22 月齢二十
昨晩はカカシが居なかったが忍犬が側にいて寂しくなかった筈なのに、イルカは朝までろくに眠れなかった。
布団の中で汗をかきうなされては起きる。見れば隣に丸くなる大きな犬も不安そうにイルカの顔を舐める。
訳の判らない不安に胸が押し潰されそうで手が震えるが、何もしないでいるのはもっと不安になると、寝不足の目に朝日がしみるまま出勤の支度を始めた。
外へ出れば澄み切った空がやけに青く高く、イルカは言いようのない虚無が胸の中に広がるのを感じた。
苦しい。胸の前できつく手を握る。自然とうずくまる体勢に為り、イルカは耐え切れず道端にしゃがみ込んでしまった。
背中が熱い。多分これは蝶の形に浮かび上がるあの術のせいだ。イルカはカカシに言わなかったけれど、契り返しの術は術者が死んでも掛けられた方は死なない代わりに、今のイルカのように虫の知らせとしてそれを知らせるのだった。
カカシの死をこうして現実に感じて、イルカはそれこそ死ぬ思いだった。だが背中の蝶が熱く、見えないけれど多分光を放っているだろうと推測し、生命の危機ではあるがまだ死に至ると決まった訳では無いと、恐怖に喚きそうになる自分を抑えた。
カカシが死んだ時、背中の蝶は入れ墨として肌に残る筈だ。しかし術者の想いの度合いに依ってそれも淡い色から火傷のような痕まで格差があるのだと云う。
呼び出したままの大きな忍犬に縋り付き、イルカは地面に膝を着いてカカシを失うかもしれないと云う恐怖に耐える。
まだ朝の早い時間なので人通りは無い。今日は午前中受付に入る予定だったから、少し早目に出て人の少ない時間帯に受付でこっそり午後の授業の準備をするつもりだったのだ。
突然、犬の遠吠えが聞こえた。カカシの忍犬が顔を上げ、耳をそばだてるとその声に応えて遠吠えを返した。長く、高い声は切ない。
巨大な忍犬の遠吠えが小さくなって消える頃、切羽詰まったような声で吠えながら小さな犬が転がるように走って来た。見た事あると思っていたら、イルカの前で止まったその犬は、ハァハァと辛そうな息の間から、切れ切れに人間の言葉を吐いた。
ああカカシ先生の忍犬だ、とイルカは認識をした。
おい聞いているのか、と小柄な犬は前足をイルカの膝に掛け頭を叩く。
ワシは今からカカシを助ける人間を呼びに行く。確認するぞ、カカシはまだ生きておるよな。と忍 犬はイルカの後ろに回り背中を見せろと服をめくる。ヒヤッとした空気に晒されて、イルカは正気に戻った。
ワシはこの術の事は知っておる、安心しろ。うむ、蝶は光っておる。初めて見るが不思議なもんだのお、との呟きでカカシが生きている事が解ったが、一刻を争う状態だと云う事に変わりは無い。自分は足手纏いにしかならないとイルカは自覚しているから、ただ待つだけだ。
カカシ先生を連れて早く帰って来て、と小さな忍犬に震える声で懇願すると犬はうなづき、火影の元へ走り出した。傍らの大きな犬もそわそわし出したので、私は大丈夫だから行ってらっしゃい、とイルカは送り出した。
一人取り残されて、イルカは道端でうずくまったままとめどなく溢れる涙と鳴咽を抑え切れない。
間もなく見張りの暗部が呼んだのであろう、火影の側近の者達が駆け付けて来て、カカシの帰りを家で待てとイルカの腕を取った。
その言葉に、イルカの悲鳴が早朝の街に響き渡る。嫌だ嫌だと暴れ、その勢いに驚いて皆一歩後ろに引くと、隙をついてイルカは走り出そうとした。すかさず暗部がうなじに手刀を落とすと、イルカは気を失い崩れ落ちる。その体を抱き留めかかえると、側近達はひと言ふた言言葉を交わし火影の元へイルカを運んだのだった。
気絶しているイルカはそれでも涙を流しながらカカシの名を呼ぶ。苦しそうに時折身をよじり、ひくっと体中を痙攣させて何かを拒否するように。
火影の元へ運ばれるとイルカは奥の小さな隠し部屋に寝かされ、結界を張られた。
うつぶせにされたイルカの服をそっとめくれば、一面に浮かぶ蝶は淡く白い光を放っている。それを見詰めたまま、火影はやっかいだな、と俯き膝の上の両手を白くなる程握り締めた。二人の想いは何処へ行き着くのだろうと、微かに予感があったのかもしれない。
そしてイルカは軟禁状態で目が覚めて、結界の中で誰にも判らないようにひそかに印を組み続けた。それが自分に向けて呪を掛けていたとは、誰も思わない。
カカシの他には何も要らないのだと、生きて側に居てと、そのために通常ならば考えもしない事を思い始めていた。そこまで追いやられたイルカの心には、カカシの生命の危機に血にまみれた両親の最期の姿が重なったのだろうか。
カカシが巨大な犬に背負われ、アスマとガイの先導で戻って来たのは、半月に近い白い月が昇り始めた真夜中だった。
