「貴方は思い出を数えて生きているのですか?」
肯定も否定もせず口を引き締めたような、小さな笑みで空を見る人。
つられて見上げたが真っ暗な空には何も見えない、のに。
彼は目を細めて、まるで瞬く星が見えているかのように空を見ていた。
「…思い出だけでずっと生きていけます。」
「ずっと?」
「ええ、ずっと。」
多分その後には一生、という言葉が続く筈だ。
彼、イルカ先生はカカシ先輩がいなくても変わらない生活を続けている。
もう一年近くも。
「ヤマトさん、俺はあの人から沢山のものを貰いました。」
そうだろうな、愛に溢れた顔をしている。
「行方不明なんて嘘だって知ってます。」
彼は僕の目を見て強く断言した。なんて言えばいいのか解らなくて、僕は開きかけた口を閉じた。
確かに行方不明になりかけたけど、それは先輩が自ら連絡を絶っただけだった。
隠密の任務だから。
だけどいくら秘密にしても忍びの里だ、漏れる情報はある。
「女性を伴っている事、その方が妊娠している事。」
誰でも知っていますよ。
にこりと笑んだ顔は、瞳は、ただ澄んでいた。
「俺も前々から終止符を打てと言われてるんですがまだ決めかねていて…。では失礼します。」
丁寧に頭を下げて、背を伸ばして彼は地面をしっかりと踏み締めて帰っていく。先輩と暮らしていた部屋へ。
この数分で僕は、彼の心の中へは入れないと判った。
柔らかく拒絶する目。いや、先輩以外は映さない目だった。
「先輩、酷すぎます。」
できるなら、直接先輩に会って罵ってやりたかった。痛む胸を押さえ、ふうと息を吐く。
暫く僕は里にいられるから、彼の側に付いていてやりたいと思った。
そうして僕は通常任務について、毎日イルカ先生と顔を合わせるようになった。
自然に彼をじっと観察する癖がついた。イルカ先生はいつも元気に笑い、よく食べる。本当に、先輩がいた頃と変わらない。
ただひとつ、いつも彼の左側がほんの少し空いているように見える事を除けば。
道を歩く時、店の暖簾を潜る時、…そして必ず左をちらりと見やる。
僕は知った。
彼には先輩が見えているのだ。
たとえ幻だろうと先輩はそこにいる。そこにいて、彼を見詰めているのだ。
敵わない。僕は大きな溜め息とともに、肩をがくりと落とした。
「ヤマトさん?」
相変わらずふわりと笑って僕の目を覗き込む。
「イルカ先生、幸せそうですね。」
「はい、毎日が充実していますから。それに、今日はヤマトさんと初めて飲めるので。」
なんでかな、僕の目の奥が熱くなった。まだ一杯しか飲んでいないのに。
「今日でカカシさんがいなくなって一年なんですよ。」
「え?」
「終止符を打とうと思って、乾杯です。」
「終止符…ですか?」
僕は相当間抜けな顔をしていたのだろう、イルカ先生は堪えるのが我慢できないといった顔で笑った。
いいのか、もう先輩の事はいいのだろうか、と焦る僕の心は読まれていたらしい。イルカ先生は頷いた。
「ええ、俺はやっぱりカカシさんを待っていたみたいなんですね。思い出だけで生きている訳じゃなかったと、今日知りました。」
自分の気持ちさえ把握できてなかった、と苦笑いする彼は先日の夜よりひと回り小さく見えた。
「火影様に呼ばれました。」
それは一体、どういう意味で。
僕は動揺を隠せなかった。
「待つのも終わりです。」
僕に向けられた笑顔は、知る限りで一番綺麗だった。
けれど次の瞬間に、僕はもっと美しい笑顔を見た。
「お待たせ。帰ってきたよ、イルカせんせ。」
「お帰りなさい、カカシさん。」
まるで日帰り任務のように軽い挨拶で、けれど二人は熱く見詰め合う。
「終わったよ。」
「ありがとうございました。あいつもきっと喜んでいるでしょう。」
「あんたの頼みを聞いてやったから、オレの頼みも聞いてくれるね。」
「はい、教師を辞めます。」
「うん、これで安心して火影が継げる。ずっと一緒にいて。」

なんの事はない、カカシ先輩はイルカ先生の幼なじみが任務で死んで、他里から拐うようにして結婚した妻の出産のための里帰りにイルカ先生から頼まれて同行していたのだ。
木ノ葉の里を出る時はまだ目立たなかったお腹は、途中流産しかけ安定するまで療養する内にみるみる大きくなった。高貴な血筋のお陰で、療養中に襲われないようにとの配慮からわざと行方不明になったのだ。
先輩も他国他里への火影就任挨拶のためもあって、一年掛かったのだ。
後は二人の会話から推して知るべし。
イルカ先生の教師人生に終止符が打たれ、先輩のために新しい人生を歩み始める。

「テンゾウ、悪いけど一年位外回りに行ってきて。」
そうして僕は、全く報われない。
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