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「中に入って話しませんか。」
温かい飲み物でも入れますから、とカカシは扉を開けてイルカを促した。中を覗いた事はあるけれど入る用事はなかったから、少し怖いと思ったがイルカは優しくされてつい足を踏み入れてしまった。途端に視線が自分に集まるのを感じて、俯いて立ち止まる。
「誰も取って喰いやしないぞ。」
アスマに笑われて、肩の力が少し抜けた。失礼します、と深く腰を折り小さくなったままイルカは歩く。

革張りのソファーに座るようにと促され、イルカは小さくなったままかしこまって浅く腰掛けた。別に逃げ出そうという訳ではないが、何となくすぐ立てるようにと思ってしまう。
とにかく本題に入って早くこの場から去りたいという気持ちと、少しでもカカシの側にいたいという気持ちとで胸が苦しくて、イルカはふうと大きく息を吐いた。
「そんなに緊張しなくても。」
笑っているため、カカシの声が震えている。変な奴だと思われているようで、イルカの目には涙の膜がうっすらと掛かった。
「何泣かしてんのよ、変態。あたしの可愛いイルカに手ぇ出すんじゃないの。」
いきなりすこーんと頭を叩かれたカカシが、振り向きもせずに後ろにひょいと何かを放った。
「やだ、変な虫持ち歩いてる、やっぱ変態だわ。」
それを軽くよけてイルカの隣に座ったのは紅だった。暫く前までは中忍としてイルカと仲が良かったが、上忍になった今では任務をこなすのに精一杯で、受付で挨拶する程度でしかない。
お久しぶりです、と紅の顔を見ずに俯いたまま言えば本当にどうしたの、と覗き込まれる。
けれど何かを察して紅は、カカシの阿呆は空気が読めないからね、と終わらせてくれた。
アスマがイルカに、湯気の上るカップを差し出した。大好きだが自分では滅多に入れないココアだったから、微笑みが自然に浮かぶ。
入っていけないわねえ、と紅がカカシに言うがイルカはその二人の仲の良さの方が意外で、そしてちりと胸の奥がくすぶるのが判り、嫌な気分になった。
嫉妬してどうするの。私には関係ないし、私に嫉妬する権利もないのに。
落ち着け、とまた息を吐いた。仕事しなきゃ。
ガイも間もなく戻るという事で、イルカは三人に説明し、助言を求めた。
アカデミーの評価方法、つまり通知表の資料を元に独自に練り上げた習熟度評価は、さすが教師の視点からは満点といえた。
「んー、でもさ。」
ずいとカカシが身を乗り出して、イルカに近付きながら書類の何箇所かを指さす。目が合った瞬間にどきりと胸が跳ねた、それを気取られまいとイルカはカカシの指先に目を落とした。
「此処と此処、少し曖昧すぎないかな。」
俺達は真剣勝負なんだから、と言われイルカはあっと小さな声を上げて、うなづいた。中忍になり命を賭けた任務に着くための大事な評価だと、改めて思い知らされたのだ。うっかりでは済まされないと、自分の甘さに歯噛みする。

ひとしきり打ち合わせたところで、ガイが戻って来た。話を聞いて出来上がりつつある評定書を確認し、自分には直す所はないとイルカの背中をバンバン叩き、頑張れよと大声で笑って励ましてくれた。かなり痛かったがそれがガイなりの表現であると知っているため、イルカは認められた事が嬉しくて立ち上がって膝に頭が着く程のお辞儀をした。皆に優しくしてもらえて、自分の価値も少しはあるのかな、とイルカはただ素直に喜んだ。
「始めてみて、また少しずつ手直ししていく事になると思います。どうか、ご指導を宜しくお願いします。」
とまた最敬礼をして緊張を解いたイルカの柔らかな笑顔は、カカシも微笑ませた。
イルカが冷めた残りのココアを飲み干すと、愛しい者を守るようにアスマがぴたりと寄り添いじゃあまたな、と部屋を出て行った。二人の笑い声が彼方へと消えていく。
いいのか、とカカシは紅を見た。ただならぬ関係にしか見えない二人を、紅は嫉妬しないのかと。
「あの二人なら仕方ないと思えるの。」
紅は肩をすくめてやんなっちゃう、と呟いた。二人は恋愛感情など微塵もないと鼻で笑い飛ばしたが、身近すぎて判らないのかもね、と紅は言う。そう、イルカのカカシへの気持ちは誰にも、紅にすら気付かれていなかったのだ。

イルカにとって、アスマは本当に頼れる兄だった。けれど、カカシへの片思いを話す訳にはいかないと知っていた。きっと橋渡しをしてくれるだろうが、イルカは密かに憧れるだけでいいのだ。面と向かってお前に興味はない、と言われたら立ち直れないから。臆病者でもいい、ただ見ていられるなら。
他の女達のように、玉砕したら次の男を探せばいい、などと思えない。もっと軽く考えなさいと、常日頃から何に付け言われるイルカだったが、こんな所でも思い詰める癖があったのだ。
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