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二十二

バタン、と音をたて閉められた玄関を二人並んで見ていた。
残されたカカシもイルカも気まずい空気に居心地が悪いが、それすら相手には伝わってしまうようで互いを視界に入れないようにそっぽを向いた。そのまま数分。
「あの。」
イルカの小さな呼び掛けに、カカシは目を伏せながら顔だけをそちらに向けた。
「私としての記憶がない頃には、大変失礼な態度で申し訳ございませんでした。」
少しずつ繋がってきたのだろう、恐縮するイルカの態度に視線は畳に落としたままカカシは小さく微笑んだ。
「仕方ないですよ。」
皆が何度も繰り返す言葉。仕方ない、うみのイルカではなかったのだから。
でも。もしも、イルカでないままあの抜け忍達が捕らえられ任務が終了し、綱手が気付かぬ内に此処で結婚していたら。
カカシは堂々巡りの思考に熱くなった瞼をぎゅうと瞑る。浮かんでいた涙がぽたりと零れた。この町では素顔を晒しているから、涙は両目から溢れてカカシの頬を伝い落ちる。
「カカシさん。」
とっさに馴染んだ呼び方が出るのは心がカカシを求めているのだとは気付かぬまま、イルカはカカシの腕を掴んでいた。
殆ど回復していないチャクラを振り絞り、その腕を引く。不意の事でカカシはぐらついた身体をイルカに預ける形になってしまった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、考えなしでごめんなさい。迷惑を掛けてごめんなさい。」
捨てた男に掛ける憐憫だと解釈し、カカシの頭を胸に抱いたイルカも涙声になっている。震えているのはどちらか判らぬままカカシは身体を預けていたが、やがてそろりと腕をイルカの背中に回した。
拒否されないからと力を入れるのも躊躇われ、だが離しもできずそうして暫く、カカシはイルカの温かな鼓動を耳で確かめていた。
違うのに、涙は貴方のせいじゃないのに、貴方を傷付けた酷い男にどうしてそんなに優しくするの。
「貴方は悪くない。」
―そして、貴方はもうオレのものじゃない。
ゆっくり身体を離すとカカシは立ち上がり、イルカに背を向けた。洗濯するからと風呂場の隣の狭いスペースに歩く。
「そろそろむかいがイルカ先生の分身と帰ってきます。貴方は記憶の統合に努めていてください。チャクラも戻さなきゃならないでしょう。」
「はい…。」
カカシには最初に言い渡された、イルカの面倒を見るという役目がある。イルカの為に自分を殺してでも全うしなければ、と頬を叩いた。
イルカが去ってからというものは、記憶を辿り見よう見まねで家事をこなしていた。イルカの思い出を風化させたくないが為だけに、イルカがしていた事をなぞって。それを今、洗濯機の中の渦を見ながら思い返す。
「せっかくの小春日よりなので、洗濯物は外に干しますね。」
自分の言葉にカカシは内心驚いた。イルカが言っていた事をよく覚えていたものだ。但し自分は手伝いはせずに、ちょこちょこ動くイルカを眺めていたのだったが。
それはイルカが嬉しそうにカカシの世話を焼く姿が自分も嬉しかったから。
「イルカ先生。」
何気なく呼ぶ、気付かず返事が返る。
「はい。」
「お風呂に入りたいんじゃないですか。」
酷い寝汗を着替えさせてはいたが、綺麗好きなイルカは酔っていようが熱があろうが毎晩入浴を欠かさなかったから、まだ昼間だが入れてやりたい。
カカシは好きな人の世話がこれ程楽しいものだとは思っていなかった。今になってイルカの気持ちがよく解る。
「でも。」
「湯船に浸かるだけでも気持ちいいでしょ。」
イルカの心が揺らぐ。まだ歩けないから裸で抱えてもらうのか。でも入りたい。
脱衣を拒むだろう事は想定内だから、カカシは笑って口を添える。
「浴槽の縁に座って脱げばいいんですよ。オレはチャクラ切れの時はそうしています。」
「あ…。」
イルカは無理矢理身体を引き摺って帰宅したカカシを、抱えて自分ごと浴槽に入っていた事を思い出した。チャクラをなくす程汚れる任務だから、丁寧に洗ってやりたかったのだ。
けれど。カカシはイルカがいなくたってちゃんと生活しているのだ。これから先もイルカは必要ではない。
「服はどうせ洗濯するので脱ぎ捨ててください。風呂から上がる時は…。」
言い淀むカカシに、なるべく平静を保ちながらイルカが後を拾う。
「自力で浴槽から出られないと思うので諦めます。」
「でも入りたいでしょう。」
「任務の時はひと月位我慢しますから。明日あたりは歩けるでしょうし。」
「そう、ですね。」
イルカはオレに触れられたくないのだ、捨てた男に世話を焼かれてプライドを刺激してばかりじゃないか。
世話はむかいと代えてもらおうと思い付いたが、純粋にイルカを心配するむかいにさえ嫉妬がちりりと胸を焼く。
馬鹿だな、オレは。
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