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十七

ふと我にかえる。惣菜を冷蔵庫に入れ、身体が冷えたから茶でも飲むかとお湯を沸かす為にガスのスイッチを捻ろうとしたが、震える手には力が入らない。カカシは何度か試みたが結局火が着けられず、知らず止めていた息を吐いたら堪えていた嗚咽も漏れ出した。
「う、ううっ…。」
床に膝を着き背を丸めて涙を流す。イルカの名を呼びごめんと繰り返しながら、さ迷う船のもやい綱を漸く掴んだと思ったのに綱の先は船が切り捨てまた見失ってしまったとカカシは思い知った。
町田桔梗はもういない。だから結婚などはあり得ないけれど、イルカが荒波ナガレとしてだろうと誰かの手を取った事実がカカシには地獄の苦しみだ。
ましてや結婚して永住する決意で里を離れると言ったのだ。カカシがイルカを捨てたのではなくイルカがカカシを捨てたのだ。例え里に戻ろうともイルカはカカシの元へ戻らないだろう。
唇を噛み後悔に焼き付くされそうな胸を押さえる。
気配に目覚めたイルカは、イルカごめんと呟き続けるカカシを襖の隙間から続く台所に見て息を詰めた。
その背中を抱いてやりたい。抱き締めて涙を止めてやりたい。だがカカシはイルカの任務を憐れんでいるだけだ、捨てた男に情けを掛けているだけだ。
仲間思いのカカシは、守ってやれなかった同胞に陰で手を合わせ泣いていた。それと同じだ。
イルカはまた目を閉じ、じっとカカシが泣き止むのを待った。

「こんばんは、イルカ先生調子はどう?」
ばんと勢いよく玄関を開けて、青山親子が遠慮なく座敷に上がってくる。
先生ご飯だよ、と子どもができたての鍋を起き上がったイルカの布団の上に乗せ、イルカが熱いと喚いて笑いが溢れ一気に賑やかになった。
今日から新居に移ったお祝いだ、と引っ越し蕎麦代わりの夕飯と気遣いにイルカは身振りで最大の感謝を示した。荒波ナガレでいた頃もそうだったが、自分が人を寄せるのだとイルカは思いもしない。
青山がイルカの額に手を当て経絡を辿り、眉をしかめた。
「チャクラの戻りは悪そうだな。」
「少し動くとまたなくなるみたいで、腕も此処までです。」
上げた両腕は水平で止まりすぐ落ち、イルカも眉をしかめた。
「足まで回らないんです。」
「焦らない事だ。ちょうど冬休みに入ったから、学校も心配はいらないからな。」
青山もむかいもその時期を狙って仕掛けたのだと気付いて、イルカは深く頭を下げた。
人の訪問が増え買い足したちゃぶ台を出し、また買い足した食器を並べてもらう。
「カカシさんが買ってきてくれた惣菜が冷蔵庫にありますから、それもお願いします。」
同僚だったひかりと術の単科を教えていた生徒タイチを懐かしみ、気が緩んだイルカはついカカシを以前のように呼んでしまった。
カカシだけが気付きあ、とイルカを見れば視線に振り向くその顔は目を合わせた途端に微かに動揺していた。だが場の雰囲気を壊したくないと、イルカは無理に笑いカカシに話し掛ける。
「はたけ上忍、私をちゃぶ台の前まで運んでください。」
「運ぶって、荷物じゃないでしょ。ちょっと首に腕を回して捕まってください。」
他人の目を気にして自然に見えるように振る舞う。箸は持てるが口に運ぶのがやっとのイルカ、横で世話をするカカシは穏やかにイルカを見ている。
「イルカ先生、僕より食べるの下手になっちゃった。」
タイチが笑い、イルカも笑う。カカシは思い出していた。
こんな風景はあの三人の部下と行った一楽が最後だ。あの子らは各々旅立ち、イルカは自分の出番はもうないと肩を落としていた。だから、きっと、新たな生徒を得たこの町から離れない。
気付けば後片付けが始まっていた。ひかりが食器を洗いタイチがそれを拭いてしまっている。
「俺達が気になるらしく、まだ町の人達はあの二人が消えた事には気付かない。」
冬休みの半月で町田と森村の存在を消す。だが二人共最初からいない事にするのは難しい。術に頼れば掛け直しも長期的に考えておかなければならない。
「一応私は幻術が得意だからその場しのぎはできるけど、術だけじゃ何十年にも渡っては心許ないわ。」
「だから、イルカ。」
荒波ナガレの記憶を受け入れろと、タオルで手を拭きながら座ったひかりの目が訴える横で青山が諭す。
帳尻はイルカが合わせろ。これは俺が命令する任務だ。
ゆっくりとイルカは頷いた。そうだ町の人達は関係ない、平穏な日常を送って欲しい。
「では、私は何をすればよいのでしょうか。」
不安が胸を押し潰しそうだが、青山上忍の指示に従い任務をこなさなければ。もっと過酷な、何ヶ月も山の中で動物を食料とするような任務に就いた時もあったではないか。
「荒波ナガレの記憶を戻し、整理してからだ。」
今夜、夢の中で蘇る。
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