5


目覚めの良くない朝、カカシは枕を抱えて丸くなり昨夜の別れ方を後悔していた。
イルカには任務代金を支払うと言った手前もあるし、何よりイルカがカカシのために任務として引き受けてくれたこの件はまだ終わっていないから、と無理矢理起き上がる。
だけど、と長く息を吐いて両手を見詰めた。自分の中では全てが終わったのだ。ゆうべ、イルカがカカシに女との結婚を薦めた時に。
思わず抱き着いたイルカにはカカシに友人以上の何の感情もないと見えたし、それは間違いないだろうから。
だがイルカの側にいられた、という事実は一生の、最高の思い出になるだろう。後は幕引きだけだ。

カカシはいつもの、朝の待ち合わせの十字路に立った。遠くに元気な尻尾が見え、知らずふふっと笑みが零れた。
「やっぱ俺の頭変ですか、寝坊して慌てて鏡も見ずに縛ったんですよ。」
見れば確かに櫛を入れた様子もなく、まるでぐりぐりと撫で回されたように後れ毛があちこちから飛び出している。授業前に直すつもりで櫛を手に持ち飛び出したらしいが、いかにも寝坊しましたと言っているようであまりにも見映えが悪い。
「うん変ですねえ。今、そこの公園で直しましょう。」
すぐ先を指さし、カカシはイルカから櫛を取り上げた。イルカが驚いて時間もないしと断るのを、いいからと背中を押して公園のベンチに座らせた。
「たまには人にやってもらうのもいいでしょ。」
ゴム紐をほどき、広げた髪を少しだけ弄ってこっそり匂いを嗅ぐと、仄かに森の香りがした。覚えておこうと胸一杯に吸い込む。
「お上手ですね。カカシ先生は女性の髪も扱い慣れてるんでしょうねえ。」
純粋に感心しているだろうイルカの言葉に、カカシの手が止まった。
「誰にこんな事をするっていうんです。」
声が荒らぐのが抑えられない。手が震える。
「いや、その、」
イルカはまた失言だとぎゅっと目をつむった。何故こうもカカシを怒らせる事ばかりしてしまうのか。
「オレはそんなに女好きで、取っ替え引っ替えヤリ放題に見えますか。」
怒りに震える手を落ち着かせながら、カカシはイルカの髪を綺麗に纏めて縛る。イルカの認識は自分が女達が煩いと言ったからそう刷り込まれたものだ、八つ当たりじゃないかと唇を噛む。
「何しろゲイですから、女じゃ勃起しないんです。」
カカシは身を屈めてイルカの耳に息を吹き掛け、公園の脇を通る者達に見せつけるために喉元に唇を寄せた。
突然の、性が匂い立つ行為にイルカは動けない。触れる肌はどちらも熱いように感じ胸の鼓動が速まってイルカは慌て、ふと背中に張り付くカカシの鼓動も速いことに気付いて更に動揺した。
そのままの姿勢でカカシはイルカのベストの首元から少しファスナーを下ろし、するりと手を入れる。
「これ、約束の代金ね。迷惑料も込みだから。」
膨らんだお札の封筒を内ポケットに滑り込ませて顔を上げ、カカシは道行く人々に目をやった。
ちらちらとこちらを気にしながら、見てはいけないモノを見た顔で通り過ぎる忍び達。
アカデミーでも受付でも、蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。イルカはそこまで予想しているとは思わずカカシの頼みに頷いて、きっとこれから暫くは好奇の目と不躾な態度の面々に苦労するのだ。
「さあ終わりました、行きましょうか。」
櫛をイルカに返し、カカシはその背に手をやって促す。背中から腰に滑り落ち、抱えるように添えられた手に戸惑いながらも、イルカは一緒に歩き出した。
衆目の中、初めて堂々と寄り添い二人で歩く。イルカを恋人と公言するつもりなのだと解った。だが聞けない何かの、嫌な予感にイルカは乾いた唇を舐めた。
渡された任務料は多分、イルカの想像を遥かに越えた額だ。受け取れない。迷惑料なんて、自分はこの状況を迷惑とは思っていないのに。
ちらりとカカシを盗み見るが、思惑など読み取れない涼しげな顔だ。

アカデミーの職員室前で行ってらっしゃい、とイルカに笑ったカカシは穏やかで、イルカは胸騒ぎは思い違いかと消し去る事にした。

イルカが思っていたより一日は目まぐるしく、少しだけ辛かった。騒がしい朝の職員室でひそひそと交わされる、ゆうべと先程の光景についての敵意のある会話。
一部の者だが、昨日まではあれだけ笑い合えた仲間だというのに、手のひらを返したという言葉の意味をイルカは身をもって知った。
廊下でもトイレでも無視される。だがイルカの側には変わらぬ味方も多く口々に祝ってくれた。
「こいつさ、見るからに大事にされてんなって思う。」
「そうだなぁ、性別関係なしにいいって感じだよな。」
カカシに恋愛感情はないにしろ認められて嬉しいが、こそばゆく恥ずかしいものだ。イルカの顔は真っ赤に染まった。
スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。