九
宴会がお開きになったのは明け方近かった。いや正確には、皆が寝落ちしていつの間にか終わったのだ。
イルカは忍び寄る寒さに目が覚めた。カーテンの隙間からは昇る朝日が薄く入っている。
電気ストーブ一つでは木造の古いアパートは外よりましと言えるだけだ。この町での真冬の過ごし方を詳しく聞いてみようと、イルカは寒さに震える身体を抱いて腕を擦った。
休みだからといってこれはないだろう、と眠りながらも暖を求めてストーブの前にぎゅうぎゅうに集まり転がる男三人を見た。皆が身体に座布団を乗せて丸くなる姿に笑いが出る。
纏めてだけど、夏の薄い掛け布団だけど掛けてやるから。足が出ようが知ったこっちゃない、起きてさっさと出ていけ。
台所に続く襖を開けると冷たい空気に全身を包まれ、イルカは鳥肌をたてて身体を竦めた。
素早くごみを捨て食器を流しに投げ入れる。空いたちゃぶ台にお茶の仕度をして、小さな電気ポットも置いておく。
他人の気配が心地よく、イルカは外套を着込んで壁に凭れ物思いにふけった。
森村の離婚原因は、価値観の違いをお互いに認めなかったからだという。
妻は家にいるものだと言うと妻は働くのが当たり前だと言って、お互いの育った環境を否定するようになったのだと溜め息をついて。
それでも最近年を取って漸く歩み寄れたと笑うゆうべの顔を思い出し、イルカは森村に妻を紹介される日は遠くない予感に微笑んだ。
俺も遠回りをしていいから信頼し合える相手を見付けたい。町田がその相手なのかは解らないが、出会いは大切にしたい。
日が昇りきって気温が上がり、寒さは大分和らいだ。男達は起き上がり、だがぐだぐだと結局昼過ぎまで誰も腰を上げずにイルカはやりたい事を明日へと投げ捨てた。
「荒波ぃ、ポストに何か沢山入ってるぞ。」
帰り際に塩田が玄関に投げ入れたチラシの束の中に、よれよれで黄ばんだ和紙の包みが入っていた。
悪戯でごみを捨てたかとチラシと共にごみ袋に入れるべく握り潰そうとしたが、チリと聞こえた音にイルカは手を止めた。
皺を伸ばすと神社で買うお守りのような袋だと判った。黄ばみは血液を拭ったか、微かに臭う気がする。
指先で袋を開けて恐々覗く。丸い玉のようなもの。
袋の尻を持ち上げ口をちゃぶ台に落とすと、根付けの紐付きの玉はころりと転がり出した。金と銀の渦巻き。
鈴、だと思った。チリと鳴ったのが聞こえたのだ。しかし摘まんで確かめても金属の玉はただ丸いだけで穴はなく、中には何も入っていないようだった。
紐を持ち、もう一度振ってみた。またチリと聞こえたのは空耳か。
疑心暗鬼を生じ、恐怖が沸き上がる。自分の周囲にちらちらと見え隠れする、得体の知れない何かがもたらすものは。
俺は何をした? 違う、俺は何の為に此処にいる?
またチリと鈴が鳴ったような気がした。が、それを最後にイルカは欠伸を友として、ゆっくり意識を失っていった。
ゆうべは中には入れなかったからとカカシはポストに袋を突っ込んだ。必ず気付く、イルカにだけ反応する術が掛けてある。
里から届けるように言われたその鈴は、イルカの解けつつある封印を結び直す為の物だった。
イルカの様子を尋ねられ、調子が悪そうだと報告すれば封印が綻ぶ事を危惧していた。イルカの身体ではなく任務を優先する態度に腹がたつ、しかしカカシはそれを言える立場にない。
不満は顔に出ていたのか、日記の受け取り役から降りてしまえば良いと言われた。カカシは黙って封印の鈴を受け取った。
ほんの少しだけ、想いを鈴に籠めた。
―あんたが寂しくないように、オレの心を置いていってあげるから。
これが最初で最後の、愛の告白だ。
日記を受け取りながら鈴を渡す為に来て、部屋で仲間達と酔って笑うイルカを見ながら思い出した、イルカを手に入れた頃を。
―そう手に入れた、って思ってイルカはオレのもので死ぬまで手放さないって直感、本当に本当にそう思ったんだ。
オレが欲しいんだから素直に抱かれろって転がり込んで、世話を焼かれるのが当然で。
あんたの優しい笑顔は、最後まで優しかった。
別れた後も、あんたはオレを嫌う筈がないからまた戻れるだろうなんて後から考えたが、酷い思い上がりだった。
あんたはオレを忘れる為に、本当に忘れたんだ。
さよなら、愛していたよイルカ。
夕方になって目覚めたイルカは風呂の仕度を始めた。鳴らない鈴は、火の国時代の知り合いがくれた土産だと記憶に残る。
縁結びだと、わざわざ旅行帰りに顔を見に寄ってくれたかつての同僚を思う。それはアカデミーで最後に引き継ぎをした同僚の顔だった。
「そんなに酔ったかな、記憶がめちゃめちゃだ。」
熱い湯に心も身体もほぐれ、記憶は全て整理された。
宴会がお開きになったのは明け方近かった。いや正確には、皆が寝落ちしていつの間にか終わったのだ。
