15

「カカシ先生…大丈夫、俺がいます。」
知らず安心させる声に、そうとカカシが漏らした声は吐息にしかならなかった。イルカの体温が背中に温かく、守られる安堵に緩やかに意識が失われていく。
「せんせ、」
言葉が続かない。
ずっといますからと柔らかな声、肩に置かれた手が胸に回って抱き締められるとカカシはあっさり意識を手離した。
また緩やかに意識が戻る。一瞬の事かと思っていたのに天井の蛍光灯が眩しく、それで時間の経過を知った。
ソファに寝てるんだ、と確認の為に持ち上げた頭が重い。重力に逆らえずすぐに力を抜いた。そうだ、さっきイルカ先生がいたような気がしたが。
「イル、カ、」
「はい、ここにいます。」
続かない言葉を承知して返事が早い。額に乗せられたタオルがひんやりと気持ちいいのは発熱したからか、と気付いてカカシは小さく息を吐いた。
「多分こうなるだろうと聞いて俺がお世話を名乗り出たんですが、ご迷惑でしたでしょうか。」
「い…て。」
「はい?」
絞り出した声が掠れて聞きづらく、イルカはカカシの口元に耳を寄せた。
「こ、こに、…いて。」
「はい。」
大きく頷いて、イルカはカカシの脇に座った。視線が同じ高さになり、カカシは声を出さず唇を動かすだけで会話ができる。
『仕事は。』
「ああ、俺のですか。」
そう、とカカシの僅かな頷きにイルカは微笑んだ。
「土日を挟むので正味五日、ちょうど今日から休みが取れました。実はね、アカデミーの夏休み前には上級の生徒達に訓練実習があるんですよ。」
内容はサバイバル訓練。戦闘を仮定した山の中での基礎的な待機と、敵に見つからずに里まで移動する方法を叩き込む。教師を総動員し、その間下級生のクラスは休みになるのだ。
ただ教師も全員が出払う訳ではなく、幾人かはアカデミーに出勤して留守番となる。イルカはその留守番組という事だった。
「上忍の方々の待機と一緒ですよ。」
ああそう、と納得した。でも何かあったら、イルカも行かなければならないのでは。
「心配はいりません。教師以外の方々も、陰から見てくれています。」
用意周到、暗部が付いてくれているのだと言う。カカシが暗部にいた頃は、そんな任務はなかったのだが。
「三代目が随分改革をなされて、生きる事を優先に考えるようにしたのです。いい時代になりました。」
カカシは部下達を思い浮かべ、足りない所は色々あれど基礎がしっかりしているのはそのお陰かとイルカに同意した。
ほっとしたからか、カカシの腹からぐうと音がする。
『昨日の昼が最後なのでお腹が空いてるんです。』
申し訳なさそうにカカシが言うと、イルカは腰を浮かせて台所を振り返った。
「すみません、カカシ先生が倒れたのでそれに気を取られてうっかりしていました。」
取り敢えず何種類か惣菜を買ってきたから、食べたいと思うものを食べて欲しい。
「どの位食べられそうですか。」
『う…ん、食べてみないと解らない。』
「では、少しお待ち下さい。」
視界からイルカが消えた。首すら回せないカカシは、離れるに従い薄くなる気配を追って神経を張った。
寂しい、寂しい、行かないで。
「あたしじゃ駄目なようね。」
びくりとカカシの身体が跳ねた。
夜だ、いつからいたのか。いくら熱があったとしても気付かないなんて、なんて失態を晒した。
「あんたねえ、あたしはイルカの気配に同化できるんだから解らなくて当たり前なの。」
火影すら欺くのだと、カカシの身体に前足を乗せてふんと鼻を鳴らした。
「熱が上がってきたわよ。案外ウィルスは強いみたいね。」
『何故、』
「あたしが火影様に頼んでイルカを寄越したの。イルカには内緒よ。」
ソファの背凭れに陣取り、カカシを見下ろす夜の表情からは何も窺えないが声色はとても優しい。
「お、夜はカカシ先生に近寄っちゃ駄目だぞ。」
爪を出して引っ掻いたら傷になる。身体には何の菌が付着しているか解らない。だから風呂に入れてはきたが、それでも心配だ。
「俺も病理で簡易検査をして、ついでに身体中に殺菌の噴霧をしてきましたけど。」
無菌の必要はないが用心に越した事はないと笑う、イルカの気遣いがカカシにはこそばゆい。
『色々申し訳ありません。』
「いいから早く食べて下さい。」
世話を焼く事には慣れているから苦ではありません。
ああナルトの事かと思い当たり、なんだか羨ましく腹立たしい。でも今は自分がイルカを独り占めしているのだと、胸一杯に広がる優越感がカカシを満たしていく。
優越感? なんで、そんな。
発熱が思考を狂わせたのだ。世話役はイルカでなくても誰でも良かった筈だ。
「カカシ先生?」
額に手を当てられ、背を走る悪寒が別の意味を持った。
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