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それから三日、杉の木には何も変わった様子はなかった。
四日目の朝、イルカは杉の木の高い枝に、今はもう殆ど使われない忍び文字が書かれた端布を見た。暗部らしいわね、でも私が教師でなかったらこんな字読めなかったじゃない、とくすっと笑って。
―今夜月が出たらこの木の下で―
夜、月が昇るとイルカはいそいそと大きな包みを抱えて、約束の場所へと向かった。下草を踏み付けた音に自分でも反応しながら辺りをうかがうと、
「ありがとう、来てくれて。」
と囁き声が聞こえた。
半月の白い月明かりの下で、人は来ないだろうと思いながらも木々の陰に二人は座った。
「お腹空かないかな、と思って作って来たんだけど。」
とイルカは包みからお握りと手でも摘めるおかずを取り出し、カカシに勧めた。
カカシは手を伸ばしかけたが、その手は止まり。
「あ、ごめんね、私が先に食べてみせるから。」
とイルカが食べると、カカシも慌ててそんな事は、と小さな声で言って手を伸ばした。
穏やかな時が流れる。
二人はお互いの事を教え合った。
カカシがイルカについて知った事は。中忍で、最近アカデミーの教師になった事。身寄りがなく一人暮しな事。来月にはハタチになる事。
イルカがカカシについて知った事は。アカデミーに入る頃には中忍になっていた事。上忍になってすぐ暗部に入隊した事。やはり身寄りがなく一人暮しな事。
もっと知りたいと、カカシはイルカの言葉を黙って聞いていた。それからそれから、と。
ひゅうい、と鳥が舞いカカシは残念だけどこれから行ってくる、とだけ呟き消えた。
月はいつの間にか頭上高くに昇り、何時間もたった事を教えてくれる。
さあ私も明日の用意しなきゃ、とイルカは荷物を纏め、立ち上がった。
あの子、私より五つも下なんだ。でも大人だわ…上忍なんだもんねえ。
うーんと伸びをして、イルカはまた会いたいな、とカカシの消えた方角を振り返った。
そうして一週間に何日も続けて会う事もあったし、一週間以上連絡のない事もあったが、イルカは仕事以外の予定は極力入れないようにして、カカシを待っていた。
イルカの誕生日の前夜、カカシは長期任務に出ると告げた。イルカはアカデミーで教鞭を取るかたわら、時折任務の受付を手伝うようになっていたので、最近起こった里外でのきな臭い噂を聞いていたのだ。もしやと。
「貴方も行くの?」
俯いて尋ねるイルカは、自分の声が沈んでいる事に失敗したと思った。いくら上忍で暗部とはいえ、まだ十五にもならない子が行く所ではないと思ったのが正直に出てしまったのだ。
三日月の闇の中、お面を半分だけずらしカカシはイルカの持って来たおかずを頬張りながら頷く。
「早ければ今夜。だから、ごめん、イルカ先生の誕生日を祝ってあげられない。」
黙り込んだカカシの手を取り、イルカは微笑んで言った。
「ありがとう、それだけで嬉しいわ。貴方が帰って来て祝ってくれたらそれでいい。」
友人という枠では収まり切らない二人だったが、お互いに気が付かないままの別れになりそうだった。
お守り代わりにこれを、とイルカがカカシの掌に乗せたのは、あの髪飾り。母親の形見の大事な物を、何故。とカカシはイルカを見た。
「貴方は無茶をしそうだからね。必ずこれを持って、無事に帰って来て欲しいのよ。」
そっとカカシの手を握り、もう誰も失いたくないと、聞こえない程小さな声でイルカは呟いた。
お願いだから、と声を震わせ涙を堪えてイルカは立ち上がり、カカシを残して家へと走った。見送る事は辛くて出来なかったから。

受付に座る度にその戦地の様子が判る。負傷して戻る忍びの報告と、新たに送り出される忍びの受け付けと。
あの子は暗部だから消息は一切不明だけれど、戦況は把握できるとイルカは進んで受付に座り続けた。一度大きく変化があり劣勢になったが持ち直し、勝利をおさめたのがそれから数ヶ月もたった頃で、それだけで戦いの規模がとても大きかった事が解る。
帰って来る、と信じていたのに帰って来ない。
用がなくてもそこを通り、毎日杉の木を見上げるのが癖になってしまった。
アカデミーの教師達が、夏休みにその戦いの後始末に駆り出された。
木の葉の忍び達が残していった物を拾い集める事。それは簡単ではあるが、命を落とした者の遺品を家族に渡すという意味もあり、辛いものでもあった。
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