イルカは忍び寄る寒さに目が覚めた。カーテンの隙間からは昇る朝日が薄く入っている。
電気ストーブ一つでは木造の古いアパートは外よりましと言えるだけだ。この町での真冬の過ごし方を詳しく聞いてみようと、イルカは寒さに震える身体を抱いて腕を擦った。
休みだからといってこれはないだろう、と眠りながらも暖を求めてストーブの前にぎゅうぎゅうに集まり転がる男三人を見た。皆が身体に座布団を乗せて丸くなる姿に笑いが出る。
纏めてだけど、夏の薄い掛け布団だけど掛けてやるから。足が出ようが知ったこっちゃない、起きてさっさと出ていけ。
台所に続く襖を開けると冷たい空気に全身を包まれ、イルカは鳥肌をたてて身体を竦めた。
素早くごみを捨て食器を流しに投げ入れる。空いたちゃぶ台にお茶の仕度をして、小さな電気ポットも置いておく。
他人の気配が心地よく、イルカは外套を着込んで壁に凭れ物思いにふけった。
森村の離婚原因は、価値観の違いをお互いに認めなかったからだという。
妻は家にいるものだと言うと妻は働くのが当たり前だと言って、お互いの育った環境を否定するようになったのだと溜め息をついて。
それでも最近年を取って漸く歩み寄れたと笑うゆうべの顔を思い出し、イルカは森村に妻を紹介される日は遠くない予感に微笑んだ。
俺も遠回りをしていいから信頼し合える相手を見付けたい。町田がその相手なのかは解らないが、出会いは大切にしたい。
日が昇りきって気温が上がり、寒さは大分和らいだ。男達は起き上がり、だがぐだぐだと結局昼過ぎまで誰も腰を上げずにイルカはやりたい事を明日へと投げ捨てた。
「荒波ぃ、ポストに何か沢山入ってるぞ。」
帰り際に塩田が玄関に投げ入れたチラシの束の中に、よれよれで黄ばんだ和紙の包みが入っていた。
悪戯でごみを捨てたかとチラシと共にごみ袋に入れるべく握り潰そうとしたが、チリと聞こえた音にイルカは手を止めた。
皺を伸ばすと神社で買うお守りのような袋だと判った。黄ばみは血液を拭ったか、微かに臭う気がする。
指先で袋を開けて恐々覗く。丸い玉のようなもの。
袋の尻を持ち上げ口をちゃぶ台に落とすと、根付けの紐付きの玉はころりと転がり出した。金と銀の渦巻き。
鈴、だと思った。チリと鳴ったのが聞こえたのだ。しかし摘まんで確かめても金属の玉はただ丸いだけで穴はなく、中には何も入っていないようだった。
紐を持ち、もう一度振ってみた。またチリと聞こえたのは空耳か。
疑心暗鬼を生じ、恐怖が沸き上がる。自分の周囲にちらちらと見え隠れする、得体の知れない何かがもたらすものは。
俺は何をした? 違う、俺は何の為に此処にいる?
またチリと鈴が鳴ったような気がした。が、それを最後にイルカは欠伸を友として、ゆっくり意識を失っていった。
ゆうべは中には入れなかったからとカカシはポストに袋を突っ込んだ。必ず気付く、イルカにだけ反応する術が掛けてある。
里から届けるように言われたその鈴は、イルカの解けつつある封印を結び直す為の物だった。
イルカの様子を尋ねられ、調子が悪そうだと報告すれば封印が綻ぶ事を危惧していた。イルカの身体ではなく任務を優先する態度に腹がたつ、しかしカカシはそれを言える立場にない。
不満は顔に出ていたのか、日記の受け取り役から降りてしまえば良いと言われた。カカシは黙って封印の鈴を受け取った。
ほんの少しだけ、想いを鈴に籠めた。
―あんたが寂しくないように、オレの心を置いていってあげるから。
これが最初で最後の、愛の告白だ。
日記を受け取りながら鈴を渡す為に来て、部屋で仲間達と酔って笑うイルカを見ながら思い出した、イルカを手に入れた頃を。
―そう手に入れた、って思ってイルカはオレのもので死ぬまで手放さないって直感、本当に本当にそう思ったんだ。
オレが欲しいんだから素直に抱かれろって転がり込んで、世話を焼かれるのが当然で。
あんたの優しい笑顔は、最後まで優しかった。
別れた後も、あんたはオレを嫌う筈がないからまた戻れるだろうなんて後から考えたが、酷い思い上がりだった。
あんたはオレを忘れる為に、本当に忘れたんだ。
さよなら、愛していたよイルカ。
夕方になって目覚めたイルカは風呂の仕度を始めた。鳴らない鈴は、火の国時代の知り合いがくれた土産だと記憶に残る。
縁結びだと、わざわざ旅行帰りに顔を見に寄ってくれたかつての同僚を思う。それはアカデミーで最後に引き継ぎをした同僚の顔だった。
「そんなに酔ったかな、記憶がめちゃめちゃだ。」
熱い湯に心も身体もほぐれ、記憶は全て整理された。
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