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三月 その三
その頃飲み屋で、紅とアスマはまずい酒を飲んでいた。イルカがさあ、この前帰って来たカカシに襲われかけたのよ。―ああっ?
「ぶちゅうっと来てねろねろっ、で終わったみたいなんだけど、寝ぼけてて本人は覚えてなかったらしくて、イルカはどういうつもりなんだって泣くし。」
「あいつが合い鍵を作った時点で解るだろうが。」
アスマは馬鹿らしいとお銚子をそのまま飲み干した。
「そう言ったら、誰にでもやってるんじゃないかって。説明に一時間よ!カカシを庇うなんてもう、冗談じゃないわよ。」
紅も同様に飲み干して、次は一升瓶を注文した。ちょっとからかってあげたけど。―何て。
にやりと笑う赤い唇は、遊んでいるとしか思えない事を言う。
「カカシはね、あんたの事、孕ませたい程好きなんだって、て言ってやったのよ。」
「ああ、責任取りますって一生縛り付けてえだろう。」
でもなあ。アスマは口をつぐむ。今日の話で、イルカを諦めるのではないかと心配になったのだ。
あいつは自分てものに、自信が無いからな。
アスマは無意識に焼鳥の串を天井に投げて、突き刺さるのを店主に咎められる。お客さん、串は皿に戻して下さいよ。
ああ悪い、親父また来るわ。アスマと紅は、自分達はまだ幸福なのだと、寄り添いながら夜道を黙って歩いた。
カカシもイルカも変わらぬ多忙な日々を過ごし、けれど時折絡む視線は見詰め合う時間を少しずつ延ばし、周囲の者達は歯痒さに耐え兼ねて火影に直訴した。
―どうにか為りませんか。
―決まりだ、従え。
本大祭の後なら何をしようと構わないのだ。と暗に言われたが、つまりそれまでは想いを通わせては為らないと云う事でもある。神の嫁、だから。
―まあ既に、イルカを嫁にとの名乗りは上げてる大名や国主はいるがな。
正式に名乗りを上げてみろ、と言われた。選ぶのはイルカ本人だから。
それならば、とカカシに薦めてみたものの、黙って首を横に振るばかりだった。アスマにもその訳を話さない。苦しくは無いのか、と問うても黙り込むだけで。
周りは推測するだけだ。怖じけづいたのか。諦めたのか。他に女を作ったのか。
口さがない者達は、カカシは本気じゃなかったのだと言う。面倒な事になる前にやめといてよかったじゃないの、あたしなら遊びでも構わないわよ。しかしカカシは誰も相手にはしない。
イルカに名乗りを上げる上忍も出た。俺の事も考えてくれよな。しかしイルカも薄く笑うばかりで何も言わない。
「なんか、変ですね。」
「なんかね。」
理由は解っていても二人共何も言わない。居酒屋で肩を並べて久し振りに飲んでいる後ろでは、何だやっぱり噂は嘘かよ、と酔っ払いの大きな声が聞こえる。ただ二人共本当に忙しくて、会う機会が無かっただけなのだ。
「お雛様、ありがとう。」
「え?」
わあっと上がった歓声にカカシの声は掻き消され、イルカはよく聞こえないと顔を寄せた。
「…明日、出掛けませんか。」
恥ずかしくてもう一度言うのは躊躇われ、カカシは話題を変える。
綺麗な花の群生を見付けました。うちの犬達が、貴女に会いたいと言うんですよ。
私もあの子達に会いたいです。と綻ぶ笑顔に、カカシも良かったとほっと息を付いた。
待ち合わせは決めないのがいつもの事で。イルカがカカシの家に寄り、寝ているのを起こす所から始まるのだ。まるで夫婦のように自然に、お早うと挨拶し合い一緒にイルカの作った朝食をとった。
犬達を引き連れて、二人は肩を並べて歩き出した。
一番大きな犬の背にお弁当を括り付け、二人と八匹は漸く暖かくなって来た初春の、里の外れの丘の上に向かう。
八匹の犬達は道行く人の邪魔になるかもしれないと思ったが、こんな機会は滅多に無いと、春の空気の気持ちの良さを味わわせたくて、現地に着いてから呼び出すのではなく家から歩かせる。ただし迷惑にならないように、紐に繋いで半分ずつ二人で持って。
嬉しさに足取りの軽い犬達は段々速足になり、イルカは文字通り引き擦られて、悲鳴を上げた。助けてと、自然に片手はカカシに差し出され、またカカシは自然にその手を取る。二人は並んで手を繋ぎ、それはやはり夫婦のようで。
小一時間で丘の上に着いた。早咲きの花が満開だ。花を踏まないでね、とイルカは犬達を離した。勢いよく飛び出すかと思いきや、皆イルカの周りに集まって口々にお礼だと、ありがとうと吠える。何の事だと傍らのカカシを見れば、頬を染めて頭の後ろを掻きながら小声で言う。
「ホワイトデーですから。」
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