのだ。避ける事も出来ずイルカはよろけてカカシの背にぶつかった。
振り向いたカカシは、着物の裾捌きが出来ずに倒れそうになるイルカを、咄嗟に腕に抱き込む。
大丈夫ですか、と尋ねるカカシの声が耳を掠め、イルカの頬は染まった。
足を、踏まれちゃいました。と笑いながら眉を寄せるイルカの、痛みを我慢する表情にカカシは畜生、と呟いた。何故オレは守ってやれないのだ、と自分を責める。
ふと見ればすぐ脇の石段のはずれは、やはりこういった状況に陥った短気な者達が歩いたのか、下草が踏み付けられ獣道のようになっている。
しかし転げ落ちそうな急な坂道を歩こうというツワモノは、今はいない。
よし、とカカシは気合いを入れ、抱き寄せたイルカを人波の外側へそっと誘導し、踏まれた下草で滑る坂道へと出た。
少しの辛抱ですよと前置きし、その体を抱き上げ足の裏にチャクラを集めて歩き出す。驚きのあまり声も出ないイルカは身を竦めじっとしているので、そうそうそのままでと笑ってカカシは一気に駆け上がった。
着物と草履ではいつものようにはいかないが、腐っても上忍。二人の姿は他人には突然掻き消えたように見えただろう。

あっという間に鳥居の柱の側で待つ仲間達の元へと着くと、カカシはごめんねと言ってしゃがみ込んだ自分の膝にイルカを座らせた。
皆に説明し紅にイルカの足を見るように頼むと、紅は足首に触り目を見張って驚き、次に怒り出した。
「蹴飛ばされて鬱血してるじゃない。ただの捻挫だと甘く見てたら癖になるでしょ。」
忍びだからって万能じゃないんだから。
ぶつぶつ言いながらも紅はイルカの足首を摩りチャクラで痛みだけでも取ってあげるからね、と親身になり、周りで覗き込む皆も自分が痛い思いをしているような顔だ。
ああイルカ先生は本当に好かれているんだな、とカカシは何だかこそばゆいような温かなものを感じて、つい顔を綻ばせた。
紅が怪訝そうにカカシを見遣り、何が面白いのときつい声を出した。
「違う違う、皆が同じように痛そうな顔をしてるから微笑ましくて。」
愛されてんだよなあ、とアスマがのんびりと言う。大人の男にもな、とカカシをからかうがイルカには通じていない。何の事やら、と聞き流し。
いやイルカも自分以外の事なら解るのだ。しかし色恋など自分には不要だと、一人が二人になりまた一人になった時、耐え切れるのだろうかと考えたら―。
怖かったのだ。多分生きていられないと思う程に。
そうして感情を出さなくなって出せなくなって、鈍いとからかわれてもそれを望んだ。自制した。
壁を作った事さえも気取られないように生きて来たから、イルカの中ではそれはもう自然な事となった。今では自分でも気付かない。

「はい、これで痛みだけはないと思うけど、このまま歩き続けたらどうなるか位は解るわよね。」
カカシがいたのに何よ、と紅は怒ったままだ。
せめてお参りはさせて下さいと、イルカはうなだれたまま小声で言う。この後は皆で食事かお茶だと計画していたのに、自分が台なしにしてしまった。カカシの責任だからね、と怒られてカカシが身を縮めるのを見て、イルカは更に俯いてしまった。
ごめんなさい、と言う声が震えているのに気付いてしまったこども達が、気付かない振りをしてイルカを両脇から支えて賽銭箱の前へと連れて行く。相変わらずの人混みに苦労しながら願掛けを終え、参拝者用の縁台にイルカは落ち着いた。
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