カカシ編 男心は梅雨の空・三
イルカが少女の髪を撫で、全身が凍えたあの瞬間を夢で見てうなされた。だが諦めきれない意気地なし、とカカシは全身に汗をかく無様な自分に笑いながら泣いた。

カカシは以前から他の上忍が躊躇う任務を二つ返事で引き受ける事が多かったが、このところ頻度が更に加速している。任務で自分を酷使して、やってしまったと爪の間の赤黒い塊を洗い流しながら悔いていた。
かつて上忍師の頃に遅刻の言い訳にふざけて言っていたが、今やそれこそ人生の迷子だ。
そうなっても闇に蹲るカカシをどうにか見つけ出し、だが頭を撫でながら一緒にいるだけで掛ける言葉も見付からずにイルカは去っていく。
カカシは避けるようにイルカとの接触が少しずつ減り、その分にわか取り巻きに纏わり付かれる時間が増えた。
おや珍しい、とカカシは人嫌いだと思っていた周囲が首を傾げるが、いい傾向だと輪に加わる事もあった。
はたから見れば若い忍びに技術論やら説いている良い先輩だが、談笑しながらもカカシは心此処に在らずと遠い目をしていた。
ふと顔を上げると遠くのイルカと目が合う。カカシが呼ばれたり、イルカが呼ばれたりでどちらかが振り返るまで逸らされない、絡んだ視線の意味はカカシには解らなかった。

楽になるかな、とカカシは腹に太刀を埋め込まれて思った。気を失う直前にイルカ、と呟いたから面会謝絶の部屋にイルカが呼ばれて看病に就いた事は知らない。

相変わらずですね、と目覚めたカカシの髪を撫でたイルカの笑い顔に幸せを感じる。
最近無理をしてたから心配で。
泣きそうな顔に変わると自分のせいかと胸が痛む。
カカシは思うように動かない腕を上げてイルカのほつれ毛を耳に掛けてやり、頭を撫でてやりたいなぁ、と思った。
きっと自分もいつもこんな顔をしているのだろう、と可笑しくなる。庇護欲ってやつか。

酷い人、と突然ひとこと。誰にでも優しい貴方は罪作りですよ、と呟いたイルカは俯いていた。
女の子達を泣かせないで―。カカシにその言葉は少々堪えた。

お話がありますと、カカシは報告の帰り道にあの少女に呼び止められた。梅雨の中休みか夕暮れの薄日に、手入れの行き届いた長い髪がきらきら光る。
この髪をイルカが慈しみを籠めて撫でていたのだ、と見詰めていると少女が間を縮めカカシに好きですと告白した。
暫く躊躇した後カカシは、君達をダシにして好きな人の気持ちを確かめたかったんだと白状し、誠意を籠めてごめんと頭を下げた。
ありがとうございます。
震える声に下げた頭が上げられなかったが、少女の手がカカシの頭に伸ばされたのが判った途端に、思わず後ずさってしまった。
あの人でなきゃ駄目だ。
カカシに自覚はなかったが、はっきりと言ってしまったらしい。少女が目を剥いて驚き、ついでふっと鼻で笑った。
イルカ先生に泣き付くんだもんねぇ、とわざとカカシを煽って走り出した後ろ姿は一人前の忍びで、女だった。
出遅れたカカシが職員室に着いた時には、既に少女はイルカに抱き締められていた。
唐突に、カカシは少女の本気を知った。ずうっと、それこそ四年もイルカを想い続けていたのだから、少女も同じなのだと解ってしまったのだ。
抱き合う二人を見たくはないが去る事もできず、カカシは気配を消して暗がりに隠れた。
ぼそぼそと話し声が聞こえていたが、ぷつりと途切れた為にどきっと胸が高鳴った。覗きたい、しかしカカシの脚は動かない。
たたっと軽快な足音がカカシの居場所を突き止めた。職員室から漏れる明かりに少女の影が浮かび、暗闇のカカシを見据えて立っていた。
先生を泣かさないでよね。
睨む少女にまたごめん、と投げ掛けカカシは職員室に飛び込んだ。
書類から顔を上げたイルカは驚いた様子もなく、微笑んで隣の椅子にカカシの手を引いて座らせた。

イルカの撫でようと出した手がふと止まり、そっと額宛てを外し始めた。カカシはイルカになら命さえ預ける覚悟だから、黙ってされるままにいた。
ことりと机にハチガネの当たる音が響く。次には口布がイルカの温かな指で下ろされて、湿った空気を感じた。
もうすぐ梅雨明けらしいですよ、とゆうるりと、イルカの右手がカカシの髪を流れに添って撫でる。左手はつつっと頬から首の後ろに流れ、その頭を引いて自分の肩に乗せた。
きっと今年の夏は暑くなります、と言いながらイルカはカカシの頭を撫で続ける。
初めて感じるイルカの首筋の高めの体温。埃混じりの微かな体臭。そして思ったより細い肩。
抱き締めたい。キスしたい。もう我慢できない。

イルカの背中に腕を回し、カカシは熱に浮かされたように囁き続けた。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
愛してる。
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