昨晩はカカシが居なかったが忍犬が側にいて寂しくなかった筈なのに、イルカは朝までろくに眠れなかった。
布団の中で汗をかきうなされては起きる。見れば隣に丸くなる大きな犬も不安そうにイルカの顔を舐める。
訳の判らない不安に胸が押し潰されそうで手が震えるが、何もしないでいるのはもっと不安になると、寝不足の目に朝日がしみるまま出勤の支度を始めた。
外へ出れば澄み切った空がやけに青く高く、イルカは言いようのない虚無が胸の中に広がるのを感じた。
苦しい。胸の前できつく手を握る。自然とうずくまる体勢に為り、イルカは耐え切れず道端にしゃがみ込んでしまった。
背中が熱い。多分これは蝶の形に浮かび上がるあの術のせいだ。イルカはカカシに言わなかったけれど、契り返しの術は術者が死んでも掛けられた方は死なない代わりに、今のイルカのように虫の知らせとしてそれを知らせるのだった。
カカシの死をこうして現実に感じて、イルカはそれこそ死ぬ思いだった。だが背中の蝶が熱く、見えないけれど多分光を放っているだろうと推測し、生命の危機ではあるがまだ死に至ると決まった訳では無いと、恐怖に喚きそうになる自分を抑えた。
カカシが死んだ時、背中の蝶は入れ墨として肌に残る筈だ。しかし術者の想いの度合いに依ってそれも淡い色から火傷のような痕まで格差があるのだと云う。
呼び出したままの大きな忍犬に縋り付き、イルカは地面に膝を着いてカカシを失うかもしれないと云う恐怖に耐える。
まだ朝の早い時間なので人通りは無い。今日は午前中受付に入る予定だったから、少し早目に出て人の少ない時間帯に受付でこっそり午後の授業の準備をするつもりだったのだ。
突然、犬の遠吠えが聞こえた。カカシの忍犬が顔を上げ、耳をそばだてるとその声に応えて遠吠えを返した。長く、高い声は切ない。
巨大な忍犬の遠吠えが小さくなって消える頃、切羽詰まったような声で吠えながら小さな犬が転がるように走って来た。見た事あると思っていたら、イルカの前で止まったその犬は、ハァハァと辛そうな息の間から、切れ切れに人間の言葉を吐いた。
ああカカシ先生の忍犬だ、とイルカは認識をした。
おい聞いているのか、と小柄な犬は前足をイルカの膝に掛け頭を叩く。
ワシは今からカカシを助ける人間を呼びに行く。確認するぞ、カカシはまだ生きておるよな。と忍 犬はイルカの後ろに回り背中を見せろと服をめくる。ヒヤッとした空気に晒されて、イルカは正気に戻った。
ワシはこの術の事は知っておる、安心しろ。うむ、蝶は光っておる。初めて見るが不思議なもんだのお、との呟きでカカシが生きている事が解ったが、一刻を争う状態だと云う事に変わりは無い。自分は足手纏いにしかならないとイルカは自覚しているから、ただ待つだけだ。
カカシ先生を連れて早く帰って来て、と小さな忍犬に震える声で懇願すると犬はうなづき、火影の元へ走り出した。傍らの大きな犬もそわそわし出したので、私は大丈夫だから行ってらっしゃい、とイルカは送り出した。
一人取り残されて、イルカは道端でうずくまったままとめどなく溢れる涙と鳴咽を抑え切れない。
間もなく見張りの暗部が呼んだのであろう、火影の側近の者達が駆け付けて来て、カカシの帰りを家で待てとイルカの腕を取った。
その言葉に、イルカの悲鳴が早朝の街に響き渡る。嫌だ嫌だと暴れ、その勢いに驚いて皆一歩後ろに引くと、隙をついてイルカは走り出そうとした。すかさず暗部がうなじに手刀を落とすと、イルカは気を失い崩れ落ちる。その体を抱き留めかかえると、側近達はひと言ふた言言葉を交わし火影の元へイルカを運んだのだった。
気絶しているイルカはそれでも涙を流しながらカカシの名を呼ぶ。苦しそうに時折身をよじり、ひくっと体中を痙攣させて何かを拒否するように。
火影の元へ運ばれるとイルカは奥の小さな隠し部屋に寝かされ、結界を張られた。
うつぶせにされたイルカの服をそっとめくれば、一面に浮かぶ蝶は淡く白い光を放っている。それを見詰めたまま、火影はやっかいだな、と俯き膝の上の両手を白くなる程握り締めた。二人の想いは何処へ行き着くのだろうと、微かに予感があったのかもしれない。
そしてイルカは軟禁状態で目が覚めて、結界の中で誰にも判らないようにひそかに印を組み続けた。それが自分に向けて呪を掛けていたとは、誰も思わない。
カカシの他には何も要らないのだと、生きて側に居てと、そのために通常ならば考えもしない事を思い始めていた。そこまで追いやられたイルカの心には、カカシの生命の危機に血にまみれた両親の最期の姿が重なったのだろうか。
カカシが巨大な犬に背負われ、アスマとガイの先導で戻って来たのは、半月に近い白い月が昇り始めた真夜中だった。
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