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三月 その四
イルカは声も出ない程驚いた。紅に言われ、サクラに言われ、犬達にも言われて知ったのだとカカシは謝るが。
「お返しが思い付かなかったから、せめて花でも見せてあげたいと考えたんですが。」
ただ嬉しくて、イルカはぽろぽろと涙を零す。
突然の事におろおろとカカシは戸惑い、どうしたの、気に入りませんでしたかとイルカの背を摩る。
嬉しいんです、と言ってイルカはカカシに縋り付いた。一生の思い出に為りますと嗚咽が漏れる。
次の季節は別の花が咲くからまた一緒に来ましょうね、とカカシは言いながら、普段と違い感情をあらわにするイルカに驚いた。そして一生の思い出、と云う言葉も気にはなったが、腕の中のイルカがこんなに脆いとは思わなかったと、そちらの方が今は気に掛かる。
ありがとうございます、と顔を上げたイルカは赤い目をして明るく笑った。お返しなんて、思ってもみませんでした。目を細めて花を見詰める横顔に、その心に触れる事は出来てもイルカ自身は手に入らないのだ、とカカシは冷える指を握る。
守りたい、抱き締めたい、愛したい。
カカシが嫁取りに名乗りを上げないのは、アスマが危惧する通り、自分に自信が無いからだった。
イルカは元々家柄も悪くないし、両親を亡くしたのは事故だ。火影も後見人になっていて、全てを保証されている。
対して自分は。
自分は暗部と云う人殺し集団に居たし、父は裏切り者と言われ自殺している。問題だらけのオレでは釣り合う訳が無いじゃないか。
ビンゴブックの筆頭賞金首、千の術のコピー忍者、暗部出身…それらの肩書が、カカシには忌まわしいものとしか思えない。実績がモノをいう世界だから、それは誇っていいのだが。
父親の事をいまだに言う者はいるし、カカシも否定的だ。里の為に尽くしたのに、と心の底では父を庇いもするが、自分はああは為らないと反発しながら生きて来た。
せめてひと時の夢を、と思う。イルカが誰かに嫁ぐ迄。
「イルカ先生、ありがとう。」
首を傾げて、私は何もしてませんよ。と笑ったその顔を、いつまでも覚えていよう。愛しい、イルカ。
少し冷ややかだが穏やかな日差しが降り注ぐ。弁当を平らげ、横になると眠気が襲う。犬達は既に二人の周りに寝転がり、夢の世界へと飛んでいるのか寝言が聞こえる。しかしそれが人語とは、恐れ入った。まずイルカが笑い出し、つられてカカシも笑い出す。五月蝿いと吠えられ、ごめんごめんと二人は声を押し殺しながら立ち上がった。
里の外が遥か向こうに見える崖へゆっくりと向かう。立ち止まり、隣国の山の尾根を眺めながら、二人はそれぞれに思う。いっそこのままあそこ迄―。
沈黙が辛くなり、カカシはイルカに話し掛けた。舞姫に選ばれたそうですね。はい。来月からは、そちらが主体と為ります。
イルカの声が固くなる。正式に発表されるそうです。でも、と上擦った声が大きくなり、胸の前で握り締められた手を震わせながらイルカはカカシを見詰めた。私には小さい頃からの延長なので、ただの任務だと思っています。大ごとに為って、正直困ってます。
ああ、本当にこの人は偉ぶらないし地に足を着けて生きている、素敵な人だ。とカカシは震えるその手を包み込んで、
「貴女なら遣り遂げられる筈ですよ。」
と自信が無いと、自分を置いて動き出した事に戸惑うイルカに、皆が応援してくれますよ、と言うしか出来ない。
「もし、迷惑でなかったら、」
カカシにはその先を言う事が躊躇われた。が、深く息を吸い、思い切って言う。
「オレの為に舞って。」
えっ。黒い目が見開かれる。
「理由があればいいんじゃないかと思って。でもそれじゃ神様に失礼か。」
「いえ、カカシ先生の為に舞います。」
告げられない想いを込めて。
イルカは、政略結婚と為る事を承知していた。
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