14

「貴女は子供達と、ここにいて下さい。」
ヒルゼンの話を聞きたいだろうが、これ以上畳み掛けるようにイルカの精神的負担を増やしたくない。台所にいるナルトとサスケを呼んで、付いていてもらおうとカカシは優しく言い含める。
カカシの言葉にイルカももう自分には何もできないと解るから、二人と待つ事を承諾した。
けれどイルカは平静でいられるぎりぎりの状態で、短時間でもカカシが側からいないのは心細いなんてもんじゃない。行かないで、という言葉を飲み込んでイルカは唇を噛んだ。
草履を履くカカシの背中に、サスケの物言いたげな視線が突き刺さる。
「今はお前達といた方がイルカ殿には良いのだよ。頼むな。」
ぽんと頭に手を置けば、目は合わせないがサスケは小さな声で解ったと返事をした。
ナルトは既にイルカに甘えているらしい、大声で一緒に庭に出たいとねだる声が聞こえた。
「天孤様もおいでだ、心配ない。」
サスケの言葉に呼応するように、カカシの周りを一陣の風が舞った。
「天孤様、改めてご挨拶いたしますので今は失礼。」
気配の方へ頭を下げたカカシに、うむと聞こえた気がした。

ヒルゼンは、初めて会った部屋でカカシを待っていた。
「畠殿、辿り着いてしまわれたな。」
煙管の灰を落とす仕草は落ち着いていて、やはり解っていたのかとカカシは喰えない爺だと奥歯を噛んだ。
「イルカは夢見で自分の過去を知ったが、何も思い出せなかった訳だな。あの頃も本当に赤子に返り、座るという事もできんかった。忘れたではなく知らないとしか思えなかったから、やはりどうにもならんだろうな。」
「しかし、それでは思い出が…。」
「仕方ない、取り戻せないものもあるんじゃ。」
ヒルゼンは当時のイルカが身に付けていた着物や、どうしても手離さなかった布の人形をカカシに見せた。
「襲われた時の着物じゃ。血まみれだったが、なんとか染み一つ残さず洗い張りできての。」
母と子供の素性は長屋の誰も知らなかったが、もしも縁者への証拠になるならとしまっておいた。
「あ、この人形。」
「人形がどうした?」
カカシの顔色が変わった事を訝るヒルゼンは、何を知っているのかと聞きながら人形を手渡してやった。
大きな手に隠れてしまうそれを、一度握ると確かめるようにひっくり返して撫でて胸に押し抱く。
「…私の母の形見です。すっかり忘れておりました。これは母が私に残してくれた中の一つの、」
様々な思いが駆け巡り、それ以上言葉にできない。ヒルゼンが後を継ぐ。
「畠殿は、小さいながらもイルカを気に掛けてくださったのであろう。母君の思い出を犠牲にしてまで。」
「いえ今もそうですが、あの頃も犠牲などとは思ってなかったと思います。母は人の役に立てて、喜んでくれているのではないでしょうか。」
「お主は真っ直ぐだのう…。」
自分も小さくて、でも一人では生きていられない赤ん坊を守るのは当たり前だった筈だ。誉められる為にやった訳ではない、とヒルゼンに返す。
「これで後は、番屋の証人が見付かれば良いだけだな。」
ほうと息をつくヒルゼンは、少し寂しそうに見えた。松田がイルカを引き取ると言い出せば、この穏やかな十数年が終わってしまうのだ。
カカシの心も重い。
「あの、一つだけ教えていただけないかと。」
「何をじゃ。」
「イルカ殿の本当の名前を。」
ヒルゼンは知っていて別の名を付けた、としか思えない。
「お主は本当に頭が切れるな。松田様が見付かった母娘をどうするつもりなのか聞いてから、イルカの本当の名は教えて差し上げる心積もりだ。」
「あ、そうですね…松田様は会いたいとしか仰られておりません。しかし! それは亡くなられた奥方様のお産みになられたご嫡男との軋轢を避けての事だと…。」
「はは、すまんな。知っておる、人前では言えない事だ。」
試すように言ったヒルゼンが、にこりと笑ってカカシを見た。
「名を、覚えておるか。」
「それが…全く。」
「ならば、そのまま思い出さなくて良いだろう。」
思い出さなくて良い理由を聞けないままに、カカシはヒルゼンの前から辞した。
イルカはイルカであり、おかめと言おうがおつると言おうが中身は変わらないのだ。私はあの娘、そのものに惚れたのだ。
そこで自分の思考に気付き、カカシは赤くなる顔を手で押さえて早足にイルカ達の元へ戻った。
結局は羞恥を振り落とすように走ってしまい、木戸口で息を整えていると広い庭から甲高い声が響いてきた。
目隠し鬼か。と懐かしみながら木戸を潜ると、どんと正面からイルカがぶつかってきた。
「捕まえ、」
抱き着いた体の大きさが違う事に気付いたイルカが、そのまま驚いて固まった。
「捕まった。イルカ殿はお転婆さんですね。」
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