分厚い鉄のドアは鈍く錆びついた音を立てて半分だけ開かれ、中からそっと顔を出した人物にイルカはあっと小さな声を上げてしまった。
「え、カカシ先生?」
「……ああイルカ先生。どうしましたか……。」
いかにも寝起きですといった様子で壁にもたれ、家の中でも隠された口元が小さく欠伸をしたのが判った。
お休みのところをすみませんが、とイルカは頭を下げて暫くそのままカカシの出方を伺った。
「イルカ先生は、わざわざうちまで文句を言いに来たんですか? オレは七班のあいつらを放り出すつもりはないし、それなりに成長してるのは見ていて判るでしょ。」
寝起きだからではない、明らかにイルカに対して機嫌の悪い声は腰を折って礼をしたままのイルカの上にちくちくと針の雨のように降り注ぐ。
イルカは奥歯を噛み締めた。解っている、つい先日の中忍試験受験者推薦会議での自分の噛み付いた事がが気に喰わないのだ。
今はイルカだってそう思う。なりたての下忍のリスクの高さを思えば今年はやめろと、そのうえナルトだけを心配したような言葉を吐いてしまった。落ち着いてみれば完全に自分が悪い。それこそうちの子一番、と学校に乗り込む親達と変わらないではないか。
「先日は出すぎたまねをして申し訳ありませんでした。私が悪かったと反省しております。」
自分の足の爪先を見ながらイルカは誠意を籠めて謝罪を続けた。ナルトに肩入れしてしまう自分をもっと注意して欲しい、いや何も見えなくなっている自分のすべき事を教えて欲しい──。
まくし立てているのは、謝り倒してカカシとの関係をここで切ってしまおうと思うからだ。ナルトとも、単なる卒業生と元担任としての付き合いをしなければと覚悟を決めている。
「せん、先生、待って、顔を上げて。」
慌てたカカシがイルカの腕を掴み、ドアの中へと引き込んだ。二人の後ろでドアがゆっくり閉まっていく。
「あのさ、一般人だけのマンションの廊下で話す事ではないでしょう。」
狭い三和土でカカシが息が掛かる程目の前にいる。驚きにイルカはあとずさってドアに頭をぶつけた。
「何やってんです、ゴンって音がしたじゃない。」
イルカの後頭部をそっと撫でながら、カカシは漸く笑った。
「……すみません。」
ぺこりと頭を下げてから、カカシの顔を見られずに作り付けの靴箱の上に目を流した。郵便物とチラシが無造作に積まれ、うっすらと埃がその上を覆っている。読まなくていいものばかり来るよなぁ、とイルカも同様の自宅の玄関を思い出していた。
「あの、イルカ先生は用があって来たんでしょ? 報告書の不備ですか?」
多少軟化した態度のカカシがイルカを見詰める。だらしなく両手をポケットに入れ、警戒は解いてくれていると判ってイルカも肩の力を抜いた。
「いえ、私はカカシ先生がこちらにお住みだとは知りませんでした。このマンションの持ち主の多々良さんから頼まれたのでやってきたんです。」
そうして手短に今朝の話をすれば、カカシは眉間に皺を寄せて小さく唸りながら自分の髪をかき乱した。
「えー知らなかった。それ不味いんですよね。」
初めて見る彼の子供っぽい仕草にイルカは少し頬を緩めた。今まで私的な会話は一切なかった為に、隙のない里の代表の上忍の部分しか知らなかったのだ。
いや実はと懸命にカカシが言い訳を始めるに至っては、イルカはこの男の見方を変えなければならないと思うようになった。ただ感情の言語的表現が苦手なだけらしい。
カカシの話では、上忍師になる前は任務に追われ家に帰る事は月に数日程度しかなかったからごみは殆ど出なかった。だが今では毎日のように夜は帰宅できて弁当を買ったり食材を買って料理をしたりと、生ごみも燃えないごみもたくさん出てくるようになったという事だ。そしてごみは全部纏めて、いつでも集積所に置いておけばいいのだと思い込んでいたらしい。
「で、カカシ先生は多々良さんにはお会いした事がないのですよね?」
上忍寮の空きがなかった為にこのマンションを里が用意した。不動産屋兼管理人は一般人だが、子供が忍びになるべくアカデミーに通っているから忍びを快く迎えてくれるだろう──とはイルカが後に総務の担当者に聞いた理由だ。
今、イルカもカカシの話からそうだろうとは見当を付けていた。
「カカシ先生はまず部屋をお借りする際にはご挨拶に伺う、という事をご存知ないのでしょうか。」
「なんで?」
きょとんとしたカカシに今度はイルカが自分の髪をかき乱す事になる。
「だって、」
そうして狭い玄関の三和土で立ったまま、二人は半時程会話していた。というよりイルカが一般の集合住宅の住み方を教えていたと言うべきか。
「あ、じゃあこのごみは?」
玄関を上がれば台所だ。カカシの人差し指の先を目で辿れば、二人掛けのダイニングテーブルセットの上と床は凄まじい事になっていた。
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