六
その日、カカシはイルカを迎えに来なかった。
そういや今朝は慌ただしくて予定を聞き忘れてたな、とイルカは疲労困憊の頭で思い出す。普段はカカシから教えてくれるし予定変更があれば連絡をくれるのに、それもなかった。
それでも迎えに来るかもしれないと職員室で少し先の提出書類を纏めていて、顔を上げれば外は真っ暗だった。
二時間待ったがカカシは来なかった。多分もう来ない。
立ち上がった勢いでズボンのポケットから何かが落ちた。余裕がなかったといっても膨らんだポケットの違和感さえ気付かないってな、とイルカが床に落ちた物を拾うとゆうべカカシが置いていった居酒屋の代金の札束だった。
「忘れてた。…返しに行くか。」
先に飛び出したカカシの金を使う気になれず、このひと月は殆どカカシに夕飯を奢ってもらっていたし、また怒らせた罪悪感もあって咄嗟に自分の財布から出した。追い掛けた時に返そうと思っていたのに、返す機会を失ってしまった。
帰るついでにカカシの家に寄ろうと思った。泥酔の翌日以来だが、大体の道は記憶している。本人がいなくとも、メモ書きと共に置いていくつもりだった。
改めて見るカカシのアパートは中々に古くて、上忍達が住んでいるとは信じられない。
いつ襲われて爆破されたり戦闘になってもいいようにしている、とカカシは笑ったけれどその覚悟はイルカには到底できないだろう。
周囲には対他里用の感知型結界、そして戦闘舞台の、公園でもないただの空き地。
各部屋の玄関には目眩ましの結界が、本来の玄関ドアを壁に見せ壁をドアに見せている。
カカシはイルカに術の解き方を教えてくれた。先に自分の姿を幻術で消して、印を三つ片手で結べば直結で中に入れる。有事に行動は一秒でも短縮するために鍵は掛けていない、とイルカに教えた意図は知らないが信頼されてはいるのだろう。たとえ振りでも、恋人だ。
勝手に入っていいものか悩むが呼び鈴もないし、壁に見えている玄関ドアに向かい名前を呼ぶのもどうかと思い、イルカは結界から入って内側の三和土でお邪魔しますと声を掛ける。
カカシの気配はない。いやそれどころか見える範囲に、あった筈の物がない。忍具一式が揃えられていた棚が、空っぽだった。
イルカはぞっとし、嫌な予感はこれだったのかと慌てて土足で部屋に踏み込んで、茫然とした。
なくなったのは忍具だけだ、他は見る限りあの日のままだと思えた。なのにカカシの気配は微塵も残っていない。
イルカはカカシを探して押し入れやトイレや風呂場、果ては入る筈のない流しの下まで覗いた。
いない。
ぺたりと床に座り込んだ。
パタ、と小さな羽音がした。台所の食卓に紙の蝶が羽ばたいて止まっている。
気が付かなかったなあと立ち上がると、それはイルカの鼻先で舞って一枚の紙になった。
カカシの字でたった一行、暫く留守にするので此処には来ないようにと書いてあった。その文字はすぐに薄れて、紙は白紙となる。
来るなとは内密の任務を示し、この部屋にいればイルカに危害が及ぶからだと読み取り、取り敢えず急いでアパートから離れ辺りを窺いながら帰宅した。
大丈夫、カカシ先生は無事に帰る、笑ってまた恋人の振りを続けるんだ。とイルカは繰り返しながら眠りについた。
翌日にはカカシが任務に出た事は知られていて、イルカは折角公認になったのに寂しいだろう、と慰められていた。カカシの仲間にはとりわけ親切にされどうにも居心地が悪かったが、カカシのいない間にやっかみを受けないように気を配ってくれているのだとイルカは思っていた。
多分カカシ先生の相手がどんなに相応しい人であっても、陰口はやまないだろう。かえって男の俺だから本気じゃないと思って、皆は別れるまでを興味津々で眺めているんだ。
しかし元から親しいアスマなどはそれは逆で、カカシがイルカの虫除けのために慌てて恋人だと公言したのだ、と言ってイルカにはわけが解らなくなった。
だって俺達は恋人の振りで、それもカカシ先生のためなんだけど。
カカシ本人がそれは嘘だったと言わない限り、イルカからは実は、などとは言えない。
私的な約束は任務として有効なのか、いっそ打ち明けたいと悩むが、いやいやカカシを裏切るわけにはいかないとイルカは恋人の振りを続けた。
振りではあるがずっとカカシの側に居たために、カカシがいないのは本当に寂しいし、優しすぎる内面を知ってしまったら以前より心配なのだ。教え子の、カカシの部下達並みには。
遥かに彼らより強いのだけれど、その分だけ死に近いのだから。
彼氏が長らく留守だと色々辛いだろう、と下卑た事も言われたがカカシが求めた役柄をこなすために、約束していますからとイルカは顔を上げてきっぱり答えたのだった。
その日、カカシはイルカを迎えに来なかった。
