彼の爪は切りすぎると思うくらいに短い。
右手の親指から小指まで、そして左手も親指から小指まで、深爪だ。

「あんたの中を傷つけないように短くしてるんです。こうやってぐるっと指で擦られるの、好きでしょ?」
そうだよな、俺だけでなく愛人にも奉仕しなきゃなんないもんな。あ、愛人は俺か。
誰に磨いてもらうのか、切りっぱなしではなく切り口は丸い。だから指が食い込んでも痛くないし、肌に痕は残らない。
…はっ、俺の肌はそんなに柔じゃねえよ。
代わりに俺がその白い背中に爪を立ててやる。伸ばしている訳じゃないが、傷つける事はできる長さだ。

ごくたまに彼の背中には、俺じゃない誰かの爪痕があった。見せつけるかのようにたくさんの、赤いみみず腫れが。

ゆうべは躊躇したが、結局快感に流されて爪を立ててしまった。目覚めれば俺の指先は血で赤くなっていた。これで暫くは俺以外が嫉妬に狂うのかと、少しはすっとする。
だが、隣で俯せに眠る男が愛しくて、憎い。涙が浮かぶのが止められない。

「おい、小僧。」
忍犬達が寄ってきて彼の周りに座った。左右から裸の背中に足を置き、がりがりと遠慮なく引っ掻いている。
「こいつはこうしないと起きないのだ。」
久々に夜の散歩に出してもらえたからのぉ、腹が減ってしまったのだ。
とまだ起こし続ける犬の爪は、白い肌に新たに傷をつけた。

更に顔も舐められて痛い、煩い、と漸く彼は起きた。胡座をかきあくびをし、寝癖の酷い箒頭をかき混ぜる。
何だよ、と犬達に話し掛けながら口元に指を持っていく男は、爪を噛んでいた。
「その癖やめんか。」
一番大きな犬が足の裏を男の顔に押し付けた。人間の顔と同じ大きさの足裏、その脚と体では踏まれたら簡単に骨が折れるよな。
そのまま彼にのしかかり、あれよあれよと言う間に俺の隣は犬達で埋め尽くされた。
八頭は流石に多すぎるだろう。助け出すかと躊躇う内に、犬達が四方に飛ばされた。
「苦しいって。」
なんとか目が覚めてご飯だよー、とパンツ一枚で台所に立つ彼は、ぶつくさと独り言を言いながら背中を擦る。
「裸で寝るから傷が増えるのだがな、わしらだって飯は欲しいのだ。」
いつの間にか俺の胡座の中に収まった主は、後ろ足で耳の後ろを掻いてぶるりと体を震わせた。
「お前がいるようになって、爪もましになったぞ。」
そういえば、以前はいつも拳を握っていたっけ。日常では隠せない指先の絆創膏は、猫にかじられたとか草で切ったとか、子ども達の任務に付き合うのは案外大変だと血を滲ませていた。最近は要領も良くなったからね、と減っていたけれど。
そんな事は関係なかった。

壁のカレンダーには任務と休み、それだけが書いてある。黒文字の任務と休みはおそらく彼の。そして赤文字の任務と休み、それは全て俺のだ。

爪を、切らなきゃ。
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