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十二月 その三
では明日、上忍待機所に伺いますので何か案がありましたらそれまでに纏めておいて下さい、とイルカは疲れた顔で礼をした。カカシはそんな顔を笑顔に変えたくて、食事にでも誘おうと思ったが、例の男が先にイルカに声を掛け、二人は帰り支度を始めたのだった。
帰り支度をしながら同僚と出し物の話をしていると、イルカの周りの空気がふっと緩んだ。辺りを見回せば、カカシが居ないではないか。
あ、カカシ先生、と声に為らない呟きが漏れたが、それは喧騒の中ひっそりと消えていった。
「イルカ、飯行くぞっ。」
と声を掛けられ、廊下に出てもカカシの気配が残っていないかと、イルカは探り続けていた。
私に何も言わずに ―別に取り立てて騒ぐ程の事では無いでしょ。たかがそれだけの事なのに、と思っても胸が痛い。私の側にはいつもカカシ先生が居て、上下関係も無く男女差別も無く側に居て、心地良かったから。こんな風に居なくなるなんて。
歩きながらもイルカは、自分の指の先が冷えていくのが判った。隣の同僚の声が、意味を為さない音として耳に入ってくる。
駄目、こんな事位で。
イルカは唇を噛んで、気を引き締め顔を上げると、同僚と共に定食屋へと向かった。
それを見送る上忍師達は、知らねえぞ、と呟きながらカカシを追う事も無くそれぞれ帰ったのだ。

夜も更け、軽く酔ったイルカは同僚と別れて、少し遠回りして酔いを冷ますかと、花街の脇を通り掛かった。通りに点在する燈籠の明かりがほんのりと綺麗だから、たまに見たくなるのだ。
ふと目の端に捉えた姿にイルカは驚いた。まさかと思う白銀の、いくら暗くとも自分には見間違えようの無い。
カカシ先生。
掠れた声が自分の口から漏れるのを、イルカは聞いた。その耳が聞いた名前も、その目が捉えた姿も、嘘ではないかと思った。
動けない。動けない。
その人影が振り返った。カカシ先生。
カカシと目が合って、その口がイルカ先生、と動いたのが見て取れたが、隣の一見して商売女と判る、着崩れたかなり若い女に腕を引かれてカカシはその方を向いた。その一瞬にイルカは、呪縛から逃れたかのように体が動き、走り出していた。
背中にカカシの声が被さる。
イルカ先生、待って。
嫌だ何で、と叫びながら、走る。
何処をどれだけ走ったか解らない。苦しくて足が縺れて転び、初めて辺りを見渡した。闇雲に走ったと思っていたのに、何だぐるぐる回ってうちの近くまで来たんじゃないか。と、地面に座り込んだ侭イルカは俯き、考える。カカシ先生だってあんな所に行くんだよね、当たり前じゃない。男の人は我慢出来ない時もあるっていうし。
ああ、そういえば特定の人いないって言ってたっけ。
つきり、と胸が痛む。心の底から何かがどろっと流れ出たような感じがした。名前の付けられない、未知の感情がイルカを襲う。泣いてしまえたらいいのに、と思った。そうしたら少しはすっきりするのに。明日には忘れて普通にしていられるのに。

独りきりになってから、滅多な事では泣かなくなった。泣くのを我慢する内に、泣けなくなった。泣き方も忘れた。

ほうっ、と吐いた息が白い。汗をかいた体が冷えて、寒気がしてきた。
うちに帰ろう、とイルカは立ち上がる。さっき転んだ時に肘と膝を打ったらしく少し痛いが、それだけのようだ。
うん、大丈夫。一人でうなづいて、イルカは歩き出した。

アパートのイルカの部屋に明かりが灯るまで、気配を殺して隣家の塀の上に居たカカシが、ゆっくりと塀から降りて、その明かりに背を向けた。
あんな所に、まさかイルカが居るとは思わなかった。売春婦と一緒だったオレを見て、驚いて逃げた。捕まえて言い訳してもきっと聞いてはくれないと思って、ただ心配だから追って来たけれど。一応家に入ってくれた事で、安心はしたが。
でも明日、どんな顔して会えばいいんだ。自分に問うても答えは出ない。
オレって実はかなり小心者だったんだ、とカカシは自虐的な笑いを浮かべ、歩き出す。
「アスマ、お願いだ。聞いてくれ。」
カカシがその夜遅く、正確には明け方近く、半泣きでドアを叩き続けてどの位か。近所から煩いと怒鳴られ、アスマは渋々中に入れてやった。
目の前で涙を浮かべるカカシに、本当にあいつが好きなんだな、とアスマは掛ける言葉も無い。
誤解は早く解け、と言ってやって自分達に出来る事は無いのかと、翌日寝不足の顔で紅とガイに訴えたのだった。どうにかしてやりたい、とアスマは本気で思うが、こんな時程誤解はなかなか解けないものだった。
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