そういや今朝は慌ただしくて予定を聞き忘れてたな、とイルカは疲労困憊の頭で思い出す。普段はカカシから教えてくれるし予定変更があれば連絡をくれるのに、それもなかった。
それでも迎えに来るかもしれないと職員室で少し先の提出書類を纏めていて、顔を上げれば外は真っ暗だった。
二時間待ったがカカシは来なかった。多分もう来ない。
立ち上がった勢いでズボンのポケットから何かが落ちた。余裕がなかったといっても膨らんだポケットの違和感さえ気付かないってな、とイルカが床に落ちた物を拾うとゆうべカカシが置いていった居酒屋の代金の札束だった。
「忘れてた。…返しに行くか。」
先に飛び出したカカシの金を使う気になれず、このひと月は殆どカカシに夕飯を奢ってもらっていたし、また怒らせた罪悪感もあって咄嗟に自分の財布から出した。追い掛けた時に返そうと思っていたのに、返す機会を失ってしまった。
帰るついでにカカシの家に寄ろうと思った。泥酔の翌日以来だが、大体の道は記憶している。本人がいなくとも、メモ書きと共に置いていくつもりだった。
改めて見るカカシのアパートは中々に古くて、上忍達が住んでいるとは信じられない。
いつ襲われて爆破されたり戦闘になってもいいようにしている、とカカシは笑ったけれどその覚悟はイルカには到底できないだろう。
周囲には対他里用の感知型結界、そして戦闘舞台の、公園でもないただの空き地。
各部屋の玄関には目眩ましの結界が、本来の玄関ドアを壁に見せ壁をドアに見せている。
カカシはイルカに術の解き方を教えてくれた。先に自分の姿を幻術で消して、印を三つ片手で結べば直結で中に入れる。有事に行動は一秒でも短縮するために鍵は掛けていない、とイルカに教えた意図は知らないが信頼されてはいるのだろう。たとえ振りでも、恋人だ。
勝手に入っていいものか悩むが呼び鈴もないし、壁に見えている玄関ドアに向かい名前を呼ぶのもどうかと思い、イルカは結界から入って内側の三和土でお邪魔しますと声を掛ける。
カカシの気配はない。いやそれどころか見える範囲に、あった筈の物がない。忍具一式が揃えられていた棚が、空っぽだった。
イルカはぞっとし、嫌な予感はこれだったのかと慌てて土足で部屋に踏み込んで、茫然とした。
なくなったのは忍具だけだ、他は見る限りあの日のままだと思えた。なのにカカシの気配は微塵も残っていない。
イルカはカカシを探して押し入れやトイレや風呂場、果ては入る筈のない流しの下まで覗いた。
いない。
ぺたりと床に座り込んだ。
パタ、と小さな羽音がした。台所の食卓に紙の蝶が羽ばたいて止まっている。
気が付かなかったなあと立ち上がると、それはイルカの鼻先で舞って一枚の紙になった。
カカシの字でたった一行、暫く留守にするので此処には来ないようにと書いてあった。その文字はすぐに薄れて、紙は白紙となる。
来るなとは内密の任務を示し、この部屋にいればイルカに危害が及ぶからだと読み取り、取り敢えず急いでアパートから離れ辺りを窺いながら帰宅した。
大丈夫、カカシ先生は無事に帰る、笑ってまた恋人の振りを続けるんだ。とイルカは繰り返しながら眠りについた。
翌日にはカカシが任務に出た事は知られていて、イルカは折角公認になったのに寂しいだろう、と慰められていた。カカシの仲間にはとりわけ親切にされどうにも居心地が悪かったが、カカシのいない間にやっかみを受けないように気を配ってくれているのだとイルカは思っていた。
多分カカシ先生の相手がどんなに相応しい人であっても、陰口はやまないだろう。かえって男の俺だから本気じゃないと思って、皆は別れるまでを興味津々で眺めているんだ。
しかし元から親しいアスマなどはそれは逆で、カカシがイルカの虫除けのために慌てて恋人だと公言したのだ、と言ってイルカにはわけが解らなくなった。
だって俺達は恋人の振りで、それもカカシ先生のためなんだけど。
カカシ本人がそれは嘘だったと言わない限り、イルカからは実は、などとは言えない。
私的な約束は任務として有効なのか、いっそ打ち明けたいと悩むが、いやいやカカシを裏切るわけにはいかないとイルカは恋人の振りを続けた。
振りではあるがずっとカカシの側に居たために、カカシがいないのは本当に寂しいし、優しすぎる内面を知ってしまったら以前より心配なのだ。教え子の、カカシの部下達並みには。
遥かに彼らより強いのだけれど、その分だけ死に近いのだから。
彼氏が長らく留守だと色々辛いだろう、と下卑た事も言われたがカカシが求めた役柄をこなすために、約束していますからとイルカは顔を上げてきっぱり答えたのだった。
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