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八月 その三
イルカはチャクラを練り上げそれを押さえると、長い溜め息を付いて全身の力を抜いた。
神官や長老達が遠巻きに見詰めるのを背中に感じながら、イルカは立ち上がり振り返って床に座ると片膝を立てた。
「お待たせいたしやんした。支度が出来上がりましてございまする。」
何と余裕のある、と囁きが漏れた。花魁の真似迄して、本人より緊張している面々を和ませようと小首を傾げたイルカの笑みは、鳥肌の立つ程妖艶だったとその後も暫くは語り継がれるものだった。
さてそろそろだよ、と部屋の時計が時を告げ、ぴりっと空気が震えた。
「姫様、参りましょう。」
と面を着けた暗部が二人、この時ばかりは、と堂々とイルカの前を歩き始めた。着物の裾を捌くのは難しいなあ、と教わった通りに内股に円を描くように摺り足で、イルカはゆっくりと進む。
衣装の重さは現実を知らせるものであるが、何故か今はそれも心地良い。
「先生、楽しそうですね。」
先生はいつも窮地を楽しむ所がありましたよ。緊張感が無いっ、って一度だけ一緒に為った任務で隊長に怒られたの、僕は覚えています。
私? そう、かしらね。
本堂の三方が開け放たれ、舞台はイルカを待っていた。四本の柱だけを支えとして異国風の曲線を見せびらかす真新しい赤い屋根は、五十年振りに改築されたものだ。正面奥の、森の景色を模したと思われる屏風は純金があまりにも派手で、イルカは思わず負けそう、と呟いた。袖から覗けば、人々がイルカを一目見ようとひしめき合っている。
「行く?」
明るく花魁姿のイルカが後ろを振り返った。
「行くわ。」
そちらからもイルカの声が聞こえた。
え? と皆が止まる。イルカが二人。花魁と巫女の姿で。巫女の舞いはイルカの体力を考慮しても大変だからと、昨日急遽とり止めに為った筈だ。何で、と顔に出ている長老達に巫女のイルカは説明する。
どうしても舞いたかったけれど早替えに思ったより労力を使うので、火影に頼んで影分身のチャクラを固定してもらった事。イルカのチャクラは最小限に抑えてあり、特に辛い事も無い、と。
「私の最後の我が儘です。」
返る言葉は無い。里思いのイルカの願いならば、叶えてやろうと皆が思ったのだ。
「お行き。」
にこりと躊躇いの無い笑顔を残し、イルカは舞台に飛び出した。たん、と木の床に足音が響き、歓声に迎えられたその姿は まさしく巫女そのものの神々しさであると、見守る者達の目には光る雫さえ見られた。
カカシ先生が、何処かで見ていてくれる。私は貴方の為に、舞う。
謡いはまだ続く歓声に消されてよく聞こえないが、イルカの耳は全ての音を拾い、合わせて舞う。
こんな清々しい気持ちで舞える私は幸せ者だ。知らず笑みが零れる。神を呼ぶ為の舞は美しく、けれど人柱を用意したので下界へ降りて来て下さいなどと知らせるのが辛い巫女の心境を切なく表し、ほんの数分ではあったがそれだけで観客は巫女の心も置かれる立場も理解出来た。
この舞いには本当はそんな事、余分なんだけどね。と舞台から立ち去りながら、イルカは思う。巫女は神様呼んでりゃいいだけの事。でもね、道具であっても私は一人の人間なんです。人柱を悲しんであげたっていいでしょう。それは話しの中の巫女なのか、イルカ自身なのか、だが一体化している今はどうでも良い事に思えた。
イルカが姿を消した直後に神が現れ、またわあっと歓声が上がった。同時に巫女のイルカの影分身は消え、その意識は花魁のイルカの中に入り込んで目を覚ます。本体に負担が掛からないように、本来は同時に持てる感覚を閉じていたのだ。
神様役の人、凄い拍手だなあ。誰なんだろ。
ぼんやりと今しがたの巫女のイルカの記憶を頭の中に収めつつ、花魁姿のイルカは舞台を見遣った。
えーと、………。
カカ…シせんせ?
はい?
舞台で薄衣の長い裾を靡かせて颯爽と舞う姿は、誰が何と言おうとカカシだと、イルカは確信しながらもまだ信じられない。その呟きを聞いた長老達がカカカ、と妙な笑いを漏らした。
「よく判ったな。少々変化させておいたが、お前には判るのだな。」
確かに気配まで違うし、判らないよね、あの変わりようじゃ。髪は意表を突いて茶色だし、顔には表情のない面を着けているし、何よりあの人が舞ってると云う事実が、あり得ない。
「何で。」
「あやつが望んだのでな。」
火影はそれ以上言わない。理由は解りきっているから。イルカの為に。
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