古い掛け時計の長針が天辺でかちりと音をたて、あまりにも心地よすぎた時間の経過に二人驚く。
空いた食器を一往復で流しの桶に突っ込み、イルカはそそくさとちゃぶ台の前に戻った。
「昨夜の話だけで、カカシ先生が納得なさらないのは当然です。」
カカシに失礼にならないように気を付けなければと、慣れない正座で気を引き締めた。
「お聞きになりたい事には、全て隠さずにお答えします。」
イルカが緊張ぎみにぺこりと頭を下げると、カカシは心持ち身を乗り出し言葉尻に被せるように質問をしてきた。
「夜はお母さんの口寄せだったんですか。」
「はい。信じられない話ですが、夜は母が拾った妖怪なんです。」
「夜が、妖怪。」
聞き間違いかと復唱すれば強く肯定され、カカシは瞬きを止めて夜を見た。
「違うわよ。」
だよなと力を抜いたカカシの顔を見た夜が、わざと小声になる。
「あたしに妖怪が取り憑いてるの。」
にゃあと歯を剥いた夜の、真っ赤な口内と真っ白な牙の対比がおどろおどろしい。思わず左目を隠す額宛てに手が伸びそうになって、カカシはその手を背に隠した。
「驚いたでしょ、でも正確にはそれも違うわ。」
「夜。」
めっと赤ん坊を叱るような渋い顔を見せた後、全くと溜め息を溢したイルカが夜の鼻先をくりくりと掻いた。
「妖怪になる寸前の怨霊があたしの中に入り込んで、あたしの身体で妖怪になろうとしたの。」
でもならずにすんだので、と慌ててイルカが付け加えた。
任務で居合わせたイルカの母がそういった方面に詳しかったのは、偶然にせよ夜にとっては幸運な事だった。
山猫とはいえ人間に換算すれば年頃の女の子が、自分の意思に反して妖怪になってしまうなど可哀想で見ていられないと。
「助けられて、でも怨霊を身体から抜けばあたしは死ぬ筈だった。」
その状況を思い出して、夜はぶるりと身体を震わせた。
「コハリ様は口寄せとして働くなら、浄化できない代わりに一生面倒を見てあげると約束してくれたの。」
「あ、母の名前です。」
誰、と聞く前に答える。自慢の母だとイルカは胸を張った。
「たかが山猫一匹、殺されても仕方ないのに。あたし本当に嬉しかったわ。」
そうして夜と同じく年頃の女の子だったコハリとは親友のように仲良しで、コハリが結婚しイルカが生まれても夜は老いる事なく―。
ともに歩んで二十年を越えても、夜の容姿も体力もまるきり変わらなかった。取り憑いた際に、怨霊が夜の時を止めてしまったのだ。
「イルカ先生は、理由は違えどあの熊も夜のように安らかな暮らしを奪われて可哀想だと思ったのですね。」
なんて酷い事をすると呟きながら熊の身体を撫でる仕草には慈しみが籠められていた、とカカシは思い出したのだ。
のめり込みすぎてるようだ。これじゃイルカ先生の方が心配になる。
溜め息が深く落とされた。
「カカシ先生、まだお時間があれば少しだけ飲みませんか。友人から土産をもらったんです。」
とりあえず重要な部分を話し終え、もう酒が入っても大丈夫だろうとイルカはカカシの返事を待たずに台所を漁り始めた。
カカシの腿に前足を乗せ、夜がその耳に顔を近付ける。イルカには決して知られたくない、と前置きをして早口に話し出した。
動物を使っていると情報を得た時に、協力したいとイルカは三代目に進言した。
だが夜はコハリの呪縛術で固定されたといっても、未だに怨霊を身体に宿しているのだ。いつ妖怪として現れてもおかしくはない程に、封印の中で強い力を保ち続けている。
九尾の狐を彷彿させるそれを他の忍びに知られたら、夜もイルカも無事でいられないだろうと三代目は使役を躊躇している事を以前から夜に溢していた。昨夜熊を見付けたと夜が三代目に報告した際にも、この件でまたお前が必要になろうと決して使わないと断言された。
「イルカには、あたしの存在を隠すのは他里から奪われない為と説明してるんですって。」
中忍には立ち入れない領域だ、子細は聞くな。
幼少からの恩義がある火影の言葉は絶対だから、イルカは疑問も持たずに従い続ける。
「だけどお母さんが夜を使っていたなら、夜を知ってる忍びがいるんじゃないの?」
「…皆死んでる。」
無言になった夜は、何本もの酒を取り出し真剣に吟味するイルカを見詰めた。
「コハリ様も旦那様のイッカク様も、仲間達も皆。」
カカシを見た夜の目が碧に光った。さっきまで深い蒼だった筈だと見入る内に、また碧に変わる。
「これは怨霊の力のせいよ。身体の中に何かがいるなんて、あたしも信じられないけどね。」
時の流れは、夜にはどう感じられるのだろう。三十数年間、取り残されて見送って。
ああオレも入れ込んじまうんだろうな、とカカシはイルカを見詰める夜の背中を見詰めた。
