8

「何をする!」
カカシの声が子供達を驚かせた。素早く廊下へ出て障子の陰に身を隠し、何事かとそっと見た。するとイルカも、何を怒られたのか理解できずに目を瞬かせていた。カカシがイルカの両手首を掴んで睨み付けている。
「何って…。」
「その綺麗な顔を傷付けるなど、私が許さない。」
あはは、とナルトが首だけ覗かせてカカシに説明した。
「イルカの癖だってば。頑張るぞって時に、気合いを入れるんだ。」
それを聞いて、カカシはきつく握った手首を慌てて離した。すまない、と耳まで真っ赤になって顔を横に向ける。
自分の方が綺麗じゃないの―と言いたかったがイルカは心配をしてくれた事が嬉しくて胸の奥がくすぐったい。
「嫁入り前の娘御だというのに…。」
赤くなった自覚があるのだろう、カカシは片手で鼻から下を覆って矛先をまたイルカに向けた。
「はいはい、女は器量が一番の物差しですからね。」
あたしはきっと望まれはしない。化粧を落とせば傷が顔いっぱいに横切って、怖がられるか厭われるかに決まってる。素性だって、確かじゃない。
「では畠様。夢見の事でございますが、また見張っていらっしゃいますか?」
無防備な言葉と笑顔に、誘われているのではと勘違いする輩も現れないとは限らない。
「貴女は、いつもそうやって依頼人の前で眠るのですか?」
「まさか。大抵一回で終わるので一人で寝ております。」
必ず誰かが部屋の外で寝ずにいてくれる、なんて言うのも面倒だから省いて。
「今回ばかりはちょいと厄介だが、松田様が結果を心待ちにしておられるからという訳ですか。」
その通り、そしてこのようにカカシは切れ者だから重用されるのだ。
「しかし。」
「畠様は身元の確かなお方でごさいます。」
信用しているから。
と、イルカの笑顔には勝てない。
ふと気付けば傍らにいた筈のナルトとサスケがいない。きょろきょろしていると、飽きて遊びに行ってしまったとイルカが言う。
「何ですか、飼い犬のような感じですね。」
頷きながら狐ですよ、と胸で呟きイルカは小首を傾げた。
また夕方に参ります。とカカシは足早に外に出た。庭から見ると、来る時には気付かなかった木戸の外の正面の広場に目が行った。
子供ならば追い掛けっこも充分できる、そこは船着き場にもなっていた。今は使われていない腐った数段の階段と荷運び用の川が見え、振り向いた屋敷は元は商家だったと伺える。
猿飛ヒルゼンは何者なのか。君主松田との関係は。
いや、いつか話してくださるまでは詮索しない方がよい。
そしてカカシは直ぐに、その疑問の答えを知ることになる。

二度目の夢見はカカシもイルカも別々の緊張を押し隠し、ぎこちなく始まった。
カカシはイルカの布団の足元に控えているつもりだったが、敷かれた布団があまりにも艶かしい。郭の朱と金銀の部屋は非日常の嘘ばかり、全てが夢だったと忘れる事ができるのだが。
薄絹の寝巻きは、イルカの華奢な体の豊満な胸や張った腰から太股を浮かび上がらせてしまうのだ。松田が江戸にいる間は禁欲を自らに課すカカシは、幾月女に触れていないかも忘れていた。
「…やはり、外に出ています。」
言い捨てて大股に座敷を出、カカシは廊下に胡座をかいた。
ああもう、どうしたらいい。
律する事は得意だが、イルカを女として意識してからはどうにも居心地が悪い。
欲が溜まっているのは判る。ならば江戸屋敷に詰める仲間達と郭に行けばよいのだが、女と駆け引きをし心が通じた振りをして昂らせたいとまでは思わない。誰でもいい時期はとうに過ぎたと言えば笑われるだろう。惚れた女とはまた別物だと、身請けするのしないのと嘘のやり取りを楽しそうに話して聞かせられるカカシは堪ったもんじゃない。
「嫁に願う事は間違いだろうか。」
誰もいないと思って呟いた。
「嫁? そうか、縁談を受けるか。」
にやにやと口の端を上げたゲンマが後ろに立っていた。その縁談はゲンマに来た釣書きをカカシに押し付けたものだ。
「ゲンマ、お前は、」
しっ、と指を立ててイルカに聞かれないように顔を近付ける。
「俺は全く疑われていない。まあ誰を殺す訳でなく、イルカ嬢ちゃんの護衛だからな。」
ゲンマはイルカを守る為に、木乃葉屋に入り込んでいたのだ。夢見を頼みたいと松田が言い始めた時に、探す娘が実は西の権力者の血筋だと打ち明けられたのだ。
いくら西では力があろうが江戸では通用しないからと、嫁入り前に城で働き箔を付けていた。松田は当時家督を継いだばかりで、若くして何百人にもかしずかれて自分が右を見ろと言えば一斉に右を向くから調子に乗っていた。
手籠めにした娘が破談になり行き場を失って、松田の子を産んだと聞かされて漸く目が覚めた。
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