カカシ編 男心は梅雨の空・二
一ヶ月と十一日、それが任務の期間。
小国の跡目争いの兄弟喧嘩がお互いの暗殺に発展していったが、当初甘く見て新人達を多く派遣していたのだ。火影が慌てて追加を送って事なきを得た。
戦い慣れた者達に前を任せながら的確に指示を出し、一人で新人達を背中に庇うカカシがいなければ自分達は死んでいただろう、と少年達はカカシの信者に下り少女達は理想の王子様を見付けた。

帰還の報告にお供を十人単位で引き連れたカカシに、イルカは口を開けて驚き次には頬を染めて微笑んだ。
見詰め合ってほんの数秒、俯いて報告書を見るイルカの耳は赤い。自惚れてもいいかな、とカカシはくすぐったく上機嫌になった。
だが後ろの一団にあの少女を見付け、歯を見せて笑ったイルカの顔に今度は最低の気分に落とされた。
他にもイルカの教え子が何人もいる。一人ずつ目だけでお疲れといたわったその笑顔は、カカシに対してより心が籠っていたように感じて辛かった。
ご飯の約束は今度休日を教えるからとカカシはにわか取り巻きを引き剥がし、疲労を抱えながら居酒屋の暖簾をくぐった。

機会を逃してイルカを誘えなかった。話したかったのに、頭を撫でて欲しかったのに。
無意識にイルカの好物ばかりを注文していたが、カカシはビールを飲むだけでそれらには手を付けなかった。二本めの空き瓶を置いてひと息つくと、ひょいと隣から箸が伸びてきた。気配も察せず驚くと、イルカがほんの僅かに笑っていた。
貴方は馬鹿だから。
撫でる手にカカシは頭を刷り寄せた。気持ちいい、もっと、もっと。

空腹だからと時間がたち乾燥し始めたつまみを無駄にしないように、せっせと口に運ぶイルカの頬はリスのように膨らんでいる。カカシは頬杖を着き、目を細めてその様子を見ていた。
くの字のカウンターの最奥でゆったりと、ただ二人の世界。
今日は帰宅する前に此処かなって、と居場所を必ず当てる程にイルカはカカシを理解し、更に引き際も心得ていた。
明日は朝の受付の後は休みなので気が向いたら誘ってください、とイルカはつまみを食べきってご馳走様と手を合わせた。
残されたカカシはイルカの座っていた椅子に置かれた紙袋を見付け、忘れ物かと慌てて手に取ったら袋に直接殴り書きされた、久し振りに見る彼らしい文字。
ずっと食べたかったでしょう、と。
折り曲げられただけの紙袋の口を開けると、プラスチックの保存容器が見えた。手を入れ取り出すと、まだ温かい。
こっそり膝の上で蓋を取ると、多種多様な野菜の煮物がびっしり詰め込まれていた。
切っ掛けはとうに忘れたが、野菜好きなカカシが時折せがんで作ってもらっていた。懇願すると翌日には必ず何処かで渡される。季節で野菜も味付けも変わるのが楽しみだった。
これもゆうべ煮込んで一日冷蔵庫に入れて置いたのだろう。そしてすぐ食べられるように、温め直して持ってきた。イルカはそんな気遣いができる人だ。
お互いの家を知っているのに行き来する事はなく、それでも部屋の細部まで頭に描ける程に聞いて理解している。イルカがカカシの為に台所で奮闘する様子が浮かび、一ヶ月と十一日分の疲れは溶けて流れてしまった。
イルカの好きなそうな菓子を選んで、空き容器に詰めて返すのもカカシの楽しみだ。
けれど明日は昼飯を誘うつもりだから、空っぽでいいかな。あ、忘れた振りをすればもう一度余分に会える。
…なんてもう三十路のラインは両足で跨いだのに、オレは何をうじうじしているんだ。

カカシは思春期に通る筈の恋愛路を、横道に逸れて掠りもしなかった。肉欲は本能的に発露したが、現在に至るまで殆ど他人に興味はなく、今やイルカ以外には勃起しない。
そんな厄介な夢に目が覚め下半身の始末をして、カカシはイルカを誘いに受付に向かった。
イルカは誰とも約束はせずにカカシの誘いを待っている筈だ。カカシも突発的な用が入らない限りはイルカを優先する。

受付に入った途端、カカシを呼ぶ声が飛び交った。にわか取り巻きの一部の女の子が五人ばかり。
イルカに今日のカカシの予定を聞きに来たが私生活に踏み込むからと突っぱねられ、それでも教え子達はイルカに甘え、人もまばらだからと受付にたむろしていたのだ。
約束のご飯を食べに行こうとカカシは取り囲まれて、助けてくれとイルカに目をやった。いいですよいってらっしゃいと譲る会釈に腹が立ち、イルカも一緒にと、カカシは思わず手を握った。

だが離れて後ろを歩くイルカに、カカシはそれ以上の心の距離を感じた。
目の奥が痛い。
あの少女がイルカに撫でられるのを間近で見て、体中の血が凍ったかと思う程指先から冷えていった。

終わりか。
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