28

信頼という言葉を、さも大事そうにイルカが口にした。いつか自分もそう思われるだろうか、小さな嫉妬でカカシは眉を寄せた。
「オレがそれだけの信頼を得る為には、どれだけの時間が掛かるでしょう。」
イルカは答えられなかった。カカシと三代目は比べられるものではない。だって、だってカカシはー。
「帰ります。」
静まり返る部屋に足音はなく、玄関のドアが軋む音が僅かにカカシの耳に届いて顔をそちらに向ければイルカの姿は消えていた。
追い掛けたいがそれはしてはならない。イルカには一人の時間が必要なのだ。
勿論カカシにも。

イルカが目を覚ましたのは昼に近い。直射日光が身体を焼く痛みに寝返りを打ち、ベッドから転げる寸前に無意識に受け身を取って覚醒したのだ。
戻った翌日は休みが与えられていた事を忘れており、時計を見て遅刻かと慌てて立ち上がってはいいんだっけとまたベッドに横になった。
昨日帰宅したのはまだ日が落ちる前。だが真っ白になったままの頭は思考を拒否し、疲弊した身体は即座に睡眠をとれとイルカに要求した。
十数時間をただ眠り、お陰で回復した身体は今度は空腹を訴えている。
台所に立って、食料も調理道具もない事を思い出した。数日間の実習に参加する為に生ものは隣の部屋の知り合いにあげてしまったし、鍋やフライパンはー昨日寄りはしたがそれどころではなかったーまだカカシの部屋にある。
欠かさない筈の乾燥麺等の買い置きすらない。食べに出ようにも、風呂にも入らずに眠っていたからこのままでは人前に出られはしないだろう。
脇の下を嗅げばすえた臭いを放っていた。
夏で良かった、とイルカは裸になって空の浴槽の中に座ると水道の栓を捻った。湯を溜める時間を外で待つのが面倒になると、たまにやる。
熱めの湯が足元から徐々に上がり、頃合いを見て尻を向こう側に滑らせる。増えていく湯に身を任せ、上を向いたまま潜ってしまう瞬間が好きだ。
目を瞑り息を止め、ゆらゆらと中でたゆたう。苦しくなったら浴槽から出てまずは髪を洗い、それから身体を洗う。
至福の時間。だが夜はいつも少し高いシャンプーの棚から乗せてある物を蹴散らしてそこに座り込み、呆れたようにイルカに文句を言うのだ。
「冴えない独身男の見本ね。」
そう、この台詞。
おやと振り向くと定位置に夜がいた。昨日火影の執務室からは連れ帰っていない。ひと晩どこにいたかは、聞いても答えないだろうからイルカも聞かない。
「時間の無駄遣いにならない、合理的な方法だろう。」
身体の泡を流し終えて一緒に入るかと聞けば、夜は結構よと首を横に振った。
「ぐちぐち煩かったから、お酒で潰しといたわ。」
誰かなんて言わなくても判る。イルカは黙って風呂の湯を抜き、暫くそれを眺めていた。
身体と髪を拭いて着替えると湯は浴槽の底に僅かに残るだけになっていて、中を軽く洗って天井に近い小さな窓を開けた。湯気が出ていっても浴室の熱が去らないのは、入り込む外気の気温の方が高いからだ。
呼び鈴が聞こえたが隣かもしれない。古いアパートでは隣の音とよく勘違いしてしまう。
また呼び鈴が鳴り今度はイルカを名指しで呼んでいるから、はあいと間延びした返事をしながら玄関に向かった。
ドアを開けるとナルトとサクラが並んでいて、数歩後ろにはサスケもそっぽを向きながらも大人しく立っていた。
「いたってば!」
「イルカ先生、こんにちは!」
久し振りだなと思わず二人の頭を撫で、一歩踏み出してサスケの頭も撫でる。
「…こんにちは。」
おや、サスケはこんな風に挨拶できたっけ。そういやナルトも、飛び付く前に言葉が出たじゃないか。
自分の手を離れてまだ数ヶ月だというのに、三人が大人びた表情に変わっている事に驚いた。
「皆揃って、何か俺に用があるのか。」
「お裾分け?…だよな、サクラちゃん。」
「そうよ、お裾分け。イルカ先生に、任務先からです。」
八百屋でも滅多に見ない、大きな西瓜が床に転がっていた。この大きさではこの子らには抱えられないだろうに、どうやって持ってきたのか。
「オレが持ってきました。」
中途半端に開いたドアの向こう側からカカシが現れた。顔が隠れたいつもの格好に少し違和感を感じた。
ああ最近は素顔に慣れてたからな。とイルカは口の端を上げた思い出し笑いをしながら、ありがとうございますと頭を下げた。
「あのさ、これ冷してもらってたんだ。イルカ先生と食べてって、農園のおじさんがくれたんだってば。」
誰だろうとイルカが首を傾げると、生徒さんらしいですとカカシが口を添えた。
「えっと、日の出農園か?」
実技だけ受け持つ生徒の中に、確か大きな農園の子がいたと思い出した。
「はい、今日は野菜を収穫して市場に運ぶまでが任務でした。」
サクラが珍しく服が汚れた事に文句を言わない。
市場で競りに掛け新鮮な野菜や果物が八百屋の店頭に並ぶところまでも見学させてもらったと、三人は自分達が苦労して収穫した野菜が買われる喜びを嬉しそうに語った。

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