さようなら、とたった五文字。
ちゃぶ台の上に置かれた小さなメモは、イルカがスーパーの広告を切ったもの。ちびた鉛筆では書きにくかっただろう、芯が折れた跡もある。
「行ってきます、じゃないもんな。」
存在感を見せ付ける紙切れを、イルカは立ったまま見下ろしていた。
ふうと息を吐くと、両手の荷物を手離した。どさりと落ちたビニール袋の口から、ビール缶が幾つも転がった。

カカシは何も言わなかったけれど、任務受付にも座るイルカに解らない筈がない。
難しくはないが長期に渡る、雪の国からの依頼は国内警備。
夏でも山頂に積雪の残る険しい山々の連なる国境だが、装備さえあれば他国の進入は容易い。
春を迎え雪が溶け始めた今から、また雪が降り積もるまでのうちに高い塀を築く予定だという。その間国内の屈強な男達が建設に多数駆り出され、代わりにと忍びに国内の警備が任される事になる。
そして塀が完成してもその高さや強度を確認する為に、ひと冬は侵入者がないかと警備を任される。つまり、一年は帰れない。
雪の国は鉱山や他国にない薬草やら、多数の資源を抱えているのだ。それらを絶対に守らなければならない理由に、火の国がその恩恵を預かっているという点がある。勿論木ノ葉の里にも二次的な恩恵がある為に、政治の絡む貿易とはそういうものだと、法外に低い対価で黙って従えと捩じ伏せられやむなく里は命を受けたのだ。

今朝早く、隊は出発した。その頃イルカは前夜の急な呼び出しに、朝まで掛け書類の山を漁り必要な一枚を発掘したところだった。
準備があったからか、一週間も会えてなかった。行ってらっしゃいと、見送りたかったのに。
またか、とイルカは落胆した。
任務に就く際に、カカシがイルカにそれを告げた事はない。一日二日ならまだしも月を跨ぐ時も、イルカは書類でカカシが里にいないと知る。
それなのに、カカシは帰ってくると一番にイルカを訪ねた。疲弊した顔で抱き付いて、ただいまと言えるだけで幸せだと毎回同じ台詞を吐き出した。
縋り付かれればつい腕は背に回り、お帰りなさいと言う。だが繰り返すうちに、迎える相手は自分でなくても良いのではないかと思い始めた。
イルカが待っていると知っているのに、何故カカシは黙って行く。
自分だけには一切知らせないのは、一線が引かれているようで。
辛い。

部下の少年二人が訳あって里におらず残された少女も師を替えて、ふらりと倒れそうなカカシを支えるようになったのはイルカだった。イルカもその少年少女達には強い思い入れがあったから、お互い傷の舐め合いで側にいたのかもしれない。
最初は温もりが心地よい、それだけだったけれど。
理由を聞いてもお互いに都合がいいからでしょと言われそうで、聞けはしない。
いつかカカシが離れるという確信があった。それは傷が癒えて自立するのかもしれないし、他に支えてくれる人が現れるのかもしれない。
だって、カカシはイルカの目を見ない。
怖くて怖くてカカシに溺れないように自制する姿に、カカシがまるで逆の事を思っていたとイルカは知らなかった。
かつてのカカシの部下の一人を、カカシに対する以上に心に掛けている。共通の思い出を語れ尚且つ知らない部分も聞ける、それだけの理由で側にいてくれるのではないか。
それに、イルカは声を掛けられればそちらを優先して行ってしまう。無言で始まった関係は、何の約束も成されず今更イルカを独占できない。
カカシは約束の仕方も解らない。
だから請われなくても任務に就くつもりでいた、今回。イルカを解放するのにいい機会だと疼く心を押し留め、震える手でさようならと書いた。

雪の国は寒くて、冷たくて、一日中イルカの事を思い出していた。
カカシは何かを見付ける度に、イルカに雪の国の贈り物をした。別に見返りは期待しない。ただこれは好きだろうなと、手に取った物を無性に見せてやりたくなったから。
術で固定した生花。
雪の舞うスノードーム。
絵葉書―これはセットだから十枚を続けて出した。勿論珍しい切手も貼って。
綺麗でしょ、素敵でしょ。
月に一度は届けられるそれらに、送り主の名がなくともイルカには解った。だって雪の国からなんて他に誰がいる。確かに友人達も行っているが、彼らがイルカに送る訳がない。
馬鹿だよな。
一方的な別れを申し訳ないと思うなら、いっそスパッと絶ち切ってくれ。勘違いして未練がましく縋ってしまうじゃないか。
それでも宝物のように、段ボール箱の上に並べている自分に笑いながら。イルカは毎日それらを、カカシの代わりに撫でていた。
真夏には部屋に射し込む日差しを避けて、秋には一緒に月を眺めて、冬には術が弛み暖房で乾く花に術を上書きして。
一年。
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