あらぁ、と甲高い声が喧騒と共に外へと流れ出した。店とは思えない佇まいなのに随分盛況なんだとイルカは驚く。
「実はね、一見さんお断りだから暖簾もないんです。」
振り向きイルカに囁くと、カカシは中の人々に向かって片手を上げた。甲高い声はカウンターの中の、女将らしい若い美女だった。
「え、どうやって常連に? どなたかのご紹介ですか?」
イルカはこっそり中を覗いて客の層を判断しようとした。だが十人を越える客達に共通する点は見るだけでは判らない。
「うーん……たまたま、なんですよね。皆そうらしいですよ。」
歯切れが悪く要領を得ない返答にイルカの疑問は膨れ上がるばかりだ。いいから入りましょ、とカカシに背を押されてイルカは店内に一歩を踏み出した。
「いらっしゃいカカシさん。あら、お連れの方は見掛けないお顔ね。」
にこりと首を傾げた女将はイルカの幾つか年上なだけに見えるが、堂々とした佇まいに圧倒されてしまう。
「え、いや、私は……、」
「女将さん、その人アカデミーの先生。元気いっぱいで有名だよ。」
隅のテーブルから声が掛かる。誰かと思えば受付でよく対応する気難しい忍びで、明るく気安い様子に意外だとイルカは少しばかり驚いたのだった。
カカシは話に加わらず、顔見知り達と軽く挨拶を交わしながら席を探していた。
「さ、ちょうど二人掛けが空いてるから座りましょう。」
呼ばれてイルカが椅子に座る間に、カカシは慣れた仕草で端の給水機から水を入れたコップを二つ持ってきた。
カカシは見かけより気さくで話も楽しいし、家で作ってまで食べようとは思わない魚の煮付けは予想以上に美味かった。イルカは少しだけ飲んだ純米酒に酔ったなと思い、滲み出る疲労に欠伸を噛み殺した。目ざといカカシがそれを見逃す筈はない。
「すみませんね。疲れているのに余計にイルカ先生を疲れさせたので、ここはオレがお礼という事で。」
「はい、遠慮なくご馳走になります。その代わりに、いつかは私がご馳走する事をお約束します。」
上下関係は下忍の頃から身体に染み付いている。打ち解けたように見えても階級差を越えて一気に仲良くなれるわけではない。イルカがテーブルに着くほど頭を下げると、カカシは困ったように笑った。
「イルカ先生、お仲間と話すように俺って言ってくれて構いませんよ。ね、知らない仲じゃないんだから。」
でもと言い掛けたイルカの鼻先に人差し指を当てて、せっかく気分が良いんだから流されてくれないともう口きいてやんない──などと子供のように拗ねる。飲み食いしている間にも外さなかった口布の下で、カカシの唇は突き出されているように見えた。
「カカシ先生って酔うと子供に還るんですかね。自覚はありますか?」
教師然としたイルカにカカシはふんと鼻で笑う。
「酔ってはいませんよ。そんなに酒は頼まなかったし、それを殆ど飲んだのはイルカ先生でしょう。」
「そうでしたっけ?」
本格的に睡魔がイルカを襲い始めて今しがたの記憶すらあやふやだ。
そうして翌朝自分のベッドで目覚めた時には、半分も思い出せない昨夜の記憶に頭を抱えてしまった。
今日は夕方の任務報告と深夜の分の受付がある。手が足りないから駆り出されているので、必ずカカシに会うと判っていても休むわけには行かない。昨夜カカシに対して失礼な言動があったかもしれないと思うと、身体中に冷や汗が滲み出てくる。
喧嘩腰の会話で煩い部下達を連れて報告に訪れたカカシは、特に何も言わずに目が合ったイルカにそっと笑い掛けた。イルカも昨日はどうもと口の形を作って軽くお辞儀をする。
間違えてはいけない、とイルカは自分の心に釘を刺した。たった一度の食事で親しくなれたわけではない。あれはただの礼だ。誘いなどもう二度とないと思っていなければ。
ナルトとサスケの間に割り込んで喧嘩を止めながら去っていくカカシの後ろ姿にイルカは小さく、自分でも理由のつかない溜め息をついた。
開いたままのドアの向こうから、走る中忍仲間が正面に見える。イルカの正面で勢い良く机に両手を着くとお前はいったい何をしたんだ、と怪訝な顔で尋ねてくる。
「イルカ、三代目から指名で任務だ。これから暫くは受付免除だそうだ。」
自分の肩越しに顎で後ろを示した男は慌てて離席したイルカの後に座って、何事もなかったように報告書を提出する忍びを迎えた。
イルカは頭の中に幾つも疑問符を飛ばしながら火影の元へと急ぐ。執務室の中へ入れば待っていたぞと三代目火影が椅子から立ち上がり、満面の笑みでイルカの肩に勢いよく手を置いた。
「いったい何があったんですか。」
何度も肩を叩かれ、三代目にしては珍しい事だとイルカは引きつった笑いで堪える。
「だから、使いの人に任務だと聞いてきたでしょう。」
その声は、と振り返れば壁に寄り掛かってカカシが立っていた。
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