空いた食器を一往復で流しの桶に突っ込み、イルカはそそくさとちゃぶ台の前に戻った。
「昨夜の話だけで、カカシ先生が納得なさらないのは当然です。」
カカシに失礼にならないように気を付けなければと、慣れない正座で気を引き締めた。
「お聞きになりたい事には、全て隠さずにお答えします。」
イルカが緊張ぎみにぺこりと頭を下げると、カカシは心持ち身を乗り出し言葉尻に被せるように質問をしてきた。
「夜はお母さんの口寄せだったんですか。」
「はい。信じられない話ですが、夜は母が拾った妖怪なんです。」
「夜が、妖怪。」
聞き間違いかと復唱すれば強く肯定され、カカシは瞬きを止めて夜を見た。
「違うわよ。」
だよなと力を抜いたカカシの顔を見た夜が、わざと小声になる。
「あたしに妖怪が取り憑いてるの。」
にゃあと歯を剥いた夜の、真っ赤な口内と真っ白な牙の対比がおどろおどろしい。思わず左目を隠す額宛てに手が伸びそうになって、カカシはその手を背に隠した。
「驚いたでしょ、でも正確にはそれも違うわ。」
「夜。」
めっと赤ん坊を叱るような渋い顔を見せた後、全くと溜め息を溢したイルカが夜の鼻先をくりくりと掻いた。
「妖怪になる寸前の怨霊があたしの中に入り込んで、あたしの身体で妖怪になろうとしたの。」
でもならずにすんだので、と慌ててイルカが付け加えた。
任務で居合わせたイルカの母がそういった方面に詳しかったのは、偶然にせよ夜にとっては幸運な事だった。
山猫とはいえ人間に換算すれば年頃の女の子が、自分の意思に反して妖怪になってしまうなど可哀想で見ていられないと。
「助けられて、でも怨霊を身体から抜けばあたしは死ぬ筈だった。」
その状況を思い出して、夜はぶるりと身体を震わせた。
「コハリ様は口寄せとして働くなら、浄化できない代わりに一生面倒を見てあげると約束してくれたの。」
「あ、母の名前です。」
誰、と聞く前に答える。自慢の母だとイルカは胸を張った。
「たかが山猫一匹、殺されても仕方ないのに。あたし本当に嬉しかったわ。」
そうして夜と同じく年頃の女の子だったコハリとは親友のように仲良しで、コハリが結婚しイルカが生まれても夜は老いる事なく―。
ともに歩んで二十年を越えても、夜の容姿も体力もまるきり変わらなかった。取り憑いた際に、怨霊が夜の時を止めてしまったのだ。
「イルカ先生は、理由は違えどあの熊も夜のように安らかな暮らしを奪われて可哀想だと思ったのですね。」
なんて酷い事をすると呟きながら熊の身体を撫でる仕草には慈しみが籠められていた、とカカシは思い出したのだ。
のめり込みすぎてるようだ。これじゃイルカ先生の方が心配になる。
溜め息が深く落とされた。
「カカシ先生、まだお時間があれば少しだけ飲みませんか。友人から土産をもらったんです。」
とりあえず重要な部分を話し終え、もう酒が入っても大丈夫だろうとイルカはカカシの返事を待たずに台所を漁り始めた。
カカシの腿に前足を乗せ、夜がその耳に顔を近付ける。イルカには決して知られたくない、と前置きをして早口に話し出した。
動物を使っていると情報を得た時に、協力したいとイルカは三代目に進言した。
だが夜はコハリの呪縛術で固定されたといっても、未だに怨霊を身体に宿しているのだ。いつ妖怪として現れてもおかしくはない程に、封印の中で強い力を保ち続けている。
九尾の狐を彷彿させるそれを他の忍びに知られたら、夜もイルカも無事でいられないだろうと三代目は使役を躊躇している事を以前から夜に溢していた。昨夜熊を見付けたと夜が三代目に報告した際にも、この件でまたお前が必要になろうと決して使わないと断言された。
「イルカには、あたしの存在を隠すのは他里から奪われない為と説明してるんですって。」
中忍には立ち入れない領域だ、子細は聞くな。
幼少からの恩義がある火影の言葉は絶対だから、イルカは疑問も持たずに従い続ける。
「だけどお母さんが夜を使っていたなら、夜を知ってる忍びがいるんじゃないの?」
「…皆死んでる。」
無言になった夜は、何本もの酒を取り出し真剣に吟味するイルカを見詰めた。
「コハリ様も旦那様のイッカク様も、仲間達も皆。」
カカシを見た夜の目が碧に光った。さっきまで深い蒼だった筈だと見入る内に、また碧に変わる。
「これは怨霊の力のせいよ。身体の中に何かがいるなんて、あたしも信じられないけどね。」
時の流れは、夜にはどう感じられるのだろう。三十数年間、取り残されて見送って。
ああオレも入れ込んじまうんだろうな、とカカシはイルカを見詰める夜の背中を見詰めた。
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